「うぅぅ……明日乃……明日乃ぉ……」
「紅葉ちゃん……紅葉ちゃん……」
あれから、どれくらいの時間が経ったのかわからない。
病院の窓から見える外の景色は、塗りつぶされた黒の中で、所々街の光が白や赤、その他さまざまな色になって映ってる。
もう夜だ。何時かわからないが、夜だった。
わかるのはそれだけで、大まかな経過時間など、考える余裕も無かった。
俺の立ってる傍。
二つほど並べられたオペ室前の長椅子で、抱き合うように座って泣く明日乃の両親と、顔を抑え、一人で手を擦り合わせてる紅葉の母親。
言葉が出なかった。
呆然としながら、点灯している扉の上の【出術中】と書かれた文字を見つめてる。
晶は来ないんだろうか。
まあ、情報が行ってないのかもしれない。
奴はあの場にいなかった。来なかったとしても、それはおかしな話じゃないか。
死んだように、そんなことを考えていた矢先だ。
こちらへ駆けてくるような足音。
それは激しく、段々と近くなってきて、音の主が姿を現した。
「はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……! ここか……!」
晶だった。
ようやくか。
ぼんやりと、そんなことを考えて奴の方を見つめ、俺はまたオペ室の扉の方へ視線をやる。
明日乃の両親と、紅葉の母親は、縋りつくように晶の名前を呼び、心配かけて申し訳ない、と謝ってる。
俺は奴を歓迎なんてしない。
向こうだってそれを望んではいないはずだ。
いや、それよりも、むしろいつも以上に苛立ちを募らせてるかもしれない。
「おい!」
その予想は当たっていた。
静かに、しかし威圧的に俺へ声を掛けてくる。
声を掛けてくるだけじゃない。
俺の肩を強引に掴み、怒りに満ちた顔で睨み付けてきた。
「話は聞いた。お前、二人と一緒にいたらしいじゃないか」
「……ああ。いたよ」
「何でだよ……!? 何でお前がいながら、紅葉と明日乃がこんな目に遭ってる……!」
「……」
「答えろよ! なあ、織平結賀!」
端正で整った顔の、その両の瞳二つ。
それらが、俺を突き刺すかのように睨み、見つめてくる。
だが、今の俺がこの男を納得させるだけの言葉など持つわけがない。
――紅葉が明日乃を背後から押し、二人は一緒になって車に轢かれた。
そんなことを言ってどうなる。
信じられる訳がないし、何よりも証拠が無い。
それに、紅葉が意図的にやったのかすら怪しかった。
確定的なことは何も言えない。
「くそっ……!」
突き飛ばすかのように俺の肩から手を離し、頭を抱える晶。
その手は震えていて、奴は壁にもたれかかっていた。
「やっぱり……何もかもお前のせいなんだ……。お前が……こうしてまた……俺たちを引き裂く……」
「っ……」
「お前がそのつもりなら……俺だってお前から幸せを奪ってやろうって思ってたのに……! こんなこと……こんなことっ……!」
こらえ切れなくなったからか、晶は唇を噛み、涙していた。
俺は……。
「っ……!」
自責の念に駆られ、拳を握り締めていた時だ。
点灯していた手術中の光が消え、扉が開く。
中から出て来た医者を見て、俺たちは一斉に視線の先をその人の方へ向けた。
「せ、先生! む、娘は……!? うちの娘は大丈夫なんですか!?」
明日乃の父親がよろけながら駆け寄り、問う。
手術服に身を包んだ医者は、隠すことなく、
「大丈夫です。ご安心ください。二人とも命に別状はありません」
そう強く告げてくれた。
安堵し、皆がまた涙した。よかった、と。
俺もその場で膝をついてしまいそうだった。
溜め込んでいた緊張が一気に解消された感じだ。
涙も出てくる。感情もよみがえった気がした。
「――ただ、です。一つだけお伝えしておきます」
「は、はい……? 何でしょう……?」
応答役は明日乃の父親。
彼の反応を見て、医者は続ける。
「記憶障害、とまではいかないと思いますが、二人とも頭を強く打っています。しばらくは何が起こっても不思議ではない。最悪の可能性も考えておくべき、ということも伝えておかなければならない。そこは、我々からしてもどうしようもないことです。どうかご理解ください」
安堵の中に、また不安が降り注ぐ。
最悪のケース。
それは、言うまでもなく考えたくなかったことだった。
無言になる俺たちだが、紅葉の母親が応える。
「わかり……ました。そう……ですよね。あんな目に遭ったのに……何も心配しなくていいわけがない……ですよね」
「ええ。ただ、可能性の話に過ぎません。手術は成功しました。そこだけはご安心ください」
その言葉を聞き、俺たちは否が応でも理解するしかなかった。
●〇●〇●〇●〇●
それから、翌日。
俺と晶は当然のように通ってる別々の学校へ行き、授業を受けていた。
昼頃だろうか。
明日乃と紅葉が無事意識を回復させ、記憶障害もなく、会話も普通にできるようだ、と両親から連絡が入った。
それを見て、本当に一安心。
放課後、面会もできるとのこと。
当然ながら、俺は放課後になったタイミングで彼女らのところへ行こう、と思っていたのだが、少し時間を遅らせて向かった。
理由は簡単だ。晶に会いたくない。ただそれだけだった。
夕方の六時頃だろうか。
暗くなってるようなタイミングだったが、俺は病院へ行き、まずは明日乃の部屋へ入った。
「明日乃……! だ、大丈夫か……!?」
心配しながら入室したものの、彼女は事故に遭ったとは思えないくらい元気だった。
ただ、どことなくいつもの快活な雰囲気は無く、落ち着きながら俺の心配を解消させてくれ、質問にも答えてくれた。
その間、紅葉への文句はゼロだ。
明日乃なら、きっと何か紅葉に対して一言でも言うかと思っていたのに。
「な、なあ、明日乃? 本当に……記憶とかは大丈夫なんだよな? 紅葉のこととか……覚えてるか?」
「……うん。覚えてるよ。私たちの幼馴染で、結賀の元恋人」
「あ、あぁ……。ま、まあ、覚えてるよな。さっきから色々質問してるのも答えてくれてるし」
「うん。心配しないで。怪我はしてるけど、記憶に別状は無いから」
言って、にこりと笑う明日乃。
俺もそんな彼女と一緒にどうにか笑みを作るのだが、何かがおかしかった。
何か、言いようのない違和感がある。
「ねぇ、結賀? ちょっと……もう少しこっちへ来てくれる?」
「え……? あ、うん。いいけど……」
距離を詰めるよう言われ、俺は椅子から立ち上がり、彼女のいるベッドに近寄る。
「私たち……今、付き合ってるよね?」
「あ、あぁ。付き合ってるな」
俺の言葉に、また明日乃は笑んだ。
ただ、その笑みがどことなく不気味に思えたのはなぜだろう。わからない。
「じゃあね、今から……キス……して?」
「え……!?」
「キス……して欲しい。ダメ……かな?」
「だ、ダメ……というか……あ、あぁ! ダメだよ! 明日乃、今体怪我してんだし、安静にしとかなきゃ!」
「怪我なら大丈夫。ねえ、お願い。結賀。私とキスして?」
「だ、だからダメだって……! こんな時に何を――」
言いかけたところで、俺は明日乃に両頬を掴まれ、そのまま唇を奪われた。
「んぐっ……! んんっ……!」
それも、軽いモノじゃない。
舌の入ったモノだ。
「あ、あすっ……! ほ、っと……どうし……!」
「はぁ……はぁ……まだダメ……結賀……」
「んむっ……!?」
一度離され、またキス。
明日乃はこんなに深いキスをしない。
舌を絡ませ、噛むような激しいキス。
こんなキスをするのは……紅葉だけだ。
「――っ!」
それに気付き、俺は強引に明日乃の体を振りほどく。
息を荒らげ、頬を上気させながら妖しい瞳で見つめる彼女を見つめ返した。
「はぁ……! はぁ……! な、何で……あ、明日乃がっ……!?」
「……えへへ。明日乃はこんなキス……しない? 結賀」
「お、お前っ……!」
ドクドクと心臓があり得ないスピードで鳴る。
目の前の彼女は口元に指をやり、舌を小さく出しながら言った。
「また恋人に戻れたね」
と。悪魔のような笑みを浮かべて。