気だるい感覚と共に、意識がゆっくりと何かに引き上げられる。
それは、悪魔のような存在から助け、俺を光へ導いてくれるような、そんな手だった気がする。
「うっ……うぅ……」
言葉になっていない声を漏らす。
喉に何か引っかかっているようで気持ち悪い。ちゃんと音となって出ていってるのか怪しい。
けれど、そんな俺の声に反応するように、誰かの声が応えてくれる。
視界も開けてきて、そこには――
「結賀……! 目、覚めた……? 大丈夫……?」
入院着に身を包んだ女の子がいた。
――紅葉。
その顔を見て、反射的にギョッとする。
が、
「結賀……! 良かった……! 結賀ぁ……!」
声質。俺の頬を撫でる感じ。雰囲気。
それは、帰る場所のように安心できる存在で、俺の恋人である式凪明日乃のものだ。
憑き物が取れたように安堵した。凝り固まっていた体から力が抜ける。
ここにあいつはもういない。
目の前にいるのは、明日乃だけみたいだ。
「明日……乃……」
「うんっ。私、式凪明日乃だよっ。紅葉じゃない。明日乃。大丈夫? わかる? ちゃんと認識できてる?」
「できてる……けど……痛いよ。そんな頬をグニグニやられたら……」
「あっ、ご、ごめんねっ!」
ハッとして、俺の両頬へ添えていた手を離す明日乃。
俺は力無いながらも笑む。
怪我人でもないくせに明日乃のベッドへ横たわってる。二人でいるから、まあまあ狭かった。
「謝るなら……俺もだ。なんか……ごめん。急にだっただろ……? 意識失くしたの」
「別に謝らなくてもいいけど……う、うん。急には急にだった。私が目を覚まして、それでいきなり紅葉がいて、結賀も苦しそうにしてたから」
「病院の先生とか……看護師さんにはバレなかった……?」
「バレなかったよ。どうにかね。……紅葉追い返す時、バレるかと思ったけど」
言いながら、明日乃は表情を暗める。
きっと、かなりの言い合いをしたんだろう。紅葉をここから追い出すために。
「ほんと、最悪……。どうしてこんなことになっちゃったんだろ。紅葉がやったこと、これからは私のやったことになっちゃうんだよ……? あり得ない……本当に……」
「……明日乃……」
「私も紅葉の姿だし……晶もきっと私が明日乃だって気付いてないと思う……いったいどうしたら……」
「…………それは……言えばいいんだよ。俺たちが」
「……え?」
気だるかったが、俺は上体を起こしつつ続ける。
「この入れ替わりを無いものにしてるのは、紅葉の仕業だ。あいつが明日乃の体のまま明日乃を演じてるから、周囲には入れ替わってるのがバレない。でも、それで騙せてるのは、俺たちのことを何も知らない他人だからだよ」
「他人……?」
頷き、続ける。
「晶ならきっと明日乃と紅葉の少しの違いだって気付く。いくら紅葉が明日乃を演じてようと、それはバレるはずなんだ」
「……そうかな?」
「そうだよ。で、それでもしもバレないようだったら、今度は俺たちが入れ替わってることを証明する。簡単だ。医者とか看護師とか、そういう他人なら信じさせるのにかなりの苦労を要するけど、晶は簡単。絶対紅葉にも舐めたことはさせない」
もう、絶対。
静かに力強く言い切る。
でも、明日乃の表情は明るいものにならなかった。
「……だね……うん…………あはは。晶に私たちのことしっかり理解してもらえば……おかしなことにはならない……よね」
無理に作った笑い方。
恐らく、不安なんだと思う。
俺は明日乃の体を横から抱き締め、
「……大丈夫。明日乃のことは絶対俺が守る……絶対に」
自己暗示のように言うと、彼女は小さい声で「うん」と返し、俺の抱擁を受け入れてくれた。
寂れていた心が温かくなっていく。そんな感覚だった。
●〇●〇●〇●〇●
ふと、考えることがある。
仲の良かった四人の関係が崩れ去ったのは、いったいいつだったのだろう、と。
昔、小学一年生の時に知り合った俺たち四人は、互いを励まし合うようにして仲良くなった。
紅葉は父親がいなくて、晶は両親ともいない。
俺と明日乃は両親とも健在だったけど、少しでも二人のことを元気付けてあげようとして、それから一緒に行動するようになった。
今思えば、根本的にそれが原因だったのかもしれない。
冷静に考えてみれば、お節介で上から目線な関係構築だったのかもしれない、と。そう思うわけだ。
けれど、そんな風に晶は振る舞わなかった。紅葉も。
二人とも俺と同じ目線でいつも仲良くしてくれたし、俺だって晶や紅葉のことを色々な面で頼りにしてたんだ。
だから、それは俺の単なる被害妄想で、勘違いで、関係悪化の答えをただ出したがってる『早とちり』でしかないと思ってる。
あの関係にはもう戻れない。
でも、それでも。
俺は、その答えを苦労してでも見つけたいと、強く思ってるんだ。