「……どうしたの結賀? そんな浮かない顔して」
ベッドで上体を起こし、窓の外を見つめていた明日乃から、穿ったようなことを言われる。
簡易椅子に座っていた俺は、つい頓狂な声を上げ、慌てふためいたような反応をしてしまった。
図星を突かれたのは一目瞭然。
隠し事も既に無意味だ。考えていたことを正直に話すことにした。
「……俺、晶のことが嫌いだ。今さら何言ってんだって感じだけど」
明日乃は少しばかり間を空けて「うん」と頷く。
見た目は紅葉だから、頷いた時に耳に掛けていた髪の毛がハラリと落ちるのも、かつてと同じ。
紅葉と付き合っていた頃の記憶が軽くよみがえり、一瞬胸がズキリと痛んだ。
「あんなことされたんだもん。嫌いになって当然だよ。逆に嫌いにならない方がおかしいと思う」
「……だよ、な」
「結賀は優しいよ。普通……なのかはわからないけど、大抵の人は晶みたいなことしてきた人、二度と顔も見たくないと思う。だけど、まだ晶と顔を合わせて、無視もせずに会話だってしてるから」
「……それって、本当に優しいってことになるのかな?」
「……え?」
明日乃が疑問符を浮かべる。
俺は座ったまま顔をうつむかせ、そのまま続けた。
「いや、優しいってことにならないと思う。自分のことだ。それくらい理解してる。明日乃に言わなくたって」
「結賀……?」
「俺はさ、夢みたいなことを望みすぎなんだよ。昔からずっと思ってたんだけど、紅葉と晶が辛い思いをしなくていいような場所を作ってやろうって考えすぎてたんだ。そんな器用なこと、簡単にできるはずないのに」
「……」
「時間と一緒に人が変わっていくってことを何も考えてなかったんだよな。俺も、明日乃も、晶や紅葉だって、環境や触れるもので全然変わる。それをまったく頭に入れてなくて……」
「結賀……」
「だから、変わってた晶にも、紅葉にもまるで気付けなくて、偉そうで独善的で、傲慢なことばかり言ってたんだ。自分一人でできることを見誤りながらさ」
「そ、そんなことないよ。結賀はいつだって私たちのことを考えてくれて……」
「いいんだ、明日乃。何を言ったって現状が全部物語ってる。俺は……みんなのことを何もわかってあげられてなかったんだよ」
「そんなことないってば!」
明日乃の声が病室に響く。
体の正面をこちら側へ向ける彼女の表情は真剣そのもので、俺は少し気圧されてしまった。
何も言えず、ただ明日乃を見つめる。
彼女は悲しそうに、悔しそうにしながら、一転してポツリと小さい声で続ける。
「そんなこと……ない。そんなことないんだよ、結賀……。少なくとも、私は絶対に救われてる……救われてるんだよ……」
「明日……乃……」
「何なら……別にあの二人に結賀を理解してもらえなくてもいいと思ってる……。あなたのこと、独り占めしたい。私だけは、結賀の頑張ってるところ、優しいところ、全部知ってるはずだから」
「っ……」
「だから……ね? そんな悲しいこと言わないで? 結賀がこれ以上苦しんでるところ、見たくないから」
そう言って、明日乃は両手を広げ、こっちに来るよう俺に促してくる。
辛い思いも何もかも、すべてをかき消してくれそうな女神のように思えた。
気持ちが一気に明日乃へ依存していく感覚。
それに頭を支配され、俺は気付けば椅子から立ち上がり、彼女のいるベッドへ移動した。
ギシッと音がする。
ベッドの上に腰を下ろし、明日乃へ体を預ける。
もう何も考えなくていい。すべてを肯定してあげるから。
彼女の体温、息遣い、呼吸のすべてからそう言われてるような気がした。
涙が出てくる。
いっそのこと、明日乃だけを残してすべて捨て去ればいいのに。
空虚で情けなくて、独りよがりだった正義感なんて。全部。
「……晶に何か言われたんだよね? 知ってるよ、私」
明日乃の穏やかな囁き声が耳に伝わる。
俺はゆっくりと小さく頷いた。
「……ひどいよ。結賀のこと、何もわかってないくせに……」
「明日乃……でも俺は……」
「いいんだよ。もう、全部投げ出そ? ひどい人たちのことなんて、全部」
「……明日乃……」
「それで……私だけのことを見てればいいの……結賀のことを一番わかってる私のことだけ……」
目の前の明日乃の顔は紅葉だ。
わかってる。
けど、こうして近くで見つめ合ってると、俺はまた紅葉と一緒にいられているような感覚になって、許されてるような感覚になる。
そう。
明日乃と、紅葉の二人を感じられて、俺は気付けば涙していた。
「苦しい……苦しいよ……明日乃……」
「うん……私のところだけにいればいいよ……もう大丈夫だから……」
「っ……うぅ……ぁぐっ……」
「ずっと……ここだけでいいから……ね?」
沈みかける夕陽が照らす病室内で、俺は明日乃に抱かれながら泣いた。
もう、しばらくは何も考えたくない。そんなことをひたすら思いながら。
◯●◯●◯●◯
その後、俺はひたすら明日乃に撫でられながら、ただ彼女の言葉を聴き続けていた。
もう晶と紅葉には関わらないでいい。
話しかけられても無視していい。
退院したら、私が守ってあげる。
何もかも、嫌なことから私が守ってあげる。
恥ずかしいことも、何もかも、全部打ち明けて、本当の意味でお互いを知り合いたい。
だって、私は幼馴染だから。
ずっとずっと結賀のそばにい続けた幼馴染。
死んでも、ずっとずっと一緒な関係。
それで、高校を卒業したら二人で町を出るの。
二人だけの世界を作ろう?
私が望むのは、それだけだから。