初恋はレモンの味という言葉があるが、本当にそうだろうか?
甘酸っぱいの意味を辞書で調べると『甘みと酸っぱみとがまじった味やにおい』とのこと。該当例がパイナップルやオレンジと言われると何となくわかる気がする。
それならレモンはと言われれば、誰がどう考えても甘くはない。きっとこの言葉を作った人間は、初恋なんてものは大半が酸っぱいままで終わると知っていたんだろう。
「「「「「ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデートゥーユー♪」」」」」
目の前のケーキにはイチゴやミカン、パイナップルにキウイといったフルーツが盛り沢山。生地にも挟まれている豪華っぷりだが、その中にレモンは当然入っていない。
そんなホールケーキが用意されている理由は、本日6月3日が阿久津の誕生日だからだ。
「「「「「ハッピバースデーディア○△×☆~♪」」」」」
肝心の名前部分で色々な呼び方が混ざると、阿久津は小さく笑顔を浮かべる。最後に夢野と火水木が綺麗なハーモニーを奏でた後で、少女は刺さっている蝋燭の火を吹き消した。
「おめでとうございます! ミナちゃん先輩!」
「……ミナ、おめでと」
「いやー、めでたいッスね」
まるでどこぞの新世紀なアニメの最終回を彷彿とさせる祝福の数々。この流れだと俺はペンギン役として『クックックァーッウッ!』とか言うべきなんだろうか。
ちなみにケーキは火水木の手作り。普段は飲み物を保管する程度にしか使われない陶芸室の冷蔵庫から、全員が揃うなり披露されたこのプレゼントには誰もが驚いた。
「こんなに祝われた誕生日は初めてだよ。本当にありがとう」
最近うちのクラスでは誰かしらの誕生日になると全員で同じお菓子を用意してプレゼントする謎の風習が生まれているが、ケーキ付きで誕生日を祝ってもらうことまでは流石にない。
しっかりと果物ナイフと紙皿も用意していた火水木が丁寧にケーキを切り分けていく中、早乙女と冬雪、夢野が各々用意したプレゼントを渡していった。
(ネック先輩)
「ん?」
(今日がツッキー先輩の誕生日だって知ってました?)
「まあな」
(じゃあひょっとしてネック先輩も、プレゼント用意してたりする感じッスか?)
「ああ、一応は」
まるで友達と思って声を掛けたら別人だった時の如く、やらかしたという表情を浮かべる後輩。どうやら今回の誕生日祝いは、火水木が事前に声を掛けた訳じゃないらしい。
「オレ、ちょっとトイレ行ってくるッス。先輩方は先に食べててくださいッス」
こっそり財布をポケットに入れると、テツは足早に陶芸室を去っていく。別に知らなくて当然なんだし、無理に用意しなくても無いなら無いで良いと思うんだけどな。
一つ一つのプレゼントに盛り上がる少女達を眺めながら一段落するのを待った俺は、鞄から小さな箱を取り出すと主役である少女に差し出した。
「これ、梅からだ」
「すまないね。いつもありがとうと伝えておいてくれるかい」
「ああ」
恐らくは阿久津も理解していたのだろう。預かった際に「17歳って結婚できるのっ?」などと間抜けな発言をした妹のプレゼントを受け取った少女は淡々と答えた。
俺の用意したプレゼントも一緒に渡さない理由……それは別に怖気づいた訳じゃなく、他でもない夢野からの指示だったりする。
『米倉君。そのシュシュ、どういう風に渡すか考えてる?』
『どういう風にって……普通に渡すんじゃ駄目なのか?』
『ちゃんと仲直りしたいなら、他の人と一緒に渡すより別のタイミングで渡した方が良いかなって。水無月さんもきっとその方が喜ぶと思うよ』
確かに冬雪からのバレンタインの時に焦らし効果の偉大さを知ったが、あれとこれとは違う話で阿久津が俺のプレゼントを待っているとは思えない。
夢野の言い分はいまいちわからなかったが、とりあえず従って損はないだろう。そんな安直な考えの俺は、火水木の切ったケーキを受け取った。
「……美味しい」
「本当だね。作るのは大変じゃなかったかい?」
「この程度なら朝飯前よ」
「ら、来年は星華が作ってみせます!」
ふわふわのスポンジに甘いクリーム、そしてフルーツのさっぱり感……なんて言ってみたものの味の良し悪しがわかるほどグルメじゃないし、不味いケーキに出会ったことのない俺にとっては例外なく美味しかったりする。
中身があり過ぎるせいで、フォークを突き立てたら横に倒れてしまったケーキを堪能していると、片手にコンビニ袋を携えた後輩が汗だくになって戻ってきた。
「ツッキー先輩、お待たせしましたっ! プレゼントッス!」
「まさかとは思うけれど、わざわざ買ってきたのかい?」
「うッス! つまらない物ですがどうぞっ!」
そう言うなり、テツは袋の中身を全員へ見せる。
それを見た俺はチラリと夢野を見ると、夢野もまたこちらを見て笑顔を浮かべていた。
「ツッキー先輩、それ好きっぽいんで店にあったのを買い尽くしてきたッス!」
やっぱり男って思考が単純なんだろうか。
一ヶ月分はありそうな棒付き飴を後輩が渡す中「シュシュにして良かったね」と言いたげな様子の夢野に、俺は苦笑いで応えるのだった。
★★★
「ちゃんと渡さなきゃ駄目だよ?」
「わかってるって。サンキューな」
「うん」
いつものコンビニ前で夢野と別れを告げた俺は家に到着すると、偶然を装うべく空気を入れたり油をさしたりと滅多にしない自転車整備をしながら阿久津の帰りを待つ。
ただ誕生日プレゼントを渡すだけの筈なのに、いざその時が近づいてくると無駄に緊張する不思議。通行人のフェイントが何度かあった後で、少女は姿を現した。
「よう」
「やあ」
季節は皐月から水無月に移り変わり、制服も衣替え移行期間。今日は暑いためブラウス姿の阿久津は、テツから貰ったと思われる棒付き飴を咥えながら挨拶を交わす。
そのまま横を通り過ぎて家へ向かおうとする少女に、俺は大きく息を吐き出した後で鞄から包みを取り出すと声を掛けた。
「あ、阿久津」
「何だい?」
「その……これ、俺から……」
「キミが? わざわざ帰り道で買ってきたのかい?」
「いや、用意してたんだけど、何つーか…………渡すタイミングが無くてさ」
「それは失礼したね。そういうことなら、ありがたくいただくよ」
いつも通り、淡々とした様子で少女は包みを受け取る。
「開けてもいいかい?」
「あ、ああ。大したものじゃないけど……」
阿久津は丁寧に包みを開けると、ゆっくりと中身を取り出した。
そして俺のプレゼントにしては予想外だったのか、やや驚いた反応を見せる。
「意外だね」
「実を言うと、夢野に手伝ってもらってさ」
「夢野君に?」
「ああ。この前の休みに一緒に買い物に行って、色々探したんだよ。他にもアクセサリーとか候補はあったんだけど、それが一番良いかなってことになってさ」
「そうかい。随分楽しい休日を過ごしたようで何よりだね」
「お、おう……」
「それじゃあ、ボクは失礼するよ」
阿久津は短く告げると、足早に去っていく。
仲直りもできないまま残された俺は、ポカーンと立ち尽くした後で小さく呟くのだった。
「…………失礼するよって、それだけかよ……」