結局、その日のうちに明日乃が目を覚ますことはなかった。
適当な椅子に腰掛けて眠り、紅葉、いや、明日乃の病室に泊まることも本気で考えていたが、さすがにそれは難しいらしい。
看護師に帰るよう促され、親からの電話も結構な件数に上っていた。帰るしかない。
しかし……。
「これだと、まるであの頃みたいじゃないかよ……」
病室から出て、真っ暗になった廊下で、一人唇を噛みながら呟く。
あの頃。
それは、紅葉と付き合ってた頃のことだ。
紅葉を心配し、紅葉の眠る病室から心配そうに出ていく。
中身は紛れもなく明日乃で、今正式に付き合ってる幼馴染の女の子だというのに、すぐ隣の窓に映し出されていた自分の姿が、愚かしい恋愛をしていた頃の自分と悔しいくらいに重なってる。
くそ……。
舌打ちし、駆けた。
一刻も早く、そんなくだらない想像を吹き飛ばしたい。
その一心で。
●〇●〇●〇●〇●
翌日。
重い足取りで教室に入るや否や、朝から俺の元には男女問わず人が集まって来た。
理由は決まってる。
式凪と現野は大丈夫なのか、と明日乃と紅葉の容態を確認するためだ。
噂が広まるのは早い。
既に二人が事故に遭ったことをクラスメイトは知ってたらしい。
「おい、織平! お前、二人が事故に遭った時、すぐ傍にいたんだよな!? どうなってんだよ!? どういう経緯でそんなことが起こった!? 説明しろよ!」
「そうだよ! お前の元カノと今カノだろ!? そうじゃなくても、二人は学年の中でも二大女神って言われてるのに! 何とか言えよ!」
「そもそも、事故ってどれくらいのものなんだ……? 死ぬ、とまではいかなくても、後遺症が残るってのも最悪だろ……」
「ちょっ、止めなよアンタ! そういう縁起でもないこと言うの!」
皆が皆、好き勝手なことを言ってくる。
まともに返す気が起こらなかった。
連中をスルーし、俺は自分の幽鬼のように自分の席へふらりと向かう。
「あっ! ちょ、ちょい待てよ織平! 何シカトしてんだ! 質問に答えろって!」
「……」
「ま、まさかだけどよ、あいつが二人を事故に遭わせたんじゃないか? それで何も喋らないとか」
「そ、それは無くない!? だって、式凪さんとは付き合ってるんだよ!? 現野さんとはいざこざがあってムカついて、みたいなことあるのかもだけど」
「んなのわかんねーよ! あいつ、いつも何考えてんのかわかんねー節あるし、それはほら、円居だって言ってたろ? 血も涙もないクズだよー、とか」
「それはちょっと……私怨とか入ってんじゃない?」
「お、おい、ちょっとそれくらいにしとけって。この距離だし、織平にも聞こえてんだからよ」
「……」
くだらない。
椅子に座り、机に突っ伏し、寝たふりを決め込む。
そんなに状況が知りたいのなら、いっそ本当のことを教えてやろうか。
命に別状はないが、二人の中身が入れ替わった、と。
しかし、果たしてそれを言って、こいつらは信じるのだろうか。
いや、信じてくれたとしてもだ。
話はややこしくなるし、かなり面倒になる。
これは俺たち、いや、俺の問題でしかない。部外者が知るべきことなんて何一つないんだ。
「聞いてんのか、織平! さっきから呼んでんだろ!? 二人は大丈夫なのかって!」
言われたと同時に、肩をいきなり小突かれる。
どうも静かにはさせてくれないようだった。
仕方なく顔を上げる。
「命に別状はない。それだけだよ。満足か?」
言って、また突っ伏してやった。
連中の反応など、一切気にせずに。
「……い、命に別状はないってお前! でも、二人とも車に轢かれたって聞いたぞ!? それ、本当なのかよ!?」
「こんな状況で嘘なんてつくわけないだろ? 素直に信じとけよ」
突っ伏したまま、声をくぐもらせながら返すものの、今度は女子が畳み掛けてくる。
「嘘はつく可能性あるよね? もしも仮に織平くんが加害者なら、それを私たちに素直に言う方が可能性として低くない?」
「確かに! ほら、どうなんだ織平!?」
隠すことなく舌打ちしてやる。
あまりにも鬱陶しいので、もう一度顔を上げて返す。
「意味わからんだろ。なんで俺が二人を事故に遭わせるようなことするんだよ。元カノでも今カノでもある以前に、あいつらは俺にとって幼馴染なんだよ」
「っ……」
苛立ちももはや隠さなかった。
連中を睨み付け、俺は続ける。
「そりゃ思うことはある。特に……紅葉には。けど、だからって、そんなバカみたいなことするか。あんまふざけたこと言ってるんじゃねぇよ、お前ら」
男子だろうと、女子だろうと関係ない。
誇張なく、殺意のこもったような瞳で睨んでいると、クラスメイト達は互い同士で目配せし、挙動不審になっていた。
「質問の回答は終わりだ。二人とも、命に別状はない。それ以外お前らに言うことなんて何もねーよ。部外者なんだから」
「っ……! な、何その言い方!? 黙って聞いてれば偉そうに!
「そ、そうそう! 二人が大丈夫ならいいけど、言い方考えなさいよ! 普通にムカつくんですけど!」
余計なことを言いながら、なおも突っかかって来る女子はスルーでいいだろう。
無視を決め込み、鼻で笑ってやったその矢先だった。
「本当だな。正木さんと倉本さんの言う通り」
聞き慣れた声。
晶だった。
晶がそんなことを言って、こちらに歩み寄って来た。
「今のお前が偉そうなこと言える立場じゃないでしょ、織平。何彼ら彼女ら雑に扱ってんの?」
「……いきなり来て何だよ、お前?」
「別に。ちょうどお前のクラスの傍通りかかったら、俺の幼馴染二人を傷付けた加害者が何か偉そうにモノ言ってたからね。聞き捨てならないな、と思っただけだよ」
晶の発言を受け、周りのクラスメイト達もざわめき立つ。
加害者。
その言葉が、さっきまでの俺のセリフを無意味なモノへとまた変えていっていた。
やっぱり、織平結賀があの二人を傷付けたのだ、と。
「だって、普通あり得ないだろ。明日乃と紅葉はちゃんと信号を待ってたのに、車と接触するだなんて。誰かが車道の方へ突き飛ばしたとしか思えない。誰かがね」
冷たい瞳で俺を見つめ、強調させる晶。
そこに居なかったくせに、こいつは何をわかった風に言ってるんだ。
「しかも、明日乃はお前とくっついてたらしいじゃないか。それなのに、車と接触? はははっ! そんなの、もう確信犯だよね」
「待てよ。何でそこに居なかったお前が俺と明日乃がくっついてたとか、詳しいこと知ってる? まさか――」
「聞いたんだよ。明日乃本人にね。昨日、病室で」
明日乃本人……? 昨日……? 病室で……?
こいつ、もしかして……。
「お前、それ本当に明日乃から聞いたのか? 明日乃じゃなくて、紅葉じゃないのか?」
「は? 何言ってる? 明日乃だって言ってるだろ? 式凪明日乃の病室で、彼女からしっかり聞いたんだ。訳の分からないこと聞くのはやめろ。クズ野郎」
「っ! バカかお前! それ、実は中身――」
「はいはい。もういいよ、お前とは話し込むつもりはない。もう口も聞きたくないレベルだしな」
それはこっちのセリフだが、奴の認識をそのままにしておくのは危険だ。
俺はなおも晶へ突っかかるのだが、
「皆、こいつ、織平結賀は嘘つきだよ。明日乃と紅葉を傷付けたのは、間違いなく織平だ。間違ってない」
「は!? お前、ほんと何言って――」
「やっぱそうなのかよ!」
「はぁ!? サイテーじゃん!」
「ヤバすぎじゃない!? 殺人犯じゃん!?」
「こっわ……あいつやっぱり……」
「ちょ、お、おい! お前らな!」
認識の訂正を求めようとするも、既に時は遅しだ。
クラスメイト達は、晶の言葉となると簡単に信じ、軽蔑するような目を俺に向けてくる。
歯ぎしりし、隣。晶を見やると、奴は醜く笑みを浮かべ、
「……やっぱ織平、お前は最低だな」
そう言い、踵を返して教室から出て行く。
「待てよ!」
先ほど自分がクラスメイトから言われていたセリフを奴に掛けるも、晶は立ち止まることなく歩いて行った。