目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第19話



 一度深々と落ちてしまった気分はなかなか戻ることはなく、いつも以上に笑みを浮かべることも、会話に入ることも出来ずに俯いて昼休みを過ごしていた。


 こんな一瞬で、しかもたった一人の存在で築き上げてきたものが壊れそうになっているなんて。情緒が不安定になっているなんて馬鹿みたい。


 勉強をしていても何も頭に入らないし、みんなが求めている私を演じられないのなら価値がないし、保健室にでも行って休んでいた方がいいだろう。

 そう考えていた私の元に、ひとつのメッセージが届く。

 ポケットから取り出したスマートフォンの画面には、いつもの人物の名前が表示されていた。



【ましろちゃんが泰雅に貸してた〝青天井の下、知音の隣で見た桜は綺麗だった〟っていう小説、今から返しに行ってもいい? 泰雅のやつ1年も返してないんだってね。】



 机の下で確認した内容を見て、小さく息を吐く。


 そういえば貸していたな、とすっかり小説のことなど忘れていた。

 1年も私の元に返ってこなかったということは、黒木先輩はあの小説を気に入ってくれていたのかな。


 黒木先輩に貸していた小説は、これまた暗い雰囲気の小説。

 常に笑顔で、人をすぐ明るい気持ちにさせてしまう黒木先輩が駄々をこねるほど読みただってえいたことに、当時も今も不思議で仕方がない。


 でも、たまに何を考えているか分からない表情を浮かべることがあるから、案外黒木先輩似合っていた小説というか、黒木先輩そのまんまの姿だったりして。



【どうかな】


【分かりました】


【教室だと目立つし、階段で渡すね】



 はい、と返事をしてすぐスマートフォンをポケットにしまい、席を立とうと机に手を置いた時だった。



「疲れてるの?」



 先程まで私抜きで楽しんでいたというのに、顔を覗き込みながらそう訊いてきた凪沙に、私は思わず目を細めそうになった。


 心配しているふりをして全く心配していないことを私は解っているというのに、本気で心配してくれてるんだって思わせる演技をしないといけない。


 こんな馬鹿馬鹿しくて惨めな感情を、私は何度味わってきたことか。



「そんなことないよ。ぼーっとしてるのはいつものことだし、テスト勉強でそう見えてるのかも?」



 目を少しだけ見開いて、口角を上げながら私は今日も本音を口にはせず嘘を突き通す。

 笑っていたらそれだけでスルーしてくれるから。


 けれど、今日は何故か少し違った。



「やっぱり言わないよねー」


「だから私言ったじゃん」


「え?」



 口から出た「え」という言葉は、思った以上に震えていた。



「ましろってさ、絶対自分のこと話さないよね」


「そうそう。なにか聞いても笑って誤魔化すし、そういうところちょっと気になるよね」


「そんなこと……」


「正直、なに考えてるか分からない」



 ここぞとばかりに私を責めてくる二人に、当然ながら殺意が芽生えた。


 普段だったら「そっか」って流すくせに、なんで今日に限って流してくれないわけ。

 流してほしくないことは流されて、流してほしいことはいつも流してくれない。


 私のことなんて興味ないくせに、陥れようとする時だけ私のことを心配してるみたいな態度を取ってくる。


 自分のことなんて言えるわけがないでしょ。

 いつも両親から虐待を受けているとか、家に居場所がないとか、養子だとか、自殺願望があるとか、そんな重いこと言えるわけがない。


 誰だって隠し事はある。

 私が日頃からみんなに言っている言葉たちは嘘ではなく、隠し事と表現した方がきっと正しい。


 だって、誰かを傷つける嘘と、自分を守るために必要な隠し事は全くの別物なのだから。


 それだというのに、友人たちには何も伝わってなかった。

 端から伝わっているなんて思ってもいなかったけど、それが分かったら分かったで胸に微かな痛みが走った。



 私は別に善人ではない。

 善人になりたくてもなれなくて、偽善者すらなることが出来ない、可哀想な自分が可愛くて仕方がない悲劇のヒロインぶっているただのクズ。


 だから彼女たちが表でも裏でも何を言われようが、申し訳ないけど私は今まで通り自分のことは一切話さないよ。誰彼構わずスピーカーのように言いふらす二人には特にね。


 自分を守る手段が話さないことだけだから。

 でも、空気を悪くしていたら元も子もないのだけれど。


 私は一度口を結んでから「実は」と、嘘の悩みでも話して空気を変えようとした刹那、サァッと暖かい風が私を包み込むと同時に机に一つの影が落ちた。



「これ白石さんのだよね?」



 影の主は天王寺玲青で、その手にはボロボロになった友人たちとお揃いのキーホルダーが握られていた。


 レジンで作ったキーホルダーがこんなにボロボロになるはずがない。でもこのキーホルダーは紛れもなく私のだ。



「あ、ましろのだ!」



 どうして、と差し出されているキーホルダーをよく見ると違和感を覚えた。



「私のだ……」


「下駄箱に落ちてたよ」


「よくましろのだって分かったね」


「3人がお揃いのキーホルダーつけてるって有名だからね」


「そんなに有名なの?」


「俺の周りじゃ特にかな。仲良くて羨ましいってね」



 数秒前まで険悪な雰囲気だったというのに、彼の一言で重い空気は一瞬にして吹き飛び、仲良くて羨ましいと言われて気分が良くなった二人を見て〝単純〟という言葉しか生まれなかった。



「白石さんがキーホルダー落としたって落ち込んでたから心配してたんだけど、見つかってよかったね」



 単純すぎる友人たちに腹が立つ。

 けれど、それよりも〝彼〟に助けてもらったという現状にもっと腹が立つ。


 私の手を掴んで手のひらにキーホルダーを置いた彼に対して生まれた負の感情が、今物凄い勢いで私の心を押し潰していく。



「え、だからぼーっとしてたの?」


「……うん」


「お揃いのキーホルダーを失くしたって言いづらいのは当たり前だね」



 手のひらを反すってこういうことなんだろうな。



「このまま見つかってなかったら、私恨んでたよ!」


「すごい怖いこと言うじゃん」


「だって凪沙がオーダーメイドで作ってくれた物だし、私たちにとっては大事な物だし!」


「それなりに高かったからね」


「そうなんだ。なんかいいね、そういう特別感」


「でしょー?」



 ボロボロになったキーホルダーをゆっくり撫でながら、また蚊帳の外だと感じる。


 やっとこのキーホルダーの呪いが解けたというのに、全然嬉しくない。

 天王寺玲青が関わっていなかったら嬉しい感情が生まれていたはずなのに、心は苦しいばかりだ。


 こんな人生、早く終わりにしたい。

 日に日にその願望は強くなるばかりだ。



「……席外すね」


「うん」



 凪沙は頬杖をつきながら、こちらを一切見ないでそう言い放った。絵麻なんかはそもそも返事すらしてない。


 寂しさ、悔しさと同時に馬鹿みたいな怒りを覚え、苦虫を噛み潰したような表情を隠すために俯きながら教室から出て行く。



 最近、情緒が不安定すぎて嫌になる。


 格好つけてありもしない余裕をさも持っているような顔を見せていた。それが得意だったはずなのに、その結果がこれか。

 こうなるんだったら、最初から協調性のない本来の自分で過ごしていればよかった。

 でもそんなことをしたら私に人権なんて与えてもらえず、家と同じ環境で過ごすことになる。それこそ死んでるも同然だし、結局は頑張る以外の道がない。


 じわりと視界が滲んだことによって、少しでも現実から逃げたかった私はトイレへと駆け込んだ。


 そんな姿を先輩たちに見られていたなんて知らずに。





 ほんの少しだけって決めていたのに、だいぶ長くトイレに居座ってしまった。

 速く出ては行きたかったけど、他の生徒がいて鏡を見れないことから早く帰ってくれないかなと待ち続けた結果、誰一人としてトイレから出て行かないで時間だけが過ぎていった。


 自分が今どんな顔をしているのか確認したかったけど、いくら待ってもそれは無理だと気付き、小さく息を吐いてから私は個室を出た。


 手を洗い、濡れた手をハンカチで拭きながら嫌な教室に戻ろうとした時、「ましろちゃん」と階段の手すりに寄り掛かっていた陽斗先輩に声をかけられた。


 どうしてここにいるんだろう、と疑問が生まれた数秒後、サーッと血の気が引いていった。



「ご、ごめんなさい……! 小説を受け取る約束をしてたのに、私すっかり忘れちゃってて」


「ううん、気にしないで? さっき着いたところだし、突然言い出したのはこっちだから。そうだよね、泰雅」


「うん。ましろちゃん、ごめんね?」



 私は目を落としながら、小さく首を横に振った。


 先輩の優しさに、今は心が救われる。

 たった1歳しか違わないのに、どうしてこんなにも大人なのだろう。


 やっぱり私は、若菜ちゃんのような年上の人といる方が楽だ。



「それでさましろちゃん、返したばかりで悪いんだけど他にいい小説ない? なんなら今持ってるのでもいいよ」


「おい泰雅」



 返してもらうと同時に黒木先輩からそう言われ、私はまた罪悪感を覚える。



「ごめんなさい、最近持ち歩いてなくて……」


「そうなの? 珍しいね」


「……テスト勉強が忙しくて」



 テスト勉強なんてしてないくせに。先輩たちもそのことを知っているけど、苦し紛れに出た嘘がそれしかなかった。



「そうだよね。ごめんね泰雅が」


「いえいえ。テストが終わったら持ってきますね」


「持ってこなくて大丈夫だよ。泰雅が自分で小説を探して買えばいい話なんだから」


「陽斗は分かってないなぁ。ましろちゃんがオススメする本だからいいのに」



 本には当然価値はあるが、私のオススメなど価値はない。

 でも、必要とされているのに断る理由もない。



「テストが終わったら必ず持ってきますね」


「うん。俺がいなかったら陽斗に渡して」


「分かりました」


「じゃあ俺行くね。その小説面白かった」



 ひらひらと手を振りながら階段を下りていく黒木先輩の陽斗先輩はついていくのではなく、私を何故かじっと見つめていた。


 瞳に浮かぶ感情というものは、こんなにも分かりやすいものなのか。それとも、ただ陽斗先輩が分かりやすいだけなのか。



「無理してない?」


「はい」


「本当に?」


「……はい」


「本当、頑固だね」



 困った顔をしながらも柔和に笑う陽斗先輩は、なんだかいつもと違って見えた。



「耐えられなくなったらすぐ呼んでね。どんな時でも駆け寄るから」



 遠回しじゃない言い方に、動揺からキュッと喉が鳴った。

 ただ人目もあり、下手に反応できずにいると、陽斗先輩は黒木先輩のようにひらひらと手を振り始めた。



「僕ももう行くね。テスト頑張ってね」


「はい、ありがとうございます」



 完全にこちらに背を向けた陽斗先輩に手を伸ばし、「あの」と引き留めそうになっている自分を必死に抑え込み、親指の皮を抉りたい衝動にも駆られるが、親指をしまうように掌を握りしめて現実と向き合う覚悟を決める。


 逃げてきたものの、これからどうやって輪に入ろう。

 逃げると面倒だから逃げたくなかったのに、どうしてこうも理想と違う行動をしてしまうのだろう。


 顔にかかった髪を後ろに退かすように一度上を向き、話しかけられなくても、空気のような存在にされても私は自分の席に戻って周りが求めている私を演じよう。


 大丈夫。私なら元に戻れる。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?