明日乃の姿をした明日乃。
紛れもない彼女がいる病室で、俺は膝枕をしてあげながら、明日乃の頭を撫でてあげていた。
もう、何が現実で、何が幻なのか、嘘も真実も明らかにしたくない、壊れたような気持ちをギリギリのところで繋ぎ止めている状態だ。
どうして明日乃の頭を撫でられているのかもよくわからない。
でも、そんな中で彼女は確かに俺へ言った。
「一人で死のうとしてた。トラックに轢かれた時、死ぬことができなかったから」
と。
消え入りそうなほど弱り切った声音で。
「………………え?」
ドク、と心臓が気を吹き返したかのように大きく跳ねる。
聞き返さずにはいられなかった。
どういうことなのか。
何を言ってるのか。
「ど……どういう……こと? 明日乃……それは……?」
声をなんとか絞り出してみるが、それは明日乃以上に弱々しいもので、震え切っていた。
体もわかりやすく震えている。
「私にとって……一番大切なのは結賀。それは……絶対に変わらないことなの……」
「っ……」
「小さい時から……そう。いつだって……結賀は頼りになって……私を引っ張ってくれて……そんなあなたの傍に……ずっと……ずっといたいと思ってた……」
「あ……明日乃……」
「だから……紅葉の後だとしても……恋人になれた時は……涙が出るほど嬉しかったんだ……。私……がさつで……男っぽいところあるし……女の子として認識されてないんだろうなって……思ってたから……」
「そ、そんなこと……」
「うん……。それを……結賀は証明……してくれた。私と付き合うことで」
明日乃のことを男のように思ったことなんて一度もない。
俺にとっては一番古くから仲の良かった幼馴染の女の子で、いつも励ましてくれた大切な人だ。
「私ね……結賀とだけしたかった。……そういうこと」
「っ……!」
「好きな人とだけ……好きだよって想いを伝え合う……。それだけでよかったの…………・それが……よかったの……」
……だけど。
……だけど……ね?
明日乃の声が途切れ途切れに鼓膜へ伝わる。
それは深い悲しみを帯びたもので、徐々に嗚咽交じりのものになっていく。
ベッドの上。白いシーツに、ぽたぽたと彼女の涙が落ちて行き、シミを作り出していた。
「わたし……むりやり……やられた………………あきらに……」
「……は?」
「よる……そとによびだされて……なんにんかのひとにおさえつけられて……あきらが……あきらがぁ……!」
止まらない震えと訴え。それから涙。
明日乃は、自分の瞳から流れるそれを俺のズボンの上に落とすまいと、何度何度も拭う。
それでも、そんなことは無意味だった。
既に俺のズボンは彼女の涙に濡れ、ズタズタにされた俺の心も、徐々に鋭利なものへ変わっていく。
疑いなどしなかった。
明日乃がここに来て保身のために嘘をついているなんてこと。
そんなこと、そもそも明日乃はするような性格じゃない。
誰かを裏切るなんてことも、絶対にしない子だった。
それなのに、俺は……。
「……明日乃……」
「結賀……! 結賀ぁ……!」
ブルブルと震える彼女の体を起こして上げ、優しく抱き締める。
「こわい……こわいよぉ……! わたし……わたし……! やだ……! やだぁ……!」
きっとこの震えは、明日乃に植え付けられた数多もの恐怖によって起こってる。
大勢の男に取り押さえられて、そこで晶にやられた。
怖かったに決まってる。
いくら明日乃が強くたって、そんなものは彼女の表面だけだ。
「しないで……わたしを……ひとりに……しないで……おねがい……」
心の臓を貫きかねないその行為は、計り知れないダメージをその人に与える。
……許せない。
絶対に……。
絶対に。
「……明日乃。ごめん。一つだけ言っとく」
「………………?」
「大丈夫だから。明日乃を一人にはしないよ」
「…………ほん……と……?」
俺は頷いた。
涙に濡れる彼女を慰めるように、笑顔を浮かべて。
「どんな姿になっても、俺は明日乃を大切に想い続ける。そこに嘘偽りはない」
「…………結賀…………」
「だって、明日乃は昔と変わらないままだもんな。俺を大切に想い続けてくれる」
そう。
何があっても揺らがない。
それが式凪明日乃だから。
「だからさ、安心していい。安心して、ゆっくり眠っててくれ」
「結賀……?」
「俺は、ちょっと野暮用で出掛けてくる。すぐ戻るよ」
「ほんと……!? 私、結賀がいないと――」
「ほんと」
ほんとだ。ほんとに決まってるよ、明日乃。
「汚れてくるだけだから」
俺は、変わらず笑顔のまま言うのだった。
戻ったら、また一緒に二人で過ごそう。
平穏に。
誰にも邪魔されないよう、ゆっくりと。
そのためにはしないといけないことがある。
しないといけないことが。