昔から嫌な予感を覚えると、その通りになることが多い人生だった。
晶が俺を敵対視し始めた時も、紅葉が俺以外の男と隠れて仲良くしていたのを知った時も、何もかも、何気ない予感から気付いたパターンがほとんどで。そのたびに俺は深い絶望を味わってきた。
そして、その絶望を味わった時、いつも変わらず傍にいてくれたのが明日乃だったんだ。
決して丁寧な慰め方をしてくれるわけじゃないけど、背中を叩いて、俺に笑顔を向けてくれる。
結局、明日乃だけがずっと隣にいてくれる。
俺に安心を与えてくれる。
彼女に関する悪い予感だって、今まで一度も覚えたことが無い。
明日乃は俺の味方。
どこまで行っても、きっと味方でいてくれる存在なんだ。
……そう思ってたのに。
「紅葉ッ!」
暗くなった夜の病院。
明日乃の姿をした、紅葉のいる病室。
俺はその一室の扉を叩くように開け、彼女の名前を強く呼んだ。
肩で呼吸をし、冷静でいられない頭をどうにかなるべく落ち着かせながら。
「あぁ、誰かと思えば。お前か、結賀」
その部屋にいたのは、紅葉一人ではなかった。
顔も見たくない男の姿があり、彼は何か意味ありげにほくそ笑む。
紅葉はベッドの上で上体を起こし、こちらを見つめてきていた。
一瞬悲しそうな顔をしていた気がするが、ただの勘違いか。わからない。
とにかく俺は有無を言わせぬまま問答無用に部屋の中へ入り、晶を無視して紅葉の元へ駆け寄った。
「紅葉。少し聞きたいことがある。お願いだから、嘘を付かず正直に答えてくれないか?」
唐突な俺の願いに、明日乃の姿をした紅葉は一瞬呆気に取られ、すぐさま温度の感じられない笑みを顔に浮かべた。
「珍しいね、結賀が私にお願いって。付き合ってた時以来かも」
「はははっ! へぇ~、そうなんだ~」
晶が俺を嘲るように笑いながら言う。
普段なら「黙れ」と反抗文句の一つでも返してたかもしれない。
が、今は状況が違う。
そんなことを一々気にしてる場合じゃなかった。
紅葉は俺の方を見ながら頷き、
「うん。いいよ。何? 聞きたいことって。嘘はなるべく付かないようにしながら答えるね」
なるべく、じゃない。絶対に、だ。
そう言いかけるも、野暮なことで会話を続けたくはない。
俺は聞きたいことを率直に口にした。
「お前……本当に紅葉なのか……?」
「……え?」
「紅葉、いや、明日乃は今、俺とのやり取りでお前のスマホを使ってLIMEしてる。それに対して違和感を覚えた」
違和感?
紅葉は明日乃の顔でキョトンとし、晶は傍で軽く笑った。
すぐさま俺は晶を睨み付け、
「おい。何が可笑しいんだよ?」
釘を差すようにして言う。
彼は笑みを浮かべたまま、
「別に。ただ、さすがだなって思っただけだ」
「……さすが?」
「ああ。さすが。もう少し、色々時間がかかると思ったから」
その一言で、心臓が震えるように跳ねた。
額には冷や汗が滲む。
いや、まだだ。まだ決まったわけじゃない。
視線の先を晶から紅葉へと戻し、俺は続けた。
「紅葉、どうなんだよ? お前は本当に紅葉なのか? なあ、答えてくれ」
「………………」
「おい……! 何とか言えよ! 言ってくれ! どうなんだ!? なあ! 紅葉!」
訴えても、明日乃の見た目をした紅葉は何も言ってくれない。
ただ俺の顔を無表情のまま見つめ、やがて――
「……………………」
両手で顔を覆った。
それから、下を向く。
まるで、答えられない質問をされた死刑囚のように。
「も、紅葉……? お、おい……」
「……どうして?」
「え……?」
「どうしてそう思ったの?」
くぐもった声で問うてくる彼女。
俺は身を乗り出すようにベッドに手を突き、言い放つ。
「不自然に感じた。入れ替わったはずの明日乃が紅葉のスマホのパスワードを解除して、さらにLIMEのパスワードさえくぐり抜けるなんて」
「……知ってたのかもよ? たまたま」
「そんなことがあるか! 明日乃は、俺が紅葉と別れてから、ずっと紅葉のことを毛嫌いしてたし、関わりたくもないって言ってた! それなのにスマホのパスワードなんて知るはず無いだろ!? 紅葉も教えるわけない! 普通に考えて!」
「………………」
「なあ、正直に言ってくれ! 入れ替わりが起こってたなかったのなら起こってなかったで構わない! けど、何でこんなことをした!? 示し合わせたかのように、何で!? あんな事故の直後だってのに!」
俺が言うと、晶が鼻で笑い、
「そんなの決まってるだろ? それは――」
「晶! やめて!」
ベッドの上にいる紅葉が声を上げた。
いや、違う。この感じ。
「お、お前……やっぱり……」
「っ……」
「あ、明日乃……。明日乃……だよな?」
声の張り上げ方でわかる。
紅葉はこんな風に叫ばない。
目の前の明日乃は、紛れもなく俺の知ってる式凪明日乃だった。確信した。
「明日乃……ほんと……どうしてこんな……?」
「…………結賀……私……私ね…………」
両手を顔から離し、彼女は涙を瞳に浮かべながら俺の名前を呼ぶ。
――が、悪魔のような男は、言葉を続けようとする明日乃の発言を邪魔し、確かにこう言った。
「残念だねぇ、結賀。明日乃さ、お前よりも先に俺のモノになってたんだよ」