「明日乃はさ、お前より先に俺のモノになってたんだよ。ハハハッ!」
「…………は…………?」
ズドン、と鈍器で殴られたような衝撃が頭に走った。
重く、それでいて意識を飛ばしそうなほど威力の高いもの。
けど、そこに痛みは無くて、体中が震え出す。
こいつは……晶は……今……俺になんて言った……?
「あ……あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
刹那。
呆然とし、体を震えさせるしかなかった俺の前で、明日乃は奇声を上げながら晶を叩こうとした。
晶はわざとらしく驚いたふりをし、それをひょいと躱す。
ベッドから離れ、不敵な笑みを浮かべながら俺へ近付いてきた。
「なぁ、結賀? どう? 絶望してる? 明日乃が自分より先に俺のモノになってるって知って。入れ替わりなんて起こってなかったって知って」
「違う! 違う違う違う違う違う違う違うぅぅぅ! 違うの、結賀! お願い、話を聞いて! お願いだからぁぁぁ!」
顔を歪ませながら、懸命に訴える明日乃。
涙を浮かべた目は血走ってて、いつもの姿からは想像できないものになっていた。
傷付いた体で無理やりベッドから出ようとし、バランスを崩して床に転がり落ちる。
そして、そのまま痛みなど気にせず、這うように体を引きずって俺の足元まで縋りついてきた。
俺は……彼女のそんな姿を見ても何も言えない。
ただ、体を相変わらず震わせ、明日乃を見つめるだけだ。
「結賀! 結賀! 聞いて! 私は違うの! 自分の意思で晶となんて――」
「はぁぁぁぁ!? ったくなぁ、ここまできて何を言ってるんだろうね、この女は! お前、アレいいの? 適当なこと言ったらもっと酷いことになるけど?」
醜悪な顔で明日乃を見下ろして言い放つ晶。
それを受け、明日乃は体をビクッとさせ、口元を震わせていた。
何だ……? アレって何なんだ……?
「……お……おい……晶……」
「あぁ? 何だよ?」
「……アレって何だ……? お前……明日乃と何を隠してる……?」
震えながらも俺が問うと、明日乃は強く首を横に振った。「やめて」と。
それを見て、晶はニタと笑った。
「へぇ。気になる? 結賀くん」
「……言えよ、早く……」
「やめてよ! 結賀、いいの! それは聞かなくても、私が――」
「言わせるわけねぇだろ! バカ女が!」
激昂し、晶の平手が明日乃の顔の側面へ思い切り入る。
バシッ、という強い音が室内に響き、彼女はその場に顔を突っ伏させた。
何でこんなことを。
こればかりは体の震えがどうだとか言ってられなかった。
俺は明日乃の身を案じ、彼女に寄り添った。
口元からは血が流れている。
それが涙と入り混じり、ぐしゃぐしゃになっていた。
「明日乃ぉ……! お前、わかってんだろうなぁ……? 勝手に結賀とイチャコラすんのは勝手だが、俺の知らないところで例の事言ってみろ……? 絶対に楽にさせてやらず、苦しみだけを与え続けてやるからな……! 覚悟しとけ……!」
肩で呼吸し、狂気の光を爛々と瞳に浮かび上がらせながら言う晶。
明日乃はそれに対し何も返答せず、ただ俺の胸に顔を寄せて泣いていた。
「それと、結賀」
「……何だ?」
「これだけは教えといてやるよ。明日乃と紅葉に入れ替わりを演じるよう言ったのは俺だ」
「お……お前が……!?」
「俺はお前を絶対許さない。お前に復讐して、絶望させて、徹底的に自分のやったことを後悔させてやる」
「っ……! 何でそんな……」
「何で? ハハッ! 何で、だと?」
嗤い、奴は俺の顔に自らの顔を近寄せる。
「決まってる。お前は俺から全部を奪っていったからだ」
「……は……?」
「奪うってことは、奪われる覚悟もあるってことだ。因果応報。お前はすべてを受け入れないといけない」
「だ、だからその言葉の意味を――」
「意味なんて自分で考えたらどうだ? もっとも、それを理解したところで今さら遅すぎるけどな」
ひとまず言えることは、と晶は嗤いながら宙を見上げ、
「明日乃のハジメテは俺が先に奪ってたから。いいもんだったぜ? ほんとよぉ」
そう言って、病室を後にして行くのだった。
●〇●〇●〇●〇●
「ぐっ……えぅっ……ひぃっ……! 結賀……ごめん……ごめんなさい……!」
「……いいよ。大丈夫。俺は……大丈夫だから。泣かないで」
晶が去った病室で、ぽつりぽつり、謝罪と赦しがひたすらゆっくりと繰り返される。
未だ止まらない明日乃の涙とごめんなさいの言葉。
俺は彼女をベッドの上にもう一度寝かせ、抱くようにし、なるべく安心させてあげながら隣で言葉を続けていた。
口元の傷から出てた血ももう止まってる。
俺の心の疲弊は止まることがなかったが。
「結賀……ごめんなさい……結賀……」
「…………大丈夫。もう……今日はこのまま眠って……」
「眠ったら……結賀は……?」
「俺は帰るよ。……頭の中……整理しないと……」
「……ごめんなさい……本当に……本当に……」
「……いいって。過ぎたことは……もう過ぎたことだから……」
――『ハジメテを奪ったのは俺だから』
瞬間的に晶の言葉は脳裏に浮かぶ。
体の力がただ抜けた。
明日乃が俺のことを想ってくれてるのはなんとなくわかってる。
ただ、それでも、俺と彼女の間に消えない呪いみたいなものがそこにあるような気がして、明日乃へ好意を向けるたび、ズキズキと胸が痛んだ。不安のような、恐怖のような、そんな痛みが。
「……ねぇ、結賀……」
「……ん? 何?」
だからか、明日乃の声を聞いても、今は正直それが痛い。
「私……さっきね……」
穏やかな声音だが、その一音一音が鋭い針みたいに刺さる。痛い。
「一人で死のうとしてたの。トラックに轢かれた時、死ねなかったから」
「………………え?」
痛い。