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最終話 ずっと待ってる

『病院の屋上、来て。明日乃と一緒に待ってる』


 血液にまみれた状態で夜闇の中を歩いていたところ、唐突に紅葉からLIMEメッセージが届いた。


 もう紅葉と顔を合わせるつもりは無かったのだが……。


 最後だ。


 俺は、簡単に『わかった』とメッセージを返し、病院へと歩き出した。


 道中、公園のトイレで汚れた制服から学校で使っていたジャージへ着替え、手や顔を水道水で洗う。


 さすがに、だ。


 病院内へ汚れたまま入るわけにはいかない。どう考えても面倒なことになる。


 せめて明日乃に会うまでは誰にも邪魔されないようにしないと。







 そうして、二十分ほどかけて、俺は病院へ辿り着き、屋上に出ることでのできる扉を開けた。


「遅いよ、結賀。すごく待った」


 ねっとりとした微笑を浮かべた、いつもの紅葉。


 そして、隣には虚ろな瞳で俺を見つめ、縋るように口角を少し上げる明日乃。


 メッセージの通り、幼馴染の女の子二人がそこにはいた。


 入院着姿で、二人並んで立ってる。


「……悪い。待たせた」


 しゃがれた声で返す俺。


 咳払いをし、それを解消させると、紅葉がクスッと笑み、俺を手招きする。


「もっとこっちに来て? そんな離れたところから謝ってくれなくてもいい」


「……」


「昔は私たち、もっと近いところでたくさん会話してた」


 そう言われると、確かにそうだ。


 晶の言葉がよみがえった。


 きっとそれをできなくさせてしまったのは紛れもなく俺のせいで、俺たちの関係はとっくの昔にそこで終わってたんだ。


 悲しくなる。


 そんな安っぽくて偽善的な思いを抱くつもりなんて微塵も無かったのに。


「……悪い」


 言葉少なに謝罪し、俺は二人の元へ歩み寄った。


 世間話をする距離にまで近付いたところで立ち止まる。


 俺は顔を上げなかった。


 二人の顔をちゃんと見るのが怖い。


 もしかしたら、明日乃と紅葉も心の奥底で晶と同じことを考えているかもしれない。


 そう思い始めると、恐怖でしかなかったのだ。


 ただ、何度も小さい声で繰り返す。


「悪かった」と。


 震えながら、何度も、何度も。


「悪かったって、何が?」


 紅葉が変わらない語調で問うてくる。


 何が。


 決まってる。


 晶のこと。


 晶の言っていたこと。


 俺が四人の関係を破壊したこと。


 こんな状況にさせてしまったこと。


 取り返しのつかないところまでやってしまったこと。


「もしかして、晶に言われた?」


 紅葉の言葉に体をビクつかせてしまう。


 顔も上げた。


 すると、彼女は続けて、


「明日乃から聞いてた。結賀が一人で晶のところ行ったって」


「え……」


「そこで言われたのかな、と思ってね。四人の関係を壊したの、全部結賀のせいだって」


「っ……!」


 息を呑む。


 その反応は、あまりにわかりやすかったらしい。


 紅葉は「うん」と頷き、


「やっぱりそういうことだったんだ。いいよ、気にしないで。晶は普段から私にもそのこと言ってるし。全部結賀が悪い。結賀のせいでこうなったんだって」


「も……紅葉……」


「何か勘違いしてる。私のことも、晶は結賀から寝取ったって思ってるみたいだし」


「……え?」


「気持ちはいつだって結賀にしかなかったのにね。そこに気付けてなかったみたい。まあ、私が気付かせないようにしてたのもあるんだけど」


 夜闇の中で笑う彼女の表情はなぜかよく見えた。


 反対に明日乃の顔はあまり見えず、暗闇に紛れている。


 どうしてだろう。


 あまり笑わないから、か? 明日乃が。


「……紅葉。少し質問させてくれ……」


「……うん。いいよ」


「晶から聞いた……。二人が車に轢かれたのは、あいつの命令だった、と。……なんでそんなめちゃくちゃな命令を聞いた?」


 最悪死んでたんだぞ。


 付け足すように言うと、紅葉は視線をやや下に移動させ、ぽつりと返してくる。


「簡単だよ」と。


「私ね、実は明日乃と一緒に死ぬ予定だった。明日乃が死ぬつもりだったこと知ってたから、そこで私も死ねば一人じゃないやって思って」


「……死ぬ……予定だった? 明日乃と……?」


 紅葉は頷き、


「もちろん、そのことを明日乃は知らなかったと思う。でも、私は知ってたの。強くて堂々としてる裏で、晶に酷いことされて、精神的に終わってたこと」


「ま、待ってくれ。じゃあ、何でそこからまた入れ替わりを演じてた? 俺を騙すようなことしてた? 明日乃の理由は聞いてる。俺に言えない秘密を守り続けるために、ただ言われたことを遂行してただけだって」


「好きってこと、伝えるためかな?」


「……え?」


「好きってこと、伝えるため。結賀に」


 意味がよくわからなかった。


 無言のまま、ただ首を傾げる。


 彼女は続けた。


「車に轢かれて、生きてられるなんて思ってなかった。絶対死ぬって思ってた。だから私はあの時、フードコートで結賀に好きって言ったの。何があっても好きだよって。最後だと思ってたし」


「……っ」


「けど、それでも私は生きてた。死なずに済んでた。それから入れ替わりを命じられた。明日乃の体でなら、私の『好き』も受け入れてもらえると思った。それが明日乃に対する受け入れだとしても、結賀から好意を認めてもらえるなら、何でもいいと思ってたから、私」


「そ……そんな……」


「後悔も……してる。勝手に一人ぼっちになろうとしてた晶を止めるためとはいえ、結賀を裏切るような真似もしたから」


「……」


「結局、私も元は晶と同じだったんだ。幼馴染として晶のことが好きで、明日乃のことも好きで、もっともっと、恋人として結賀のことは好き」


「っ……」


「……でも、だからって……晶は結賀から見たら『他の男の子』だもんね……。私、そこを全然理解してなかった……」


「……紅葉……」


「結賀に……酷いことした……。絶対絶対消せない……酷いこと……」


「そ、それは……!」


「でも、これだけはお願い。信じて欲しい」




 ――私ね、結賀のこと一番好きだから。




 そして、それは――




「結賀……私も……。私も……大好きだよ……結賀のこと……」


 瞳に涙を浮かべ、笑顔で言う明日乃。


 あぁ、見えた。彼女の顔が、ようやくちゃんと。


「ごめんね、結賀。わざわざここへ呼び出して。私たちが言いたいこと、それだけ」


「……? お、おい……? 二人とも、何でうしろへ歩いて……?」


 明日乃と紅葉は、俺の方を見つめたまま、後ろ歩きで後退していく。


 その先に何があるのかなんて、言うまでもない。


 何も無いのだ。


「何でって、決まってるよ。大好きな人を傷付けた私たちだもん。やることは一つ」


「……は……?」


「元々、こうする予定だったんだし」


「……! や、やめろ! やめてくれ、二人とも!」


 死んでいた心が一時的によみがえる。


 俺は弾かれたように駆け、明日乃と紅葉の歩みを強引に止める。


 そして、叫んだ。


「いい! 二人がそんなことしなくてもいい! 悪いのは全部俺なんだ! 俺だけだから!」


 二人は笑った。


「だから、結賀は悪くないよ? 悪いのはあなたを裏切った私だから」


「私がいると、結賀はまた傷付くよ。晶は、きっと私たちを引き合いに出し続けるから」


 違う。


 俺は叫んだ。


「晶はもういない! 俺が……! 俺が、今さっきナイフで刺してしまったから……!」


「……え……?」


「……殺したんだ、俺……晶のこと……。だから……もうあいつはいなくて……俺には……明日乃と紅葉しかいなくて……!」


「……」


「……何でもいい……お願いだ……お願いだから……死なないで……。傍に……傍にいてくれ……」


 涙ながらに願い、うずくまって手を差し出す。


 少しの間の後、俺の右手には、二人分の手が絡んだ。


 どうしようもない俺へ、片翼の天使が、自分たちの心に残った最後の慈悲を分け与えてくれるかのように。






●〇●〇●〇●






 何かを得た者が、何かを失うのは当然のことだと思う。


 その『何か』が具体的に何なのかは人によるが、俺の場合は二人の女の子の揺るぎない好意を得て、確かな時間を失った。


 亡くなった彼が得たものは……口にしたくない。


 でも、その代償に彼は命を失った。


 本当は俺と、二人の女の子を合わせた四人との関係をいつまでも、と望みながら。



















 明日乃と紅葉へ。


 いつか三人で暮らそう。

 俺がここから出るのはもう少しかかるけど、

 その時になったらきっと。必ず。












 結賀へ。


 ずっと待ってる。

 楽しみに待ってる。


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