―― 一時間後 ――
「ふう、終わりっと」
そう声に出したのは残念ながら俺じゃなく、阿久津の方だった。
二人きりだというのに大した会話もなし……というよりも、人に見られながらの作業が苦手と言っていた彼女は、喋りながらの作業も駄目らしい。
何度か声を掛けてみたものの、返事を適当なものばかり。話しかけるなというオーラを察してからは、少女を眺めつつ油粘土みたいな感触の塊を水中で延々と握り潰していた。
「お疲れさん」
「そっちの進捗は?」
「キングスライムがスライム八匹になったくらいだ」
「まだまだ先は長そうだね。程々にして諦めたらどうだい?」
「愚問だな阿久津。今まで俺が諦めたことがあったか?」
「小六の家庭科で作ったエプロンは、確かキミだけが完成しなかった覚えがあるよ」
「う……」
「10万円貯まる500円貯金、習い事のそろばん、通信制ゼミの勉強、開設したブログ。他にも何かあったような気がするけれど、これだけの前例があれば確かに愚問だったね」
本当に容赦ないなコイツ。
まあどれもこれも紛れもない事実ばかりだから仕方ない。寧ろ『人生を諦めてる』とか、例え冗談でも言われたらどうしようかと思ったし。
「一応言っておくけれど、別にボクはキミが諦めがちな人間とは思っていないよ。エプロン以外は、続けた人より諦めた人の方が段違いに多いさ」
「ミシンの使い方が難しくてな」
「キミの場合、下糸を巻くのに夢中だっただけだろう? 最終的にはクラスメイトのボビンまで集めて、ボビンマスターを名乗っていた人間だからね」
「ボビンって響きからして好きだったんだよ! そもそもエプロンなんて作ったところで、料理もしない男子高校生に使い道があるかっての」
「ろくろを挽く時に使えばいいじゃないか」
「…………はっ!」
「エプロンを身につけるには、最適の環境だと思うけれどね。それじゃ、お休み」
長いポニーテールを揺らしながら、幼馴染の少女は去っていった。
家に帰ったら、どこぞに封印した作りかけの布切れを探してみようかな。
―― 二時間後 ――
「はあ~」
思わず溜息を一つ。これ絶対に握力上がるって。
水中で塊を掴んでは握り潰し、掴んでは握り潰しを延々と繰り返す。風呂の中で手をグーパーさせればわかると思うが、水の抵抗があるだけで拳が重く結構辛い。
なんかもう酷使し過ぎて、手の節々が痛くなってきた。
『♪~』
上にある音楽室から、ようやく合唱が聞こえ始める。幾度となく繰り返される発声練習に飽き飽きしていたが、歌になったところで知らない曲であり退屈なのは変わらない。
一旦バケツから腕を抜き、屈んだ状態から立ち上がると腰を曲げ後屈した。
もしも二時間前の俺に会えるなら一言伝えたい…………馬鹿な真似は止めておけと。
「くそ……ホワァタタタタタタタァッ!」
掌サイズだったスライムは倒したものの、水の上に残された大量のダマへと戦いは続く。
―― 四時間後 ――
「デデッデデッデッデ、テケテッ♪ デレデッテッテッテッテッテッテッテ、デッテッテッテッテッテッテッテ、デッテッテッテッテッテッテッテッ、テッテッテッテ♪」
「……何の曲?」
「ふぬぉあいっ?」
いきなり背後から掛けられた声に驚き、思わず身体がビクッと反応。撥ねた釉薬が頬に掛かる中、振り返るとそこには着替えもせず制服姿の冬雪が立っていた。
「い、いるならいるって言ってくれよ」
「……いる」
相変わらず眠そうな少女は、ポケットから可愛いキャラ物のハンカチタオルを取り出す。そして俺の顔についた釉薬を、優しく拭き取ってくれた。
「悪いな、サンキュー」
「……どう致しまして。センセイは?」
「そういや来てないな」
「……ヨネ、まだ溶かしてたの?」
「ダマは九割方潰し終えたんだが、まだ細かいのが少しあるんだよ」
冬雪は腕まくりをすると、俺の溶かしていた綺麗な青に右手を入れる。
「……これくらいなら大丈夫」
「おおっ! マジでかっ? なら早速……ん? 何だこれ」
「……それ、私の指」
「何だ、冬雪の指か」
危うく釉薬の塊が残ってたのかと思って、握り潰すところだった。
しかしプニプニして柔らかい指だ。ここが第一関節で、こっちが第二関節だろうか。
「……楽しい?」
「フニフニして気持ちいい」
「……人の指で遊ばないで、釉薬を掛けてほしい」
「ごめんなさい」
ちょっと照れ臭そうな冬雪と共に、手分けして作業を始める。溶かした綺麗な青を中心に、何個かは個人的に色が好きだったトルコ青や織部を掛けることにした。
釉薬を二重に掛けたり模様をつけたりと手慣れた少女に対し、普通に浸けるだけで手間取る俺。作業工程の差は明白にも拘わらず、先に終わったのは冬雪の方だった。
「どうもどうも、お疲れ様です。大分遅くなってしまってすいません」
俺の釉薬掛けが終わり、高さの低い作品から窯へ入れ始めたところで白衣の顧問が登場。状況を眺めた伊東先生は、足下に置かれた薄紫色の釉薬を不思議そうに見つめる。
「おや? これは……?」
「……綺麗な青?」
「こんな釉薬があったなんて、知りませんでしたねえ」
「俺が見つけました! 干上がってたんで、溶かしたんです!」
「そうだったんですか。しかし米倉クン、よく溶かし方を知っていましたねえ」
「溶かし方? 水を入れて混ぜるんじゃないんですか?」
「えっ?」
「えっ?」
「…………えっと、干上がった状態のまま水を入れたんですか?」
「はい。ひたすら握り潰して溶かしました」
「えっ?」
「えっ?」
何それ怖いみたいなリアクションをした伊東先生は、バケツを二度ほど見返す。
そしてその後で、物凄く気の毒そうな顔をされた。
「何と言いますか、大変じゃありませんでしたか?」
「ダマを潰すのが物凄く大変でした」
「そういう場合はある程度砕いた後で水を入れて、暫く時間を置いてから混ぜると簡単に分散するんですよねえ。水の染み込む力で、粒子が解れるんですよ」
「……知らなかった」
「……………………………………」
冬雪が知らないとなると、当然阿久津も初耳だろう。
そもそも元はと言えば俺が勝手に始めたことであり、彼女達は奨めるどころか制していた。普通に考えれば、二人へ何かを求めるのは明らかに筋違いである。
しかし何と言うかこう……救いが欲しい。誰かに俺の荒んだ心を癒して貰いたい。
「(チラリ)」
「……ドンマイ」
四時間の対価としては、あまりに寂しすぎる一言が返された。人事だけに一言ってか?
慰めの抱擁もなく(されたらそれはそれで困るが)これは握力のトレーニングだったと割り切る中、伊東先生は作品の位置を微調整してから振り返る。
「窯入れは先生がしておきましょう。焼き始めてから温度が安定するまでは結構時間が掛かりますから、お二人は休んでいてくだ…………はい、もしもし?」
話の途中で
「……(トントン)」
「ん?」
肩を叩かれ振り返ると、冬雪が真っ白な機械を持っていた。
パッと見た感じ音楽再生機器っぽく見えるが、そんな物をいきなり俺に見せつけて一体何だと言うのか。
「ふぁあ。何だよ冬……き……?」
機械の先にぶら下がっている、妙な物に気付く。
いやいや、そんなまさかな。
ズボンのポケットに手をあてがう。
本来そこにあるべき膨みはなく、布地越しに触れたのは自分の太腿だった。
「なあ、まさかそれ…………」
「……キノコが浮いてた」
「俺の携帯ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
面影が残っているのはキノコのストラップのみ。シイタケからエノキみたいなカラーリングになっているが、それよりも繋がっている本体の方が大問題なのは言うまでもない。
真っ黒だった携帯のボディは、何らかの釉薬によって染められ純白と化していた。
釉薬を掛けてる最中に、ポケットから落ちたのか?
脳内が混乱する中で慌てて冬雪からガラケーを受け取ったものの、電化製品を水で洗うなんて自殺行為もできず右往左往してしまう。
「どどどど、どうすりゃ」
「何の騒ぎだい?」
「阿久津っ? 俺の携帯が……でも洗う訳にも――――」
早足で歩み寄ってきた少女は、説明の途中で白くなったガラケーを強奪。そのまま水道へ向かうと蛇口を捻り、何の躊躇いもなく流水の中へと突っ込んだ。
みるみるうちに本来の姿である黒へ戻ると、阿久津は携帯を水から上げ手際良く取り出した藍染めのハンカチで丁寧に水分を拭き取る。
「キミのことだから、何かしらやらかすとは思っていたよ。釉掛けはもう終わったのかい?」
「……終わった。窯入れは先生がやるって」
「それなら戻るとしようか」
「お、おう……」
寝起きとは思えない少女へお礼を言うタイミングを逃しつつ、携帯を受け取った俺は二人と共に陶芸室へと引き返した。