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第1話 誰も見たことがないハッピーエンドを 3

 翌日の昼休み、俺は学校の屋上に呼び出されていた。


 朝いつも通りに登校すると、下駄箱になにやら飾り気のない手紙があって、「昼休みに屋上で」とだけ書かれていたのだった。


 筆跡だけでは性別は判別できなかったが、俺は手紙の差出人が女の子であることを望んだ。それも未来に困難を抱えた高瀬優里であることを。


 少し頭を働かせれば、高校生くらいの女の子が異性に対し「昼休みに屋上で」などという可愛さのかけらもない、ぶっきらぼうなメッセージを送るなんてあり得ないことがわかるのだが、情けないことに俺の脳内は高瀬優里のことでいっぱいで冷静な思考というものができなくなっていた。


 だから実際に屋上に現れたのが男子生徒だとわかった時は、微かな期待が外れたことに対し、落胆の溜息をひとつ吐いたのだった。


「やぁ、変な呼び出し方してすまなかったな。でもおまえ、友達いないから誰も連絡先知らないし、教室じゃいつもムスッとしてるから話しかけにくいし、こうするしかなかったんだ。悪く思うな」


 批判された気がして苛立つも、事実なので言い返せない。


その男は、クラスメイトの葉山太陽はやまたいようという生徒だった。


 一人で屋上に現れた葉山は、恥ずかしそうに笑って鼻の頭をもじもじとかいた。背丈は俺と同じくらいだが、肩幅は向こうの方ががっちりしている。


 ほどよく焼けた血色の良い肌に磨き上げられた白い歯がえる。ちょうどいい長さの上品なショートレイヤーは育ちの良さをうかがわせた。


「クラスの人気者が俺なんかに何の用だ」と俺は突き放すように言った。


「ははっ。やっぱりサシで話してもそういう感じなのか。なぁ、神沢。なんでおまえ、いつも一人でいるんだ?」

「あいにく、俺は一人が好きなんだ」


 がきっかけで、俺は、ちょっとした人間不信に陥っていた。いや、ちょっとした、なんていう生ぬるいものではない。


 自分で評するのもなんだか妙だが、客観的に見てみても、俺の他者への拒絶反応はかなり根深いものがあると思う。


 だから高校に入学しても特別誰かとつるむことはせずに、他人に対して壁を築いて毎日を過ごしていたのだ。


 葉山は言った。「もったいないなぁ。お前と話がしてみたいって子、結構多いんだぞ。あ、もちろん女の子な」


「そんなくだらない話だったら帰るぞ」

「なんだよ、興味ないのかよ、女の子」


 ないということはないけれど、今の俺は高瀬優里のことしか考えられなかった。

「どうでもいい」と俺は言った。「帰る」


「ま、待てよ! 本当にしたかったのは、女の話じゃないんだ!」葉山は慌てて、本題を言う、と早口で続けた。「神沢悠介。ズバリ、オレと、にならないか?」


「はぁ?」

 全く予想していなかったその申し出に、俺はつい頓狂な声を出してしまった。


「頼むよ、この通りだ! なんとか応じてくれ」


 葉山は非礼を詫びるかのように深々と頭を下げる。なんだかこれではまるで、俺が彼をいびっているみたいだ。


「悪いけど俺は、友達とかそういうの、いらないから。それに葉山。お前にはたくさんいるじゃないか、トモダチ」


 葉山太陽の家はこの地域では知らない人がいない総合病院で、彼はそこの御曹司だ。人気俳優のように容姿は整っており、立ち振る舞いにも一定の気品があり、全身から血統の良さが滲み出ている。


 しかしそういったことはちっとも鼻に掛けず、おまけに気さくな性格をしていて、何もしなくても周囲には人が集まってくる。まさしく名前のように太陽のような男だった。


 そんなナイスガイであるから、俺が見るかぎり、クラスの中にも外にも、男でも女でも、葉山にはすでに友達と呼べそうな人間がたくさんいた。


「あいつらは、本当の友達じゃない」美男子は、渋い顔をしてそんなことを言う。「オレはホンモノのダチってもんが欲しいんだ。表面だけじゃなく、何でも話し合える、そんな友達が」


「よくわからない。なんでその『何でも話し合える本当の友達』の候補が俺になるんだよ?」

 彼の前で社交的な振る舞いや懐の深さを見せた覚えはない。


「だっておまえ、いろいろ考えて生きてそうだから」と葉山は言った。

「どういうことだよ?」


「なんていうかだな、おまえと一緒にいると、? って、わかりそうな気がするんだ」


 どうやらこの男は、冗談でこんなことを言っているのではない。その顔つきたるや、真剣も真剣だ。

「俺なんかと一緒にいたってろくなことにはならないよ。俺は疫病神だから。悪いことは言わない。他を当たった方がいい」


 それを聞くと葉山は憐れむような目でこちらを見てきた。

「なぁ神沢。なにがお前をそうさせている? どうして誰とも関わろうとしない? どうしてそんなにかたくなに人との関係を拒む? そんなに人が嫌いか?」


 葉山がふところに飛び込んできたような気がして、俺は強い嫌悪感を抱く。そして心で「ああ、嫌いだ」とつぶやいた。


「いや、あのな、責めているわけじゃないんだ」と葉山は俺の胸中を見透かしたかのように言った。「むしろオレと神沢は似た者同士だと思う。ああ、何を隠そう、実はオレにも人間不信の傾向があるにはあるんだ。ただ何が違うかって、だからといって俺は孤独を自分にいる勇気がない。孤立は、一人になるのは、なんだか怖いからな。でもおまえは何も恐れることなく孤立をつらぬいている。神沢、正直に答えろよ。おまえさ、教室で誰とでもヘラヘラ喋ってる俺を見て『馬鹿だな』って思っているだろ?」


 常に人の輪の中心にいるこの男にも人間不信の面があるなんて、にわかには信じられなかった。とりあえず俺は彼の質問に「思う」と即答した。


「だよな。だってオレが自分で思っちゃってんだもん」葉山は自嘲する。「オレ今なにやってんだろうって。『あ、こいつ信用できない』とか『なんだか嫌な奴だなぁ』とか思っても、うまく対処しちゃう変なテクニックが身についちゃっててな。オレはそんな自分が嫌いだ。ま、あいつらとの交友をやめる気はないけどな。だがな、ああやって和気あいあいと談笑していても、心の中では結構、葛藤してるんだぜ」


 それはむしろ世渡り術としては望ましいスキルじゃないかと思ったが、話に水を差すので黙っていた。


「だから」と続けて葉山は強く拳を握った。「だから神沢。おまえにはダチになってもらう。高校生のあいだくらい、俺は本当に仲良くしたい奴と仲良くする」


「お、おい、ちょっと待て」葉山に丸め込まれるような気がして、俺は慌てて口を開いた。「こっちの気持ちはどうなるんだよ。俺は友達なんか要らないって言っているだろ」


「ここまで頑固だとは、さすがに思わなかった。仕方ない」

 葉山はそう言うと、ブレザーの内ポケットから折り畳まれた紙を取り出し、俺に手渡した。


 開いてみるとそれは、何かの解答用紙であることがわかる。そして次の瞬間、絶対に見てはいけないものを見ているような、ぞくっとした悪寒が俺を襲った。


「おい葉山! これって――」二の句が継げない。


 彼は後ろめたそうに浅くうなずいた。「そうだ。鳴桜高校ここの入学試験だ」


 氏名欄には手紙と同じ筆跡の「葉山太陽」という記述があるものの、紙上の全ての回答欄は枠だけぽつんとあって、まったく手付かずになっている。


 もちろんこれでは、点数は0だ。


 確実に不可解な点が二つあった。


 ひとつは、入学試験の回答用紙であるにもかかわらず、生徒本人がこの紙を所持しているということ。小テストや学期末考査でもあるまいし、そんなことはあり得ないはずだ。


 そしてもうひとつは、進学校と認知されている鳴桜めいおう高校の入学試験で、一教科とはいえ0点を取った人間が、生徒として今俺の目の前に立っているということである――。

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