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第2話 これはどうやらとんでもない高校生活になりそうだ 4


 午後の授業は全くといっていいほど頭に入ってこなかった。それもそのはずだ。頭の中は昼休みに高瀬から聞いた結婚話のことでいっぱいだった。勉強どころではなかった。


 老占い師は“未来の君”について「未来に困難が生じ、あなた様に助けを求めに来る」と話していた。そして事実として高瀬は未来に困難が生じ、事実として俺に助けを求めに来た。


 ここまではいい。問題はその後だ。


 高瀬はトカイの次期社長との結婚が避けられないものだと自覚してしまった。その未来を変えることを諦めてしまった。彼女は愛するこの街の人々を救うため、みずからが生け贄になるつもりなのだ。


 当然ながらこのままでは俺と彼女の未来はひとつにならない。手を取り合って生きていくことはできない。俺が幸せになるためには、“未来の君”と一緒に生きなきゃいけない。


 高瀬は俺の“未来の君”ではないのだろうか? だとすればいったい誰が? いったい誰が俺と強い運命の絆で結ばれているというのだろう?


 いくら考えてもわからなかった。


 それにしても、俺にしろ、太陽にしろ、そして高瀬にしろ、俺たちは高校一年生にしてはいささか厄介な問題を抱えている。


 すっきりしない気分のまま迎えた放課後、日直の俺は減ったチョークを補充するため、一人で授業準備室の前まで来ていた。


 必要なチョークの色と本数を書いたメモを確認して、ドアに手をかける。そこで中から女同士の会話が聞こえてきた。どちらも聞き覚えのある声だった。そういえばここの掃除は我々1年H組の担当だった。その声を聞くかぎり、話しているのは柏木とそれから末永すえながというお調子者であることがわかる。そして掃除をサボっていることも。


「いい加減、白状しなさいよ晴香」と末永は嬉々とした声で言った。「三限目のあとの休み時間に認めたじゃない。好きな人がいるってこと。いったい誰なのよ?」


 柏木はとてつもなく大きなため息をつく。ドアを隔てても聞こえるくらい。

「もう、なんでみんなそんなにあたしの好きな人が気になるわけ?」


「そりゃあ入学して一ヶ月そこらでもう9人に告白される学園のアイドルだもの。気になって当然!」


「10人」

「え?」


「さっき、昼休みにも告白されたから10人。振ったけど」

「二桁到達……」


 すげぇな、と俺は感心した。「すっごいね」と末永は実際に言った。「その10人の中で『ちょっとは付き合ってもいいかな』って思う人、いなかったの?」


「いないいない」と柏木は迷わず答えた。「あたしはもう『としかそういう関係にならない』って決めてるから」


「よけい知りたくなってきた。天下の柏木晴香にそこまで言わせるその罪な男って、いったい誰よ?」


 俺も知りたくなってきた。ここに来た目的も放棄して、いやしく耳をそばだてる。


「教えませんよー」と柏木は言った。「これはトップシークレットですから」


 むむむ、と末永は唸った。「仕方ない。奥の手を使うか。晴香も鳴桜生ならもちろん好きだよね、きなこメロンパン」


「嫌いな人いないでしょ。一回しか買えたことないけど、美味しくてびっくりした」


 それは購買部でたまに不定期で売り出す言わばレア商品だった。数量限定な上にすぐに売り切れるので“幻のきなこメロンパン”と呼ばれていた。


「私、購買部員なの。教えてくれるなら、部員の特権で5つ調達しますぞー!」

 むむむ、と今度は柏木が唸った。「もうひと声!」


「7つ!」

「もうひと声!」


「ええい、晴香が振った男の数と同じ10個だ! 持ってけドロボー!」

「そこまで言うなら手を打とうじゃないの!」


 案外すんなり教えるんだな、と俺はあやうく口に出しかけた。


 末永は言った。

「誰なのか聞く前に、どうしてその人を好きになったのか、教えてよ」


「笑わないでよ」と柏木は釘を刺す。「あたしね、この人にを感じたの」

「運命! そう来ましたか! いいねいいねぇ!」


「感覚的なものだけじゃないのよ? それにはちゃんとした理由もあるの。あたしとこの人は運命で結ばれてる。そうとしか思えない。あたしが将来幸せになるにはこの人が必要だし、この人が将来幸せになるにはあたしが必要なの」


 それを聞いて俺の手は汗でびっしょりになった。まさかな、とその汗を拭って思う。


 もちろん俺を幸せに導くという“未来の君”が柏木晴香である可能性は否定できない。老占い師があの夜、水晶の中に見たのは天真爛漫な少女の姿だったのかもしれない。


 しかし、だ。


 それでは、高瀬はどうなるというのか? 俺と高瀬の未来は――?


 俺は呼吸が荒くなるのを必死で堪えながら、ドアの向こうに意識を集中させた。そしてが柏木の口から飛び出したことで、これはどうやらとんでもない高校生活になりそうだ、と覚悟を決めなければならなかった。


「神沢悠介。あいつ、あたしの運命の人だ」

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