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第4話 アヒルの群れで育っても空は飛べる 2


 昼休み、秘密基地である校舎隅の旧手芸部室に行くと、柏木を含む三人がもうすでに着席していた。太陽は一秒でも早く重大発表とやらを口にしたいらしく、うずうずしながら俺を待っていた。俺は彼の意をんでそそくさと椅子に腰を下ろした。


「それでは諸君。今日は大事な話をしようと思う」と太陽は立ち上がって言った。「はじめはオレと悠介、男同士の友人関係から始まったこのコミュニティ。それが今ではこうして一丁前に校内の一室に堂々と居座って、なんだかひとつの部活みたくなってきた。そこでだ。これまでは適当に集まっていたが、これからはバシッと方向性を持って集まろうじゃないかという提案をしたい」


 太陽は人前で話をするのが好きなのだろう。小気味よい身振り手振りを交え、熱弁をふるう。その姿はゲティスバーグで多くの聴衆を前にしたリンカーンを彷彿とさせた。つまるところ、板に付いている。


 俺たちは耳をかたむけた。


「我々にはいくつか共通点がある。鳴桜高校一年H組所属ってのは言うまでもないが、なにより大きいのは自分が手にしたい未来と、現実の未来とのに頭を悩ませ、それでも希望する未来を掴もうと手を伸ばしているところだ。


 だが人間一人の力なんて微々たるもんだ。たかが知れてる。一人でその希望する未来を掴むのは難しい。夢は夢のままだ。そんなのはゴメンだ。そうだろう? そこでここはひとつ、それぞれの望む未来のために、協力し合おうじゃないか。


 悠介は幸せになる未来を、高瀬さんは大学に行く未来を、オレはプロのドラマーになる未来を胸に秘め、生きている。それぞれがそれぞれの未来の実現のため、この高校三年間、手を取り合ってやっていこうじゃないかという話だ。どうだい、悠介、高瀬さん」


 俺と高瀬はどちらからともなく顔を見合わせる。俺が高瀬の未来のために尽力するのは構わないけれど、こちらの漠然とした未来のために彼女の手を煩わせるのは気が引けた。


 俺のそんな心苦しさを追い払ったのは、高瀬の澄みきった笑顔だった。

「うん。なんだかおもしろそう」


 彼女がそう言うなら俺が突っぱねる理由はない。俺はうなずいた。


「よし。そう来なくっちゃな!」太陽はぱちんと指を鳴らす。ただすぐに難しい顔をした。「だがそうなるとひとつ問題がある。いつの間にかちゃっかり仲間ヅラしている柏木、おまえだ」


 柏木は高瀬の隣の席で、ふてぶてしく鎮座している。なにが悪いの? という表情だ。


「柏木よ。こないだの中間テストで学年最下位だったけど、夢とかあるのか?」

「失礼な。あたしにだって夢くらいありますよーだ」


「ほう、言ってみろ」

「幸せな家庭を築くこと、かな」


 幸せな家庭、と俺は小声で繰り返した。柏木の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。

「なぁ柏木。それって、具体的にどんなのだ?」


「そうねぇ」彼女は色っぽく脚を組む。「旦那さんとあたしがラブラブなのはもちろんで、いつも笑顔が絶えなくて、喧嘩してもすぐに仲直りできて、休みの日には恋人みたいにデートして……。そうだ、子どもは欲しいよね。いっぱい。多い方がいい」


 これが男のさがというものなのか、それを聞いて情けないことに、視線がどうしても彼女の豊かなバストや精巧なくびれに向いてしまう。それは太陽も同じようで、「エロッ!」と叫んだ。「柏木おまえ、いちいちエロいんだよ!」


「はぁ!?」柏木の頬がたちまち赤く染まる。「子どもが欲しいって言っただけで、なに変な想像してんのよ! 小学生じゃあるまいし! 男って本当バカなんだから!」


 さいわい俺の視線はとがめられずに済みほっとしていると、事態を静観していた高瀬が吹き出すように笑い始めた。

「なんか、いいね。こういうの」


「こういうの?」と柏木が聞き返した。


「くだらない」と高瀬は可笑しそうに答えた。「すごく馬鹿馬鹿しい。でもそれがいい。私今、とっても楽しいんだ。新鮮な気分。こういう環境の中にいたことがないから。遠くから眺めて羨ましがっているだけだったから」


 柏木は両手を広げる。「ようこそ、優里」


「おまえが言うな!」

 奇しくも俺と太陽の声が重なった。


 それを受けて高瀬はまたひとしきり無邪気に笑った。

「いいんじゃないかな。晴香の望む未来に、私たちも協力してあげようよ」


「正直、幸せな家庭のためって言われてもピンと来ないが」太陽は首をかしげる。「だいたいそんなもん、オレたちに協力のしようがあるのか?」


「あるある。まずはなんと言っても、パートナーになる旦那さんをゲットしないと」


 あたしが将来幸せになるにはこの人が必要だし、この人が将来幸せになるにはあたしが必要なの――。柏木は内心では俺をそう捉えているわけで、その彼女が幸せな家庭を築くための伴侶である旦那をゲットするということは、それはすなわち――。


 高瀬の手前、だけは絶対に避けねばならない。


「わ、わかったわかった!」危機を察してくれたらしく、太陽が口早に言った。「高瀬さんも同性のダチの柏木がいた方が、なにかと気が楽だろう。今この時をもって、柏木も正式に仲間入りを認めようじゃないか。そのかわり、おまえもオレたちに協力するんだぞ。いいな」


「はぁい」と柏木は言った。そして薄ら笑いを浮かべた。「それにしても『それぞれの未来のため』ねぇ。なんだか青臭いわねぇ」


「いいんだよ」太陽は鼻をかく。「オレたちゃ十代なかばの高校生なんだ。青くたって臭くたって、それが最大の魅力じゃねぇか」


 高瀬と柏木は顔を見合わせて苦笑した。「臭いのはイヤよね」ということらしい。


「さぁ話を続けよう」と太陽は言って、三人の顔を見渡した。「オレたちのもう一つの共通点は、四人とも部活に入っていないってことだ。悠介と高瀬さんが部に入らない理由は聞いたが、ちなみに柏木はどうして何もやらないんだ? おまえ、運動神経抜群だろ」


「まぁね」柏木は謙遜というものをしない。「運動部で汗を流すのも悪くはないけど、うちね、鉄板焼き屋なの。団体さんの予約とかが入ると、夕方から仕込みの手伝いをしなきゃいけないの。わかる? 葉山病院のボンボン息子」


「一言余計なんだよ……」大病院の御曹司は顔をしかめる。「まぁいい。とにかく四人とも部活はないわけだから、放課後はある程度自由に使えるはずだ。短い昼休みにこうして集まるのもせかせかして落ち着かん。そんなわけでこれからは、放課後に集まろうぜ」


 誰も異存はなかった。柏木も店の手伝いがある日を除いてはという条件で賛同した。


「そして、だ」太陽は一段と声に力を込める。「明るい未来を手にするためには、この部屋にこもってばかりいないで、お天道様の光も浴びなきゃいかん。たまにゃ校外活動も実施するぜ。もう一ヶ月もしたら夏だ。やろうじゃありませんか、夏合宿! 行こうじゃありませんか、海!」


 次の最終戦に勝てば12ゲーム差をひっくり返して我がチームの優勝だ、と監督が言い張るような滅茶苦茶さが、その物言いには含まれていた。夏の海に何を過度な期待をしている、と俺は心で水を差す。しかし女子二人の顔はほころんでいた。


「行きたーい!」と柏木が嬉々として言えば、高瀬も瞳をらんらんと輝かせた。


「夏の終わりには花火大会があり、冬にはクリスマスパーティだ。初詣にも行くだろ? スキー旅行だってありだな! 心躍るイベントがわんさかオレたちを待ち構えている。みんな、楽しもうぜ」


 本当にすべて実行する気なのか、であるとか、合宿って何をやるんだよ、であるとか、そういう素朴な疑問が思い浮かぶ。その一方でこんなことを言い出した太陽の意図は見抜いていた。


 悠介、いろいろやってみる中で見極めろ。高瀬さんと柏木、どっちがおまえさんの“未来の君”なのか。きっとそう思っているに違いない。


 そして同時にこれは、高瀬のでもあるのだ。


 高瀬優里が高瀬優里として生きられるのはこの三年しかない。だから誰よりも充実した最高の高校生活にしたい――。


 そう言った高瀬には卒業までの三年間でなにか宝物を見つけてもらわなきゃいけない。その宝物とは、決して消えることのない思い出だったり、行き止まりの壁を迂回するための秘策かもしれない。それならば俺は、その宝探しの冒険に同行させてもらおう。


 夏の花火が待ち遠しいと笑顔で話す彼女を見て、俺はそう誓った。


 ♯ ♯ ♯


 放課後は、担任と進路についての面談があった。


 自分の番までまだだいぶ時間があるので、俺は屋上へとやってきた。ここへ来るのは校則違反ということらしいが、高瀬が愛してやまないこの街をどうしても今一度、高い場所から眺めてみたかったのだ。


 太陽と高瀬はそれぞれ放課後に私用があるとのことで、新しい枠組み発足後一回目の活動は明日以降に持ち越しとなっていた。


 昼休みと違って放課後の屋上には強烈な西日が差し込み、ともすると目がくらんでしまいそうだった。俺は目を細めながら、落とし穴を警戒するような慎重な足取りで、ゆっくりフェンス際へ歩みを進めた。


 巨大な給水コンテナの横を通過したその時だった。をしたシルエットが西日の中に浮かび上がった気がした。そんなまさか、と俺は思った。これは見間違いだろう、と。


 なぜならそのシルエットがある場所は、転落防止用のフェンスの向こう側――屋上のまさにへりの部分だったからだ。あらゆる価値観に照らし合わせて、絶対に人が立っていてはいけない場所だ。


 しかしフェンスが近づくにつれて、それが見間違いなんかじゃないことがわかってくる。長い後ろ髪とスカート。そこにいるのはどうやら女子生徒だ。彼女は俺の存在に気づいていないらしく、まるで何かの導きを待ち望むかのように、空を見つめている。


 目が西日に慣れてきて、シルエットの輪郭がはっきりしてくると、思わず俺はがっくり肩を落とした。


 その後ろ姿を俺はよく知っていた。健康的な体つき、明るい栗色の髪、しなやかな美しい脚。


 鳴桜高校でおそらくその後ろ姿をいちばん見ているのは、彼女の後ろの席の俺だ。


 フェンスの向こう側に立っているのは、他の誰でもなく柏木だった。

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