「おっす」
「…………返事がない、ただの屍のようだお…………」
教室に入りクラスメイトへ挨拶をした後で、自分の席へ鞄を下ろす。目の前で机に突っ伏しているアキトは、珍しく顔も上げないまま力なく答えた。
「筋肉痛か? パソコンもスマホも弄ってないなんて、雪でも降りそうだな」
「現在スタミナ回復中……肉体的にも、ゲーム的にも……」
そりゃまあ、あんだけペガサスごっこやってりゃボロボロにもなるか。きっとショタでダメージ、幼女で回復の激しい戦いだったに違いない。
「しかし米倉氏、幼馴染&妹持ちとは中々やりますな」
「何を勘違いしてるのか知らんが、幼馴染は見ての通り男勝り。妹の方もお前が思い描くような理想を抱くのは止めとけ。現実は割と酷いもんだぞ?」
「今日のお前が言うなスレはここですか? 確かに阿久津氏は近寄りがたい雰囲気醸し出してましたが、梅たんはフレンドリーで優しかったですしょおおっ?」
秘孔を突くイメージで、アキトの脇腹をズンッと二本の指で押した。
悲鳴が上がると周囲から注目されたが、何事もなかったように椅子へ座る。
「人の妹をたん付けで呼ぶな。お前の眼鏡を痰漬けにするぞ」
「フ……ヒヒ…………サーセン」
「お、おはよう櫻君……何かホールまで悲鳴が聞こえたけど、何かあったの……?」
「いや何も……って葵! お前こそ、どうしたんだよその顔っ?」
声を掛けてきた少年は、力なく首を傾げる。
そして思い出したかのように、目の下に隈ができた顔で弱々しく笑いかけた。
「ああ、これ……? ちょっと悪い夢見ちゃって……寝不足なんだ……」
「悪夢の詳細キボンヌ」
「えっとね……起きたら目の前に団子虫がいてね……それで布団をめくったら、中にも虫がウジャウジャいて、それで――――」
「すいませんでしたっ!」
見捨てたことへの詫びを込めて、地に足を付け土下座する。
今ここで誓おう。もし次があるなら、その時は葵を助けてみせると。
「……何してるの?」
「これは冬雪氏。あ、そこに立ってると米倉氏にパンツ覗かれえいぇぇぁあっ!」
そしてコイツは絶対に、絶ぇっ対に二度と呼ばないと。
★★★
「おや、米倉クンじゃありませんか。どうかしましたか?」
放課後の職員室前。今はテスト前であり生徒の出入りが禁止されている。
日直だった俺が学級日誌を届けに行くと、伊東先生が気付いて声を掛けてきた。
「あ、どうも。日誌なんですけど……」
「ご苦労様です。確か米倉クンはC―3でしたねえ」
「はい、ありがとうございます」
「こちらこそ先日はありがとうございました。屋代の生徒だけあって優秀だったと、先方も大層喜んでいましたよ」
「いや、別にそんな大したことはしてないんで」
「そう言っていただけると助かります。米倉クン達の青春に今後も期待ですねえ」
鼻歌交じりで先生は職員室へ戻っていく。別に青春した覚えは一切ないんだが、一体どんな話を聞かされたのだろうか。
「さて……と」
今日でテストも一週間前。ほとんどの部活は停止期間に入るものの、俺が向かったのは駐輪場ではなく陶芸室だった。
「………………あれ? いたのか二人とも」
「何だ、キミも来たのかい?」
ドアを開けてみれば、二人の少女がろくろを挽いている。
特に注目すべきは初めて見る阿久津の陶芸姿……というよりもエプロン姿。たかが布切れ一枚付けただけで、女の子らしさが普段の五割増しになるから不思議だ。
「……ヨネも陶芸しに来た?」
「いや、俺は自習だよ。家だとあんまりできないからな……ってか二人とも、一週間前なのにテスト勉強しなくて大丈夫なのか?」
「少し気分転換がしたくてね」
「……昨日ので創作意欲が沸いた」
「そりゃ良いことで」
既に二人は、それぞれ二つずつの作品を仕上げている。やはり上級者だけあって失敗も少ないようで、粘土はまだまだ残っていた。
この調子なら阿久津も冬雪も、できる作品の数は二桁になるかもしれない。
「……ミナ、どうするの?」
「ああ、その件はまた今度にしよう」
「?」
二人でどこかに行く約束でもしていたのか、はたまた秘密の話をしていたのか。気になったものの尋ねはせず、机に問題集などの道具一式を広げた。
電動ろくろの低音が聞こえる以外は、実に静かで自習には最適といえる。
「…………」
しかしいまいち集中できない。
今日の授業中も一日ボーっとしているだけだったし、恐らく今の俺はどこで何の勉強をしても頭に入らないだろう。勿論理由は言わずともがなだ。
(十年近く振りに再会しただけの相手に、普通そこまでするか……?)
120円の意味はわかった。
ただ彼女はそれを俺にアピールして、一体何を伝えようとしたのか。
幼稚園時代の知り合いに遭遇し、自分が忘れ去られていたら普通はそこで終わる。仮に思い出して貰いたかったとしても、こんな遠回りをする必要はない。
「失礼します」
「っ?」
そう考えていた矢先、俺はまたしても不意を打たれた。
扉を開けて顔を覗かせたのは他でもない、夢野蕾本人だったからである。
「あっ、米倉君。それに水無月さんに冬雪さんも、こんにちは」
「……お久」
「驚いたね。夢野君じゃないか。伊東先生に用事かい?」
「あ、いえ、違うんです。ここに来たのは、ちょっと陶芸部を見てみたくて」
「……見学?」
「はい。テスト期間だからやってないかと思ったんですけど……ひょっとして陶芸部って一週間前じゃなくて三日前まで活動してる部活なんですか?」
「……そんなことはない」
「寧ろ全くの反対で、好きな時に来ればいい自由な部活さ。現にそこで一人、顔は出す癖に陶芸をしない輩もいる訳だからね」
思わぬ引き合いにされたが、集中して聞こえない振りをする。ここで陶芸もしていると発言すれば『過去を勝手に変えるのはいけないことなんだぞ!』と語る某猫型ロボットの如く総突っ込みを受けるだろう。
「自由な部活って楽しそうですね! 作ってるところ、隣で見てもいいですか?」
「……構わない」
「ボクは見られるのに慣れていないから、手本なら音穏を見て欲しいところだね」
三人が仲良く話す中で、黙々と問題集の穴を埋めていく。しかし動揺は隠せず、先程から同じ問題を解いては消してを繰り返してばかりだ。
別に普通の友人として接すればいい話なのに、妙に意識している自分を馬鹿らしく思う。それこそ例えるなら、女子からちょっと優しくされただけで『コイツ俺に気があるんじゃね』と誤解するような間抜けぶりだろう。
「……体験する?」
「ごめんなさい。実はこの後、アルバイトがあるんです」
「……残念」
再び陶芸室内が低音だけの静寂に包まれる。
その沈黙に耐えられず、少し頭を冷やそうと席を立ちトイレへ向かった。
「…………はあ」
窓の外を眺めれば、既に風が治まったものの雨は今も降り続けている。予報じゃもうじき止むらしいが、どうせ帰りも電車だし雨の中を帰ってしまおうか。
「あ、米倉君!」
「っ?」
幸か不幸か、トイレから出るなり夢野蕾と廊下でばったり遭遇した。どうやらもう帰るようだが、何でこうも上手い具合にタイミングが重なるのだろう。
「もういいのか?」
「うん。ちょっと見に来ただけだから」
「そっか」
「どうしたの? 何だか、元気ないみたいだけど……?」
少女は首を傾げ、まじまじと俺を眺める。
『別に時間制限がある訳でもないんだろう?』
確かに阿久津の言う通りかもしれない。
しかしこのまま悶々とする日が続けば、それこそテストに影響が出るだろう。
一人悩んでいるくらいならと、意を決した俺は彼女の目を見ながら尋ねた。
「思い出したんだ。幼稚園の正門で初めて会った時のこと。ずっと120円の値札を貼ってた理由は、あの時に渡した桜桃ジュース……なのか?」
「うん、そうだよ」
迷いなく少女は答える。
どれだけ月日が経とうと変わらない、幼い頃の面影を残す笑顔を見せながら。
「だって米倉君、次の日に返そうとしたら「一日に二本も飲めない」って言って、ずっと受け取ってくれなかったんだよ? 毎日飲んでるのに」
彼女はそう言うと、担いでいた鞄の口を開ける。
その中から出てきたのは、あの時と同じペットボトルの桜桃ジュースだった。
「だから、はい! 今度は受け取ってくれるよね?」
「え……? これ、ずっと持って……?」
「まさか。そんなことしたら賞味期限が切れちゃうよ」
「じゃあ何で……?」
「内緒♪」
少女は俺の手を掴むと、強引にペットボトルを握らせる。
どうやら考え過ぎだったらしく、気が緩んだ俺は自然と笑みがこぼれていた。
「あ、今笑ったでしょ? まさかまた断ったりするの?」
「いや、ありがたく貰うよ」
120円の思い出を受け取ると、傘立てから傘を手に取った少女を見届ける。
彼女はくるりと振り返り、いつもの笑顔をこちらに向けた。
「じゃあまた、夢野さ――――?」
閉じた口に柔らかい物が触れる。
言葉を止めるように、少女の人差し指が俺の唇を優しく抑えていた。
「違うよ米倉君」
彼女は静かにそう言いつつ、首を横に振る。
違う?
何が違うと言うのか。
「昔は、そう呼んでなかったでしょ?」
言われてみればそれもそうだ。
幼稚園の頃、少女は夢野蕾ではなく土浦蕾だったのだから。
ちょっと待てよ……どうして彼女の苗字は土浦から夢野に変わったんだろう。
「米倉君は私のこと、忘れてたみたいだけど――――」
少女の顔が近付く。
そして俺の耳元で囁くように、夢野蕾はそっと小声で告げた。
――私はずっと、クラクラの彼女だよ――
そう言い残した後で、少女は雨の中を去っていく。
残されたのは、呆然と立ち尽くす間抜けな男が一人。
「……………………」
心のモヤモヤを消すつもりが、余計に霧が掛かったような気分だ。
少しして陶芸室のドアが開くと、板に作品を乗せた阿久津がムロの戸を開ける。
「…………?」
出来上がっている数が妙に少ない。
あれだけ粘土が残っていたのに、板の上にある完成品は僅か三個だった。
「今日はもう終わりか?」
「少し調子が悪いみたいでね。人に見られるのは苦手なんだよ」
「そうか」
途中で止めたのか、はたまた全て失敗したのか。
先に作られていた二つの湯呑に比べると、三つ目の湯呑は随分と無骨に見えた。