――『好き』
そう一言だけ書かれたA5サイズの無地の紙。
それが、俺の家のポストには、半年ほど前から入れられ続けていた。
父さんも、母さんも、俺だってずっと不気味に思っていた。
何せ入れた人間が誰なのかわからず、誰に宛てられたものなのかもわからない。
襲われたり、という実害が出る前に、どうにかした方がいいのではないか。
そんなことを父さんは言ってたけど、実際には警察だって何かが起こってからじゃないと動いてくれない。
俺たちは、その不気味な一言にここしばらくずっと悩まされていた。
――が、だ。
それも、今日限りだった。
この手紙を書いていたのが誰なのか、それがわかった。
「――それで、どうして今さらこんなもの
ショッピングモールのフードコートにて。
俺の隣に座ってた幼馴染――
矛先は、テーブルを挟み、一人で座ってるもう一人の幼馴染――
「………………」
紅葉はうつむき、何も答えようとしない。
長く伸ばされた栗色の前髪は、彼女の瞳を隠し、表情をも見えづらくさせていた。
ただ、ひたすらに沈黙を貫いている。
「ねえ、どうしてなのか聞いてるの。答えなさいよ?」
「………………」
「まさか、あんなことしたっていうのに、まだ結賀のことが好き、とは言わないわよね?」
「………………」
「もしそうだって言うんなら、アタシからは一言しかない。『ふざけないで』ってことだけ。あれだけ結賀を傷付けておいて、よくそんなことが今さら言えるわねって」
「………………」
「ねぇ! 答えたらどうなの!? そうやって黙ってないで! ちょっとは元カレの気持ち、考えてあげなよ! バカ!」
声の大きくなり始めている明日乃を、俺は隣からなだめる。
周りにいた人たちも、何人かがこちらを見てきていた。
「明日乃、俺ならその……大丈夫だから。もう少しだけ抑えてくれ」
「無理よ、そんなの! アタシ知ってるもん! 結賀、この女に散々傷付けられてた! それなのに……今さらって……アタシ黙ってられないよ……」
言いながら、涙声になっていく明日乃。
俺はそんな彼女の手を握ってあげた。
「ごめん。ありがとう」と、感謝の言葉を口にして。
それから、目の前にいるもう一人の幼馴染へ視線をやる。
うつむいたままだけど、関係なく切り出した。
「……紅葉、どういうつもりかはわからないけど、俺も明日乃と同じことを言うよ」
「………………」
「……今さら過ぎる。俺からすれば、もうお前がどう思ってるかとかは、その……どうでもいいんだ」
「………………」
「もちろん、好きだった。好きだったけど、あんなことが起こったし、忘れる努力だってかなりしたんだ。それこそ、結構な力使ってさ」
「………………」
「まあ、裏を返せばそれくらい好きだったってことだけど……はは。仕方ないよな。紅葉は、俺より
「………………」
「ごめんな。そういうことだから」
言って、俺は目元を赤くさせてる明日乃に「行こう」と呟く。
席を立ち、立ち去ろうとしたところ、だった。
「……待って」
顔を上げず、一つも口を開かなかった紅葉が、前髪で目元を隠したまま言ってきた。
去るつもりだったのだが、動きを止めてしまう。
彼女の方をジッと見つめ、
「……どうかしたか?」
そう問うた。
紅葉は、今度は答えてくれた。
「……私も……帰る。一緒に……おうちまで帰りたい……」
「ふざけないでよ! 何でアタシたちと紅葉が一緒に帰んなきゃいけないの!? 結賀のこと裏切ったくせに!」
「……明日乃……」
涙ながらに言う明日乃に対し、俺も胸の辺りがズキズキと強く痛み始め、名前を呼んでしまった。
もう感じたくない、あの痛みだった。
「アタシたちにはもう近付かないで! あんたのこと見るたびに結賀は努力して忘れたこと思い出す羽目になるんだから! さっさと一人で帰ってよ!」
「……嫌」
「嫌じゃない! 消えて! 消えてよ!」
「……消えない。私、まだ結賀のこと……好きだから」
「うるさいっ! 結賀と今付き合ってるのはアタシなんだからっ!」
肩で呼吸をし、涙の流れた顔のまま叫ぶ明日乃。
さすがにここまでだ。
周りもチラチラ見ていたところから、ざわめき始めてる。
俺は明日乃を抱き寄せ、紅葉の返事など無しに踵を返して歩き出した。
紅葉は、俺たちの後をついてくる。
少しだけ距離を空け、トボトボと、一人で。
不気味ではあったし、俺も明日乃と同じ気持ちだった。
申し訳ないが、不快に思う。
何を考えて、彼女は俺に向かって「好き」と告げてきたのか。
晶と一緒になって、嫌なことでもできたのだろうか。
わからない。
でも、そんなことはもう俺からすればどうでもいいことだ。
考えたくない。
紅葉のことで、また悩んだりしたくない。
あの時のことは、思い出すだけでもおかしくなりそうだから。
「……っ」
「……」
ショッピングモールから出て、少しのところ。
目の前の横断歩道がちょうどタイミング悪く赤になった。
俺は、未だ泣いている明日乃を抱き寄せたままなのだが、すぐ真後ろに紅葉も立ってる。
気まずくて仕方ない。早く青に変わってくれないか。そう心の中で思う。
「……結賀」
「…………っ」
「私は……結賀のこと……まだ好きだからね」
「………………」
「何があっても……ずっと……」
目の前で、車がかなりの数走ってる。
それぞれにエンジン音を鳴らし、風を切り、街の音を飾っていた。
俺はその街の音を利用していたのだ。
車のエンジン音を筆頭とする、その街の音に意識を向け、紅葉の声をシャットアウトさせていた。
だから、かもしれない。
明日乃を抱き寄せる力が弱まっていた。
ボーっとし、眼前に見える赤が、青に変わるのを待ち続けるだけ。
その隙を紅葉に突かれた。
「――え……?」
突如として、ドン、と後ろから押されるような感覚。
何が起こったのかわからない。
わからないのだが、脳で理解するより先に、目で情報は得られる。
青信号でもないのに、明日乃が車道へ放り出された。
その後ろから、明日乃を押したであろう、紅葉の体も車道へ出ている。
プァァァァァァァァァァァァァァァァ!
激しいクラクションの音と共に、目の前で幼馴染の女の子二人が車によって吹き飛ばされる。
その後すぐに聞こえてきた悲鳴、動揺する人々を、俺は茫然としながら見つめていた。
飛んできた血液を、その頬に付着させて。