机に向かって問題集を何度も解いている私の周りはいつだって騒がしいが、今日はいつもより静か。
それもそうだ。
明日から中間テストが始まるのだから。
静かになるのが本来は当たり前だというのに、私の周りはいつにも増して騒がしかった。
そして最近は、どんどん自分の居場所がなくなってきている気がする。
理由は〝一人〟しかいないけど。
「私は断然こっち派」
「えー? やっぱり凪沙ミーハーだよね」
「ふざけんな。誰がこんな病んでるキャラを好きになるのよ」
「そのキャラを好きなやつが目の前にいますけどね!」
もう少し声を抑えてくれ。
今日はいつにも増して嫌な視線を向けられてて息がしずらいんだよ。
私は君たちとは違って図太く生きてないの。
視線とか死ぬほど気にするし、ひそひそと話しをしていたら聞き耳を立てるほど、人に囚われながら生きている。
友人たちを羨ましいと思う反面、そうはなりたくはない。
常にそんなことを考えているなんて時間の無駄だと分かっているのに、なかなかやめることが出来ない。
「玲青は?」
「僕は、絵麻が好きなキャラの方が好きだな」
「でしょー?」
「マジ……? あんた、そういう女が好きだったんだ」
「このキャラ男だけどね」
キャラクターを現実世界の人間と同じにすること自体間違ってると思うけど。
しかも男なのかよ、と心の中でツッコミを入れる。
「でも、実際合ってるよ」
「適当に言ったのにマジだったんかよ……」
「でも玲青の元カノたちそういうタイプじゃなかったじゃん」
「流れで付き合っただけで、僕が好きだったわけじゃないからね」
「やめろよ! お前の元カノこの教室にいるだろ!」
不愉快。
その一言に尽きる。
あと、この男はいつまでここにいるつもりだろう。
私と一対一じゃ険悪な雰囲気にしかならなくて、仲良くなるのなんて無理だからって周りから固めに言っている彼は、本当にいい性格をしていると思う。
私の机を友人2人が囲う。そこに彼がやって来ると、友人たちは私など端からいなかったような扱いになり、2人の視界から私だけが消える。
前髪を作っていない私は、眉間にしわなんか寄せてみろ。すぐに不機嫌ということに気づかれる。
天王寺玲青が近くにいるだけで注目の的になっているのだから、他の人にも気づかれて今以上に目立ってしまう。だから私は一言も喋らず、会話も聞いていないふりをして必死に勉強へと意識を向けようとしていることを天王寺玲青は気づいているらしく、憎たらしい笑みをずっとこちらに向けている。
こんな仕打ちをここ最近ずっと受けているのだから、一発くらい殴ったって怒られないと思うんだけど。なんて考えている時点で彼の思うつぼか。
居場所がなくなってきているんじゃなくて、私の居場所は元々ないに等しいが正しい。
私は道具にすぎないし、仮にちゃんと友達だったとしても友達の中の、それも優先度が低い友達にしかすぎない。
そんな私と違って彼は違う。
二人も彼を求めてる。
私と友人たちは最初から天秤が傾いていたというのに、彼と友人たちは同じ重さで傾きもしない。いや、彼の方に傾いてるのかな。だからこんなにも不愉快なのかな。
どうして私って、こんなにもしょうもない人間なのだろう。
いつも劣等感を抱いて、人の悪口を心の中で言わないと気が済まないなんて、まるで病気じゃないか。
でも今は、病気と決めつけて受け入れる方が心が楽だった。
「白石さーん」
突然私の耳に届いた女性の声に慌てて顔を上げる。視界の先には先ほど授業を担当していた先生がいた。
授業が終わってそれなりに時間が経つのにまだいたんだ、と皮肉っぽく心の中で呟きながら、私のことを手招きしている先生の元に向かう。
友人たちは私が席を立ったことも、横を通り過ぎたことも気づいていない様子に思わず俯いてふっと鼻で笑ってしまった。
「これ運んでくれるかしら?」
先生はそう言いながら、授業が終わる前に集められたクラス全員分のノートが入っているカゴを指差していた。
「どこに運べばいいですか?」
「職員室の私の席までお願い」
「分かりました。先生の机の上に置いておけばいいですか? それとも後ろの壁の方に?」
「私が先に職員室に行ってるから、席に来たら渡してちょうだい。じゃあよろしくね」
言い方が違うだけで、こんなにも使いっ走り感が出るのか。
怒りと悲しみを表に出さないように背中に手を回し、震えるくらい強く掌を握りしめる。
私が「分かりました」と言っている途中で先生は教室から出て行き、廊下にいる生徒たちに調子よく手を振りながら挨拶をしたり、ちょっかいを出したりしている。そんな先生の姿を見て、私は我慢できずに溜め息を漏らしてしまう。
気持ちを整理することはせず、重いカゴを持ち上げようとした時、一人で持って行くのは大変だと思ってくれたのか、男女ともに「手伝う?」と声をかけてくれた。私はいつものように笑みを浮かべながら丁重にお断りをし、重いカゴを肘に掛けて教室から出て行く。
けれど、数メートルも歩かないうちに私は息と足を止めることになった。
「手伝うよ」
天王寺玲青が私から強引にカゴを奪い取った。
「……大丈夫だから返して」
「白石さんはこれ持って」
カゴから取り出した数枚を私に押し付けてきた。
早くも注目の的になってしまっている私たち。胸中に生まれた怒りなどはもう顔には出せない。けれど彼はそれをきちんと判断し、今にもカゴを奪い取ろうとしている私に背を向けて歩き始めた。
彼は人の話しを聞かないし、周りの視線も気にしない。
私は彼と関わるのも、変な視線を向けられるのも、馬鹿みたいな噂を流されるのも嫌。それを彼は解っているというのに、先日から更に距離を縮めてこようとする。
こういうことをされるから、私はどんどん彼を嫌いになっていくというのに。
「玲青くん、また白石さんの手伝いしてる」
「本当優しいよね」
また、彼の株だけが上がっていく。
それに比べてきっと私は、手伝ってという雰囲気を出しているだとか、男に媚びているだとか思われているに違いない。
違うのに。
全部彼が勝手にやっていることなのに。
「白石さん、早く行こう?」
名前を呼ばれてしまったことによって、断ることも任せることも出来ない状況になってしまった。
また、彼のペースに流されている。
私は彼から視線を逸らし、溜め息を噛み殺しながら持っているノートを抱えて渋々歩き始める。
彼は同じように歩き始めるのではなく、私は自分の隣に来るまで立ち止まっていて、私が隣に来ると同時に私と歩幅を合わせて歩き始めた。そこでもポイント稼ぎですか、と苛立ちを募らせながら隣にいる彼の顔をなんとなく見た。何かを考える前に彼が私に視線に気づくや否やほくそ笑んできた。
プツンッと何かが切れそうになったが、負けてられないと競争心が湧き、彼には見せたことがない求められているいつもの笑みを彼に向けてやった。
でも彼は驚きもせず、すぐにそんな私を受け入れたような表情を浮かべていた。
受け入れられたことが一番心を抉られる。
まだまだ感情に素直すぎる子供で、どんなに頑張ったところでボロを出してしまう。
彼は自分を押し殺すのが上手い。
いつだってボロを出してしまうのは、私だ。
それが悔しくて、全ての感情が張り付いて醜くなっているであろう顔を隠すように俯こうとした時、彼は嫌味を言ってきた。
「白石さんって、いつまで愛想笑いばかり浮かべるつもりなの?」
普通なら一番最初に苛立ちを覚えるところだが、あまりにも彼が言う言葉じゃなくて笑いそうになってしまった。
「それはあなたもでしょ。自分のことを棚に上げて話さないで」
結局怒りを隠すことが出来ない声で言い返せば、彼はくすっと笑った。
「それもそうだね。ごめん」
謝られるなんて思ってもいなかった。
売り文句に買い文句になるとばかり思っていたから、素直に謝られてしまうとどう反応していいのか分からない。
「……必死なの?」
今、彼がどんな表情を浮かべているのかも見れず、私は俯いて無言を貫こうとしたが、気づけばそんなことを呟いていた。
「なにが?」
「自分の株を上げるのに」
雑用を手伝ったりしなくたって彼の株は毎日上昇している。
ただ笑っているだけで。
彼は、そっち側の人間なんだから。
「やっと僕と話す気になったんだね」
嫌味で言っているというのに、彼には面白いほど全く効いていない。それどころか、なんだか喜んでいるようにも見える。
楽しいことを言ったわけでも、面白いことを言ったわけでもない。それなのに喜ばれると、それはそれは気に食わない。内側から怒りが渦巻くくらい。
「そんなに私の邪魔をして楽しい?」
「邪魔なんかしてないよ。僕はただ、白石さんから話しかけてくれるのを待ってただけで」
「別に私から話しかけてない。話しの流れで訊いただけ」
「それはもう、話しかけてるのと同じだよ」
価値観が違いすぎて話にならない。
これ以上話しかけた、かけてないを繰り返しても無駄だ。
「私は、こうやって天王寺君の株が上がっていく度に、手を出したいくらいイライラしてるのい」
「うん、知ってるよ」
彼に全てをさらけ出すのは、どことなく危険な気がする。それでも勇気を出して思っている事を一つ言うと、彼はこの上なく嬉しそうに笑った。
やっぱり彼は普通ではない。
なんなら私よりやばい奴かもしれない。
改めてそのことに気づくと、少しだけ心が軽くなったような気がした。
「あ、玲青くんと白石さんが話してる」
「眼福ってこういうこと言うんだろうね」
「てかお似合いなのになんで付き合わない?」
私たちが歩けば、自然と道が開く。
開いた道を通る度、私のことを好き勝手言ってくる人がいる。
人間は否定的なことを言われている時は嫌でも耳に届き、肯定的なことを言われている時は案外聞こえないもの。どうしても流れてしまう。
「僕たちお似合いだって」
「…………」
「お互いフリーだし、このまま付き合っちゃう?」
「話しかけないで」
「相変わらず冷たいなぁ」
クスクスと笑う彼を見て、女子たちは何やら小さく声をあげている。
それだけじゃない。何故か顔を赤らめている。
私には理解しがたいことばかりが視界に飛び込んできて、つい眉を寄せてしまう。
限界だった。
彼の隣で高嶺の花を保つことが。
一刻も早く彼から離れて、沢山綺麗な空気を吸いたい。
離れないと、本当におかしくなりそう。
そう思えば思うほど、どんどん空気が薄くなっていく。
脳にきちんと酸素が回っていないらしく、ふわふわとした感覚に陥っていることから、私は本能的に彼を拒絶していることが分かる。
私にそんなことを思われているなんて知らない彼は、階段を先に降りようとした私を追い抜かして進路を塞いだ。
「俺たちが付き合ったら、学校中どうなると思う?」
階段には偶然にも誰もいない。
だから彼は一人称を変えてきた。
一人称が変わったからといって、私は何度も彼の口から出る「俺」を聞いたから驚きはしない。そんなことよりも、自分の顔の良さを十分に理解している表情を浮かべていることが鼻につき、彼を避けて先に階段を下りる。
「どうにもならない。くだらないことで絡んでこないで」
「あはは」
空笑いなのかすら区別がつかない笑いに、何故だか少しだけ複雑な感情を抱いていた。