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一日目(火) 阿久津水無月が幼馴染だった件

 海開きに夏休み、夏祭りに花火大会……そして文化祭。

 九月という時期は青春を謳歌するイベントの大半が過ぎた後……というか水着に浴衣と、昔の人は夏に道楽を固めすぎなんだよ。いっそ花火辺りは冬でも良いだろ。

 ちなみに俺がこの夏に何をしたかと問われれば、祭りに顔を出すこともなければ水着を目にすることもなく、せいぜい家の窓から花火を見たのと家族旅行に行ったくらいだ。

 文化祭も周囲の空気に乗りきれないまま、食販という特に盛り上がらないクラスの店番をさせられただけ。この調子では体育祭もふんわりと過ぎていきそうである。


「さてと……」


 ロングホームルームが終わった放課後。夏休み前までは真っ直ぐ家に帰りダラダラと過ごしていたが、高校一年の半分が過ぎた今になって俺の生活サイクルは変化した。

 昇降口を抜けると中庭を通り、アンテナマークの左端であるTの形をした芸術棟へ。四階から順に音楽・家政・書道と特別室が並ぶ中で、階段を上らず図書室傍にある広い教室のドアを開ける。


「おや、おはようございます米倉クン」


 粉っぽい部屋へ二列並んだ、六人掛けの大机と背もたれのない木製椅子。そしてその列の間には合計十二台の電動ろくろが置かれていた。

 その電動ろくろの一つに乗って、延々とくるくる回っている男が一人。傍から見てると物凄くシュールだが、この男が生徒ではなく若い教師だったりするから困る。


「こんにちは……何してるんですか先生」

「いやあ、一度はやってみたかったんですよねえコレ。米倉クンもどうです?」

「怒られそうなんで止めておきます」

「それもそうですねえ。あ、お二人には内緒でお願いします。先生も青春したいんです」


 本来は貴方が怒る人で、俺達生徒が怒られる側でしょうが。

 青春大好き伊東いとう先生は、電動ろくろを止めると地へ降り立つ。工芸を担当している癖に、恰好いいからという理由だけで白衣を着ている辺りでもうお察しだ。


「ではでは、今日も青春してください」


 狐のように細い目をくるくる回しながら、千鳥足になりつつ部屋を出ていく伊東先生……っていうかあの人、顧問の癖にマジで回るためだけに来てたのかよ。

 いまいち先生らしくない先生が姿を消してから数分後。特にやることもないので数学の問題集を解いていると、割と遠慮なしに物言う幼馴染がドアを開けて現れる。


「やあ」

「よう」


 長い髪を掻き上げた阿久津は定位置である入口傍、俺の向かいの席へ腰を下ろした。


「キミだけかい?」

「部長なら今日は用事で休みだと」


 屋代学園陶芸部。所属部員は僅か三名だが、部員を集めないと廃部なんてことはない。

 しかし総部活数が多いとはいえ、これだけ過疎化している部も珍しいと思う。三年の先輩は結構いたようだが、二年が一人もいないまま引退していったらしい。

 その結果「キミは暇だろう?」と阿久津から脅迫……じゃなくて勧誘され九月から入部したのが俺。まあ割と自由な部活だし、誘われたとあっては特に断る理由もなかった。


「数学ばかりじゃなく、少しは苦手教科もやったらどうだい?」

「大丈夫だ、問題ない」

「中学時代に『私は埼玉に住んでいます』を過去形にする問題で『私は武蔵に住んでいます』と解答した人間に言われても説得力がないね」


 …………何でそんなこと覚えてるんだよ。

 ちなみに阿久津もアキト同様、評定平均4.3オーバーの成績優秀者だったりする。その上コイツは俺がステータス全振りした数学の点をも凌駕しているため頭が上がらない。


「じゃあ英語やるから教えてくれ」

「ふむ。驚いたね」

「何だよ? 俺だって素直に頼む時は頼むんだぞ?」

「そうじゃない。キミに英語を教える手間と難しさを例えようとしたら、未だに柱で爪を砥いでしまうアルカスの悪癖以上に厄介だと判明した」

「猫の躾より面倒なのかよっ?」

「言うことを聞かないが見ていて癒されるアルカスと、言うことを聞かない上に癒しとは正反対なキミ。どちらが楽かは一目瞭然じゃないかい?」


 正論のように聞こえるが、猫と人間を比較する時点で間違ってる気がする。しかも癒しと正反対って、それじゃ俺が存在するだけで他人に苦痛を与えてるみたいじゃん。


「別に教えるのは構わないけれど、恐らくキミは根本から間違っている。英語に限らない話だけれど、勉強が苦手と思っている人達は自己暗示にかかっているだけだからね」

「成績優秀者のお前に言われてもな……」

「じゃあ聞こうか。キミはどうして英語が苦手なんだい?」

「そ、そりゃまあ、面白くないし……」


 あれれ~おかしいぞ~。これって異性と二人きりの時にする話かな~?

 頭の中でそんな恍けた声が再生される中、目の前の少女は名探偵ばりに質問を続けた。


「その抽象的な解答が出てくる理由は、目に見えた結果が無いからだろう? 例えばもし英語が数学同様に点数を貼り出すとして、そこに名前が載ったらキミはどう思う?」

「最高にハイってやつだ」

「勉強とはそういうものだよ。結果に繋がればどんな教科でも面白くなる。面白ければ自分の得意教科と認識して自然と学ぶ。キミが数学をやるのは、そんな理由だろう?」


 屋代では何故か数学のみ、テストの上位二十名が数学棟に貼り出される。もっとも貼られる位置が位置だけに注目は集めないが、それでも自分の名前が載っていると嬉しい。


「それが絵画や音楽といった芸術的要素ならまだしも、勉強における得意だの苦手だのという概念なんて各々が勝手に自分を評価して植えつけている暗示に過ぎないよ」

「ならどうすりゃいいんだ?」

「わからないからつまらない。つまらないからやらないという負の連鎖を断ち切るには、まず一度成功体験をすることさ。キミは数学で経験済だけれど、英語も同じだよ」


 ただし数学と他教科には大きな違いがあるけれどね。

 ポケットから税込30円の棒付き飴を取り出し、包みを開けながら阿久津は語る。一般人には耳の痛くなるこの話、語り手がコイツじゃなければ絶対に聞きはしない。


「覚えるだけで点を取れる他教科と、解き方を覚えても応用力がなければ問題を解けない数学。普通に考えれば難しいのは後者だけれど、それでもキミが数学は簡単と言うのは覚える量が少なくて済むからじゃないのかい?」

「ついでに付け加えると、周りが勝手に点を落としていくからだな」

「歪んではいるけれど正論だね。別にキミは馬鹿じゃない。世の中に馬鹿なんていない。いるのは努力を怠っているか、努力の方向性を間違えているかさ」


 …………だそうなので、全国の学生諸君は阿久津大先生の言葉を肝に銘じておこう。


「ちなみにキミは、言うまでもなく前者だよ」

「待て。俺は勉強してるぞ?」

「なら聞くけれど、今のキミは何割の力を出しているんだい?」

「そう言われると解答に困るが、全力でないことは確かだ」 

「勉強をやろうと思った時に限って部屋に親が入って来た、今丁度やろうと思っていたのにやる気が無くなったとか、つまらない言い訳をしていないかい?」

「ぐ……」


 仰る通りでございます。

 パッと見タバコを咥えているように見えなくもない阿久津は、鞄から取り出した英語の教科書を机に開く。俺の物と違い落書きなんてない、色々とメモが書かれた教科書だ。


「まずは章で扱った単語と文法を身に付ける。好きな曲の歌詞も歌えば覚えるように、記憶へ一番効果があるのは声に出して耳に入れることだね」

「ちょっと待て。ここで音読しろだなんて言わないだろうな?」

「別に家でもどこでも構わないけれど、本当に成績を上げたいと望むのなら騙されたと思ってやることを強く奨めるよ。羞恥心やプライドは一旦捨てて、後で拾えばいい」


 危うく勉強じゃなくて公開処刑が始まるところだった。

 既にプライドは拾えないくらいズダボロにされてる気がする。何かもう高温の油でジュージュー揚げられて、プライドがフライドになってるんじゃないだろうか。


「なあ阿久津、一つ聞いてもいいか?」

「キミの質問は一つ程度じゃ済まないだろう?」


 それもそうだがそうじゃない。

 勉強が嫌いな奴が誰しも口にするありきたりな質問を、俺は少女に問いかけた。


「何のために勉強ってするんだ?」

「キミが聞くべきことは、そんな哲学めいたものじゃないと思うけれどね」


 溜息を吐きつつ、阿久津はジッと俺の目を見る。

 改めて目を合わせられると何だか困ってしまい、俺は視線をやや下にずらした。


「先に言っておくけれど、勉強する理由を考えたところでモチベーションは上がらないよ。キミが今まで聞かされたような『将来のため』みたいな曖昧な解答と同じさ」

「そっか……」

「人が人であるため」

「ん?」

「今のが何のために勉強するかという問いに対する、ボクなりの解答だね」

「どういう意味だよ?」

「ボクは積み重ねたものを忘れたくない。ただそれだけさ」


 言ってる意味がいまいちわからないが、やっぱり勉強は積み重ねが大切ってことか。

 深く問いかけようとしたところで雑談はここまでと切られてしまった俺は、出していた数学の問題集を戻し渋々英語の勉強を始めるのだった。

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