「さ、櫻君、大丈夫? 体調悪いなら保健室まで付き添うよ?」
「別に……普通だし……」
「今日のお前が言うなスレはここですか?」
四限が終わった後の昼休み。購買で買ったパンを山羊のようにモシャモシャ食っていると、先にお弁当を食べ終えた葵が心配そうな顔で俺を見てくる。
「で、でも今日は朝から元気ないみたいだし……何かあったの?」
「まあな……」
ありましたとも。そりゃ大ありですよ。
気付いた点は良し、声を出した点も良し…………しかしどうしてああなった。
「ぼ、僕で良ければ何でも聞くよ? 話せば楽になるかもしれないし」
「ん? 相生氏、今何でもって言った?」
「えっ? う、うん。何でも聞くって言ったけど、アキト君も何か悩んでるの?」
「強いて挙げるなら、何でもするじゃなくて何でも聞くだったことが今の悩みな件」
「自重しろアキト。葵が相手だと冗談に聞こえんぞ」
「さいですか」
実際にこの目で見てはいないが、文化祭の女装コンテストへ無理矢理参加させられた挙句、優勝を勝ち取ってきたらしいクラスメイトの男の娘は不思議そうに首を傾げる。
俺は深々と溜息を吐くと、念入りに二人へ確認を取った。
「先に言っておくけど、笑うなよな?」
「ちょまっ……デュフ、デュフフフフ……」
やっぱり葵だけに話すべきだったかもしれない。
笑いを堪えているのが尚更気持ち悪いアキトをよそに、俺の気持ちを汲んでくれている少年……じゃなくて青年はオドオドとしていた。
「だ、駄目だよアキト君」
「失敬……しかし生卵に割り箸って…………ぷげらっ!」
「よ~し☆ とりあえずお前のハードディスクを粉砕しよう❤」
「さ、櫻君、爽やかに恐ろしいことを言ってるよっ? お、落ち着いて……ね?」
「わかった! スマホをクラッシュすればいいんだな?」
「全然わかってないよっ?」
「じゃあ何を破壊すればいいんだ? コイツか? アキト本体をやれってかっ?」
「ど、どれも壊しちゃ駄目だってば! 二人とも、深呼吸深呼吸」
仕方ない。ここは葵の奴に免じて、後で延髄チョップだけにしておいてやろう。
「で、でも理由がわかって良かったよ。もっと深刻なことだと思ったから」
「葵よ。俺にとっては割と深刻なんだが?」
「あっ! ご、ごめんっ!」
「ぶっちゃけ相生氏の言う通りですしおすし。そんなの知り合いでも二次元的イベントでもないならスルー安定でFAだお」
「いや気付いた以上は、無視するのも良くないだろ」
「その台詞を現状無視状態の米倉氏から言われても反応に困るやつでして」
確かにそれを言われると、何も言い返せなかったりする。気付いたところで指摘しなければ、俺も見て見ぬ振りをした他の客と同じ穴のムジナに過ぎない。
「しかし値札を付けたままの店員とは、中々のドジっ娘ですな」
「新人かもしれないけど落ち着いた雰囲気だし、そういう感じでもないんだよな」
「そうなればひょっとすると、米倉氏を誘っている展開キタコレなのでは? 貴方のために値段を付けました。私も一緒に買ってください的な」
「お前の売ってる喧嘩を買ってやろうか?」
「フヒヒ、サーセン」
「で、でもそういうのって言いにくいよね。きっと僕も言えなかったと思うし」
「だよな! 一度や二度じゃ無理だっての!」
「それなら三度目は雑誌を温める展開にワクテカ」
「よしアキト、歯ぁ食い縛れ!」
「わーっ、タイムタイム! 暴力は駄目だって!」
昼休みの恒例となっている男達の雑談は、値札の話で無駄に盛り上がるのだった。
★★★
「……ヨネ」
「ん?」
放課後になり鞄を背負った俺を、今にも消え入りそうな芯の無い声が呼び掛ける。
振り返ればそこには、眠そうな眼をした小柄のボブカット少女が背後霊みたいにボーっと立っていた。リボンを外したブラウス姿が白装束に見えたくらいだ。
「……部活」
「言わなくてもちゃんと覚えてるって」
クラスメイトかつ陶芸部部長、
昨日部活に顔を出したのは、彼女の代わりに阿久津から手ほどきを受けられないかと考えてのこと。まあ実際は手取り足取りどころか、揚げ足を取られて終わったけどな。
「…………」
クラスメイトとはいえ異性、それも無口とくれば会話らしい会話もない。先導するように教室を出る少女の後へ続き、ホールを抜け昇降口へと向かった。
「あ、悪い。ちょっと先行っててくれ」
「……逃走?」
「ちょっと待て。どんだけ信用ないんだ俺は?」
「……ミナから注意するよう言われてる」
「成程な。ただの栄養確保だよ」
冬雪らしくない発言と思いきや、やっぱアイツの入れ知恵だったか。
首を傾ける少女の前で財布を取り出し、昇降口傍にある自販機に三枚の小銭を投入。中から出てきた掌サイズのペットボトルを片手に、律義に待つ部長の元へ戻った。
「……いつもそれ」
「美味いからな。一口飲んでみるか?」
買ったばかりの桜桃ジュースを差し出すと、少女は少し悩んだ後で受け取る。あんまり気にしなそうだから言ってみたが、ひょっとして間接キスとか意識するタイプか?
封を切っていないペットボトルをまじまじと眺めた後でキャップを開けた冬雪は、毒味でもするように匂いを嗅ぐと艶やかで柔らかそうな唇をそっとボトルの口に付ける。
「……美味しい」
「だろ?」
「……待ってて」
そう短く告げると、何を思ったのか自販機へ向かう冬雪。数十秒ほどした後で、少女は全く同じペットボトルを大事そうに抱え戻ってきた。
「……お返し」
「おう。サンキュー」
感情豊かではない少女の純情な一面を垣間見て、自然と笑みがこぼれてしまう。差し出された新しい桜桃ジュースを受け取ると、俺は冬雪と共に陶芸室へ向かった。
「おや、おはようございます米倉クン、冬雪クン」
「どうも」
「……こんにちは」
今日は電動ろくろで回ることなく、普通に黒板前の椅子へ座っていた伊東先生が出迎える。
まあ陶芸で使うカンナ(輪カンナと言うらしい)をキャンプファイヤーみたいに積み上げているため、結局は何してるんだこの人という結論に収束するのは否めない。
「着替え始めたということは、今日は勉強ではなく陶芸をするんですねえ」
「……昨日は勉強?」
「そうなんですよ冬雪クン。先生、何か面白い展開にならないかとチラチラ覗いてました。大人である以上、高校生の青春を邪魔する訳にはいきませんからねえ」
大人とは一体何なのか、この人を見てると逆にわからなくなる。辛さや忙しさを表に出さず、あえて明るく振舞っているとも考えられるが…………いや、ないな。
「そんなに暇なら顧問らしく、部員に陶芸を教えて下さいよ」
「申し訳ありませんねえ米倉クン。今の時代は下手に生徒へ触るだけで、例え同性だろうと犯罪扱いされる怖い時代なんです。先生、手を汚したくありませんからねえ」
「本当の理由って、最後の部分だけですよね? しかも物理的な方の意味で」
「…………」
「………………」
「では先生は仕事が残ってますので、後は冬雪クンに任せましたよ」
謎の静寂を挟んだ後で、やる気のない陶芸部顧問は今日も部室から出ていった。
そんな伊東先生を気にする様子もなく、大机の上に粘土を置いて着々と準備を進める冬雪。俺も用意された着慣れないエプロンを身に着けて腕まくりをする。
「……曲がってる」
「ん? ああ、悪い」
どうやら背中で紐が曲がっていたらしく、わざわざ結び直してくれた。
何かこうしてると夫婦の新婚生活みたいだな。よくある『貴方、エプロンが曲がっていてよ』的な……って、これ旦那が専業主夫になってるじゃん。
「……まず荒練り」
「あいよ」
机に置かれた辞書サイズの粘土に両手で体重をかけ、押し出すように練り始めた冬雪。 何でも土の軟らかさを均一に整えるらしいが、この荒練りは単純で俺にもできる。
「……じゃあ菊練り」
問題はこれだ。
冬雪が土を回転させながら練り込むと、粘土の塊に菊の花のような模様ができていく。空気を抜くための練り方とのことだが、その手の動きは正に職人技だった。
「……ゆっくりやると、こうやってこう。慣れるまで少し難しい」
「慣れるって言われてもな……」
見よう見まねで菊練りを始める。
何でも空気が入ったままだと、作品を焼いた際に爆発する可能性があるとか。こんなに難しいなら、いっそ全自動菊練りマシーンでも用意してほしい。
「……シュウマイみたい」
「どうやったらそんな餅つきみたいにテンポよくできるんだ?」
「……練習が必要」
「練れば練るほど色が変わって」
「……色は変わらない」
「こうやってつけて……うんまいっ!」
「……食べちゃ駄目」
テーレッテレーしてくれない冬雪をよそに、粘土は巨大肉まんと化していく。とりあえずそれっぽく練り続けていると、陶芸室のドアが開き阿久津が現れた。
「やあ音穏。やってるみたいだね」
「……ミナ、お疲れ」
一足遅れで到着した少女は、鞄を置くなりこちらへやってくると横から覗き込む。
「菊練りというより、小籠包練りかな?」
「良いんだよ! これが俺の菊練りだ!」
「……今回はやっておくから、ヨネはろくろの準備」
「おう」
用意するものはドベ受け(飛び散った粘土の受け皿的なもの)と、それにボールを二つ。確か片方には水を入れておくんだったかな。
「あれ? これだけだったか?」
「シッピキと、なめし皮を忘れているよ」
「指摘するくらいなら手伝ってくれよ。どこにあるんだ?」
「そこの小物入れの左側、三段目と五段目だね。練習ならキミが用意しなきゃ意味がないだろう? きっと制服のズボンも汚れるだろうけれど、それもまた経験だよ」
「エプロンしてるんだから、それはないだろ」
あれ、何か今フラグ立てた気がする。
前に見学した時はコテやらヘラやらも用意されていた気もするが、色々思い出している間に冬雪の菊練りが終わり準備もできたようだ。
「……お手本、見る?」
「一応、もう一回見せて貰ってもいいか?」
「……わかった。粘土は真ん中に」
椅子に座った冬雪は、粘土を電動ろくろの中心に置くとペダルに足を乗せた。部室内はクーラーが効いているが、どうやら彼女は暑いのが苦手らしくエプロンを付けていない。
「!」
女子高生の制服エプロンという至高が拝めないのは残念だが、冬雪はブラウスのリボンまで外しているため、このアングルだと緩んだ胸元が無防備だった。
チラチラ見える鎖骨と瑞々しい肌に、つい視線がいってしまう。こんな絶景が拝めるなら、もっと早くに入部すべきだったかもしれない。
「音穏、これは付けておいた方がいい」
「……?」
冬雪が着席してから数秒間の、短い至福は終了した。
エプロンを付けられた本人が首を傾げる中で、阿久津からの視線が妙に痛い気がする。きっと目を合わせたら、汚物を見るかの如く冷酷な瞳で睨まれているのだろう。
「……踏むと回る。速すぎると危ない」
昨日そこでクルクルしていた、残念な大人がいたことは黙っておくべきか。
ゆっくりと回転を始める粘土に、充分に濡らした手が添えられる。
簡単に剥がれないよう、少女の手によって下方向に押された粘土が形を変えていった。
「……固定して中心ができたら、小指に力を入れて上に伸ばしていく」
冬雪が両手を密着させ力を込めると、粘土が描く放物線の傾きが大きくなっていく。
みるみるうちに細長くなった後で、彼女は右手を頭頂部に宛てがった。
「伸ばした後は土殺し。斜め前に押す感じ」
高くそびえ立った山が、今度はどんどん低くなっていく。
容易に形を変えていく粘土へ、上げては下げてを繰り返した冬雪は形作りに入った。
「……お皿と湯呑み、どっちがいい?」
「じゃあ皿で頼む」
「……わかった。基本的に軽く力を入れるだけでいい」
伸ばした粘土の頭頂部に両手の親指が添えられる。
少女が触れた箇所が凹むと、その穴は徐々に深く大きくなっていった。
触れていた掌がゆっくりと角度を変えれば、自然と皿の形が出来上がっていく。
こうして改めて見ていると、それこそ魔法でも使っているのかと疑う程の手つきだ。実際あっという間に皿が完成すると、冬雪はカードサイズの布もどきを手にした。
「……形ができたら、なめし皮で整える」
手触り的には厚みのある眼鏡拭きって感じだが、布ではなく何らかの皮らしい。
濡らしたなめし皮を人差し指と中指で挟み、親指と人差し指で小さな膨らみを作るように持った少女は、回っている皿の縁に軽く添える。
そして何周かした後で、綺麗になったのを確認すると電動ろくろの回転を止めた。
「……最後にこれ、シッピキを使う」
手に取ったのは、木の棒の真ん中から糸が垂れているT字の道具。それを既に形が完成している皿の根元へ水平に当てると、冬雪は電動ろくろをゆっくりと回す。
そして糸がぐるりと向こうを回って、手前の糸と交差した瞬間に引き抜いた。
最後に、切り離した皿を用意しておいた板上へ両手でチョキをつくって運び終える。
「おお、流石だな」
「……こんな感じ」
「よし、後は任せろ!」