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第2話 イレカワリ

「うぅぅ……明日乃……明日乃ぉ……」

「紅葉ちゃん……紅葉ちゃん……」


 あれから、どれくらいの時間が経ったのかわからない。


 病院の窓から見える外の景色は、塗りつぶされた黒の中で、所々街の光が白や赤、その他さまざまな色になって映ってる。


 もう夜だ。何時かわからないが、夜だった。


 わかるのはそれだけで、大まかな経過時間など、考える余裕も無かった。


 俺の立ってる傍。


 二つほど並べられたオペ室前の長椅子で、抱き合うように座って泣く明日乃の両親と、顔を抑え、一人で手を擦り合わせてる紅葉の母親。


 言葉が出なかった。


 呆然としながら、点灯している扉の上の【出術中】と書かれた文字を見つめてる。


 晶は来ないんだろうか。


 まあ、情報が行ってないのかもしれない。


 奴はあの場にいなかった。来なかったとしても、それはおかしな話じゃないか。


 死んだように、そんなことを考えていた矢先だ。


 こちらへ駆けてくるような足音。


 それは激しく、段々と近くなってきて、音の主が姿を現した。


「はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……! ここか……!」


 晶だった。


 円居晶まどいあきらが、俺の恋人だった紅葉を奪った幼馴染が、肩で呼吸をしながら顔を青ざめさせてる。


 ようやくか。


 ぼんやりと、そんなことを考えて奴の方を見つめ、俺はまたオペ室の扉の方へ視線をやる。


 明日乃の両親と、紅葉の母親は、縋りつくように晶の名前を呼び、心配かけて申し訳ない、と謝ってる。


 俺は奴を歓迎なんてしない。


 向こうだってそれを望んではいないはずだ。


 いや、それよりも、むしろいつも以上に苛立ちを募らせてるかもしれない。


「おい!」


 その予想は当たっていた。


 静かに、しかし威圧的に俺へ声を掛けてくる。


 声を掛けてくるだけじゃない。


 俺の肩を強引に掴み、怒りに満ちた顔で睨み付けてきた。


「話は聞いた。お前、二人と一緒にいたらしいじゃないか」


「……ああ。いたよ」


「何でだよ……!? 何でお前がいながら、紅葉と明日乃がこんな目に遭ってる……!」


「……」


「答えろよ! なあ、織平結賀!」


 端正で整った顔の、その両の瞳二つ。


 それらが、俺を突き刺すかのように睨み、見つめてくる。


 だが、今の俺がこの男を納得させるだけの言葉など持つわけがない。




 ――紅葉が明日乃を背後から押し、二人は一緒になって車に轢かれた。




 そんなことを言ってどうなる。


 信じられる訳がないし、何よりも証拠が無い。


 それに、紅葉が意図的にやったのかすら怪しかった。


 確定的なことは何も言えない。


「くそっ……!」


 突き飛ばすかのように俺の肩から手を離し、頭を抱える晶。


 その手は震えていて、奴は壁にもたれかかっていた。


「やっぱり……何もかもお前のせいなんだ……。お前が……こうしてまた……俺たちを引き裂く……」


「っ……」


「お前がそのつもりなら……俺だってお前から幸せを奪ってやろうって思ってたのに……! こんなこと……こんなことっ……!」


 こらえ切れなくなったからか、晶は唇を噛み、涙していた。


 俺は……。


「っ……!」


 自責の念に駆られ、拳を握り締めていた時だ。


 点灯していた手術中の光が消え、扉が開く。


 中から出て来た医者を見て、俺たちは一斉に視線の先をその人の方へ向けた。


「せ、先生! む、娘は……!? うちの娘は大丈夫なんですか!?」


 明日乃の父親がよろけながら駆け寄り、問う。


 手術服に身を包んだ医者は、隠すことなく、


「大丈夫です。ご安心ください。二人とも命に別状はありません」


 そう強く告げてくれた。


 安堵し、皆がまた涙した。よかった、と。


 俺もその場で膝をついてしまいそうだった。


 溜め込んでいた緊張が一気に解消された感じだ。


 涙も出てくる。感情もよみがえった気がした。


「――ただ、です。一つだけお伝えしておきます」


「は、はい……? 何でしょう……?」


 応答役は明日乃の父親。


 彼の反応を見て、医者は続ける。


「記憶障害、とまではいかないと思いますが、二人とも頭を強く打っています。しばらくは何が起こっても不思議ではない。最悪の可能性も考えておくべき、ということも伝えておかなければならない。そこは、我々からしてもどうしようもないことです。どうかご理解ください」


 安堵の中に、また不安が降り注ぐ。


 最悪のケース。


 それは、言うまでもなく考えたくなかったことだった。


 無言になる俺たちだが、紅葉の母親が応える。


「わかり……ました。そう……ですよね。あんな目に遭ったのに……何も心配しなくていいわけがない……ですよね」


「ええ。ただ、可能性の話に過ぎません。手術は成功しました。そこだけはご安心ください」


 その言葉を聞き、俺たちは否が応でも理解するしかなかった。






●〇●〇●〇●〇●






 それから、翌日。


 俺と晶は当然のように通ってる別々の学校へ行き、授業を受けていた。


 昼頃だろうか。


 明日乃と紅葉が無事意識を回復させ、記憶障害もなく、会話も普通にできるようだ、と両親から連絡が入った。


 それを見て、本当に一安心。


 放課後、面会もできるとのこと。


 当然ながら、俺は放課後になったタイミングで彼女らのところへ行こう、と思っていたのだが、少し時間を遅らせて向かった。


 理由は簡単だ。晶に会いたくない。ただそれだけだった。


 夕方の六時頃だろうか。


 暗くなってるようなタイミングだったが、俺は病院へ行き、まずは明日乃の部屋へ入った。


「明日乃……! だ、大丈夫か……!?」


 心配しながら入室したものの、彼女は事故に遭ったとは思えないくらい元気だった。


 ただ、どことなくいつもの快活な雰囲気は無く、落ち着きながら俺の心配を解消させてくれ、質問にも答えてくれた。


 その間、紅葉への文句はゼロだ。


 明日乃なら、きっと何か紅葉に対して一言でも言うかと思っていたのに。


「な、なあ、明日乃? 本当に……記憶とかは大丈夫なんだよな? 紅葉のこととか……覚えてるか?」


「……うん。覚えてるよ。私たちの幼馴染で、結賀の元恋人」


「あ、あぁ……。ま、まあ、覚えてるよな。さっきから色々質問してるのも答えてくれてるし」


「うん。心配しないで。怪我はしてるけど、記憶に別状は無いから」


 言って、にこりと笑う明日乃。


 俺もそんな彼女と一緒にどうにか笑みを作るのだが、何かがおかしかった。


 何か、言いようのない違和感がある。


「ねぇ、結賀? ちょっと……もう少しこっちへ来てくれる?」


「え……? あ、うん。いいけど……」


 距離を詰めるよう言われ、俺は椅子から立ち上がり、彼女のいるベッドに近寄る。


「私たち……今、付き合ってるよね?」


「あ、あぁ。付き合ってるな」


 俺の言葉に、また明日乃は笑んだ。


 ただ、その笑みがどことなく不気味に思えたのはなぜだろう。わからない。


「じゃあね、今から……キス……して?」


「え……!?」


「キス……して欲しい。ダメ……かな?」


「だ、ダメ……というか……あ、あぁ! ダメだよ! 明日乃、今体怪我してんだし、安静にしとかなきゃ!」


「怪我なら大丈夫。ねえ、お願い。結賀。私とキスして?」


「だ、だからダメだって……! こんな時に何を――」


 言いかけたところで、俺は明日乃に両頬を掴まれ、そのまま唇を奪われた。


「んぐっ……! んんっ……!」


 それも、軽いモノじゃない。


 舌の入ったモノだ。


「あ、あすっ……! ほ、っと……どうし……!」


「はぁ……はぁ……まだダメ……結賀……」


「んむっ……!?」


 一度離され、またキス。


 明日乃はこんなに深いキスをしない。


 舌を絡ませ、噛むような激しいキス。




 こんなキスをするのは……紅葉だけだ。




「――っ!」


 それに気付き、俺は強引に明日乃の体を振りほどく。


 息を荒らげ、頬を上気させながら妖しい瞳で見つめる彼女を見つめ返した。


「はぁ……! はぁ……! な、何で……あ、明日乃がっ……!?」


「……えへへ。明日乃はこんなキス……しない? 結賀」


「お、お前っ……!」


 ドクドクと心臓があり得ないスピードで鳴る。


 目の前の彼女は口元に指をやり、舌を小さく出しながら言った。




「また恋人に戻れたね」




 と。悪魔のような笑みを浮かべて。


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