「簡単な話さ。初詣に向かう途中で、梅君と夢野君の妹に会ったんだよ。別に梅君はキミについて何一つ話してはいないけれど、神社の裏か走ってきたキミを見れば察しが付く」
「じゃあ、電話の後で打ってたのは……」
「見たままの状況を梅君へ報告して、神社裏にいるであろう夢野君のフォローを頼んだ。彼女は妹と一緒に家へ帰ったそうだけれど、他に何か聞きたいことはあるかい?」
普段から推理小説を読んでいる、観察力と洞察力が優れた少女の質問へ首を横に振る。俺の意味不明な特技と違って、色々と人間関係を築く際に役立ちそうで羨ましい。
「しかし新年早々デートに失敗するなんて、キミも中々に馬鹿な男だね」
「言っておくけど、夢野とは偶然会っただけだ。デートなんかじゃない」
「ふむ。そうなるとキミが流していた涙は、悔し涙だったというわけか」
「何でそうなるんだよ」
「目を背けたね」
「っ?」
完全に無意識の行動だった。
俺の反応を見て確信を得た少女は、ジーッとこちらを見ながら問いかけを続ける。
「振られた涙の線は消えた。そしてデートじゃないからこそ、キミは彼女と一緒に初詣を回った。なら逆にデートになりかけたからこそ、キミは逃げてきたのかと思ってね」
「…………」
「もしくは夢野君に関する大切な記憶を思い出した結果、彼女が自分の関係性を知ったキミは耐えきれずに逃げ出した……とかかな。こちらの方が当たってそうだね」
まるで見ていたかの如く、正解を言い当てる阿久津。
隠したところで無意味だと頭が理解すると、ヤケになり全てがどうでもよくなった。
「そうだよっ! その通りだよっ! 夢野は俺を勘違いしてるっ! 本当の俺がどうしようもないクズ野郎だってことは、お前が一番理解してるだろっ?」
自分の過去を知る幼馴染に声を荒げて問いかける。
あの頃の俺はクラクラでも米倉櫻でもない、本当にどうしようもない奴だった。
「夢野は俺に恩を感じてたっ! 俺のことをヒーローだって言ったっ! でもそれは今の俺じゃないっ! アイツが信じてたクラクラは、もうどこにもいないんだよっ!」
ほとんど面影を残していない、ボロボロになったクラリ君のストラップこそ今の俺だ。
そんな自分の恥を晒していくと、治まっていた涙が再び目を覆い視界が霞む。
目の前に座る少女は、俺が袖で拭うより先に藍染めのハンカチを差し出してきた。
「確かにボクは最低だったキミを知っている……けれど、今のキミも見ているよ」
「!」
潤んだ視界でもわかる。
阿久津の言葉に嘘はなく、彼女は目を逸らさずに俺を見ていた。
その瞳には、米倉櫻が映っていた。
「成程ね。ようやく話が見えてきたかな」
受け取ったハンカチで涙を拭く俺を見て、少女は静かに立ち上がる。
そして財布を取り出すなり、すぐ傍にある自動販売機で缶を二本購入した。
「これでも飲んで、少し落ち着くといい」
長い付き合いだけに人の好みをよくわかっている幼馴染にハンカチを返すと、言葉に甘えて温かいコーンポタージュスープを受け取る。
飲み口部分の少し下部分を凹ますという、コーンの粒を残さないための雑学も知っている阿久津は、一口飲んだ後で両手を温める俺を眺めながら口を開いた。
「悔しいという感情は大切だよ。人は悔しさがあるからこそ、成長することができる。ただどんなに悔やんでも過去を変えることはできないし、過去に戻ることもできない」
仮に過去の自分へメッセージを届けられるなら、一体何を伝えるだろうか。
そんな空想は考えるだけ無駄だと言わんばかりの、至極真っ当な正論だった。
「世間は『後悔するな』なんて謳うけれど、人間である以上そんなのは無理な話さ。まあ多少なり後悔を減らそうと努力することはできるから、間違ってはいないのかな」
「…………」
「ただ人は後悔と向き合って生きていくものだとボクは思うよ。忘れたい過去だからこそ、大きな失敗をしたからこそ、その経験を土台に成功した自分を積み重ねていけばいい」
時には失敗から逃げるのもありだろう。
だけどいつかまた、その失敗と向き合う時がくるかもしれない。
「成功を積み重ねる途中で、また新たな失敗もする。その汚点は決して消えないけれど、薄めることはできる。砂漠に落とした一本の針を、探そうとする人はいないからね」
汚点なんて何一つ見当たらないような少女は、一呼吸置くように缶へ口を付けた。
「まあこれは、あくまでもボクの意見だよ。少なくともボクは、自分が今まで積み重ねた物を忘れたくない。例えそれが良い思い出でも、悪い思い出でもね」
「!」
その言葉は以前どこかで聞いたことがある。
確かあれは、陶芸室で一緒に勉強していた時だ。
『ボクは積み重ねたものを忘れたくない。ただそれだけさ』
阿久津がこの台詞を口にした理由。
それは俺か彼女に勉強する理由を尋ねたからである。
『人が人であるため』
その言葉の意味が、今なら少しわかる気がした。
きっと阿久津水無月は、阿久津水無月としてあり続けるために勉強しているのだろう。
数少ない汚点を隠すため。
後輩に慕われる先輩として、米倉櫻が誇りに思う幼馴染として見栄を張り続けるために。
「ありがとな」
気付けばそんな一言が、自然と口から洩れていた。
俺の言葉を聞いた阿久津は、缶の中身を飲み干すと淡々と答える。
「礼には及ばない……というより、言葉より態度で示してくれると助かるね」
「…………なあ、一つ聞いてもいいか?」
「何だい?」
「どうして俺を追いかけたんだ?」
夢野が神社裏にいたことを推理していたなら、彼女の元に向かう選択肢だってあった筈だ。寧ろ女同士であることを考えれば、そちらを優先しそうなものである。
「何かと思えば、そんなことかい?」
若干思い上がりだったかもしれない俺の質問に対し、少女は立ち上がるなり手にしていた空き缶をゴミ箱に捨てつつさらりと答えた。
「プレゼント交換のお詫び……いや、おまけとでも言うべきかな」
「は?」
「キミが受け取ったプレゼントは、他の皆が用意した物に比べていまいちだっただろう?」
「そんなこと気にしてたのか?」
確かにあのラインナップだと、阿久津のノートは劣っていたとは思う。
しかしそれならこのおまけは、他なんて比べ物にならないくらい嬉しいプレゼントだ。そう思いつつ、俺はおまけのおまけであるコーンポタージュスープの缶を開けた。
「人の気にする、気にしないなんて、案外そんなものさ。知らぬ間に誰かを救っていたり、思わぬ発言で誰かを傷つけることだってある」
「…………そうだな」
「いずれにせよ、夢野君には早いうちに詫びの一つでも入れておくことを奨めるよ」
「ああ。そのつもりだ」
「それじゃあボクは失礼させてもらおうかな。あまり遅いと親が心配するからね」
「じゃあな…………あ! 阿久津!」
「何だい?」
帰ろうとした幼馴染が、空を見上げた横顔をそのままこちらに倒したような角度で振り返る。まさかこんな形で、リアルシャフ度を拝めるとは思わなかった。
彼女が今の俺を見てくれているのなら、こちらも裏切るわけにはいかない。男女間の友情は存在する会の会長へ、俺は新年の挨拶を交わすのだった。
「あけましておめでとう。今年も宜しく」
★★★
家に帰った俺は、リビングでウトウトしながらテレビを眺めていた梅と鉢合わせする。協力してくれたことに礼を言うと、寝惚け半分の少女は事情を聞いてきた。
先に夢野へ電話で謝りたいことを説明すると、なら明日でいいよと部屋に戻る妹。梅梅がフメフメだったくらいだし、僅かに残っていた涙の痕は気付かれずに済んだようだ。
「…………」
深夜に迷惑じゃないかとも考えたが、それこそ逃げては駄目だろう。何度か深呼吸してから電話を掛けると、五回ほどコール音がした後で透き通るような声が聞こえた。
「もしもし?」
「ゆ、夢野。今、大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ」
普段と変わらない雰囲気だが、喋りは少しゆっくりとしている。
電話であり姿なんて見えないにも拘わらず、俺は頭を下げつつ謝った。
「その……今日は本当にゴメン……」
「ううん、私の方こそゴメンね」
「何で夢野が謝るんだよ? 悪いのは俺だっての」
「そんなことないよ。私にも悪いところ、あったから」
一体何をどう考えたら、そんな結論に辿り着くのか。
互いに自分が悪いと主張し続けてはキリがないので、話を先へと進めることにする。
「俺さ、ずっと疑問に思ってたんだ。同じ幼稚園だった知り合いに再会したくらいで、値札を貼ってまでアピールするのかって。普通そんなことしないだろってさ」
「うん」
「でも今になってようやく理由がわかって、夢野が俺との思い出を今でも大切に覚えてくれてるって理解したんだけど……えっと……その…………つまりだな…………」
色々と頭の中で考えていた筈なのに、ごちゃごちゃになって言葉が詰まってしまった。
何を伝えたいのかわからなくなり混乱する中、夢野は俺に優しく語りかけてくる。
「米倉君に知られたくない私がいるように、私に知られたくない米倉君がいる」
「え?」
「きっと米倉君の言いたいことは、そういうことかなって思って……違ったかな?」
「いや……その通り……だと思う」
「うん。それなら私も同じだから大丈夫。誰だって、嫌いな自分はいるよ」
寧ろ自分が好きな人間なんて、そう簡単にはいないだろう。
何となく肯定してしまった少女の言葉は、本当に自分が伝えたいことだったのか。改めて考え直していると、黙り込んだ俺を不思議に思ったのか夢野が口を開いた。
「米倉君?」
「あっ! わ、悪いっ! ちょっと考え事してて……」
「そっか…………ねえ、米倉君」
「ん?」
「実はあと一つだけ、私が返してない物があるんだ」
「返してない物……? えっと、要するにまた何らかの値段ってことか?」
「うん。これが最後の一つ。聞くか聞かないか、米倉君が選んでくれるかな?」
「……………………」
クラクラは俺であり、腐っていた米倉櫻もまた俺自身だ。
昔の俺を追っている少女へ、今の俺を理解して貰うため。そして彼女にはもっと相応しい相手がいることに気付いて貰うため、少し考えた後で俺は答えた。
「思い出す保証はないけど、それでもいいなら聞かせてほしい」
「ありがとう。私の方こそ、間違ってたらゴメンね」
「間違ってたら……?」
「うん。貰ったのは確かなんだけど、はっきりとした金額のわからないものだから」
「成程な。それで、いくらなんだ?」
120円に300円とくれば、最後は500円くらいだろうか。
そんな俺の予想とは裏腹に、少女は桁違いな驚きの金額を口にした。
「2079円……かな?」
「………………………………値段、間違ってません?」
敗走も迷走もしなくなった男は、店員ではない少女に金額を聞き返すのだった。