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第16話



 私が1年生の時には、よく陽斗先輩と二人で帰っていた。けれど、進級すれば本格的に先輩の受験が始まるわけで、何度か一緒に帰ろうと誘われていたが、その度に断っていた。その事から逆に気を遣われて「受験が終わったら、一緒に帰ろうね」と、先輩に言わせることになってしまった。


 そして今日、進級して初めて陽斗先輩と帰ることになっているのだが、あまりにも気を抜きすぎていたせいで、もうすぐ駅に着くというのに沈黙が続いていた。


 私のせいで、わざわざ一緒に帰ってくれているというのに。



「久しぶりだね。こうやって一緒に帰り道歩くの」


「そう、ですね」



 茜色に染まる空を見上げながら、気を遣って沈黙を破ってくれたというのに、私は何の面白味もなければ、会話を続けようとしない返事をした。


 会話を続けようとする努力をしない私は、相当陽斗先輩に甘えている。

このままじゃいけないってことくらい分かっているけど、なかなか行動に移せない。


 何かを変えたいのなら、まずは自分から変わらないと何も変わらない。何かに書いてあったのか、それとも誰かが言っていたのかは忘れたが、そのことを思い出した私は、小さく息を吸い込んだ。



「遅くなっちゃいましたが、受験お疲れ様でした」


「ありがとう。合格発表はまだだから、安心はできないけどね」



 本当に、そう思っているのだろうか。

 安心していないと、夜遅くまで遊び歩けないのでは?


 そんなこと思う自体、不毛なのかもしれないけど。



「そういえば、テスト勉強はどう?」


「うーん……」


「また手、抜くの?」


「……すごく嫌な言い方しますね」


「だってましろちゃん、上位取れるのに取ろうとしない努力してるから」


「上位なんて取りたくないです」



 無意識にも近く、ぽつりと言葉がこぼれる。


 そのことに気づいて我に返った私は、俯いていた顔を勢いよく上げて陽斗先輩を見る。



「あ、えっと……その……」


「一回でも上位取ると、プレッシャーとかあって面倒だもんね」


「……はい。それに、今は現状維持で精一杯なので、上位は普通に無理です」


「そっか」



 優しすぎる笑みを浮かべて頭をふんわりと撫でてくれた先輩は、再び前を向いた。


 少し前を歩く先輩の横顔は、何やら迷っている様子で。なんとなく、次に何を言われるか予想がついてしまった私は、どんどん眉間にしわが寄っていく。



「玲青と何かあった?」


「ないです」



 予想していた質問を案の定言われ、思わず即答してしまえば、陽斗先輩はこちらを無理向いてくすっと笑った。



「即答は、肯定の意味でもあるんだよ」



 何かを誤魔化す際に、誰しもが即答してしまう時がある。

 その場面を見る度、この人は嘘をついている、と私自身も常日頃から感じるのだから、今回は相当露骨だったんだろうな。



「でも、この質問は愚問だったね。ごめんね?」


「……また意地悪ですか?」


「ん? 僕は一度も意地悪した覚えなんてないんだけどなぁ」


「忘れたなら、別にいいんですけど」


「嘘。ちゃんと覚えてるよ」



 そう言った先輩はふわりと笑ったが、でも、と言葉を続けた先輩からは不意に笑みが消えて、少しドキリとした。



「意地悪であんなこと言ったんじゃないからね?」


「……解ってます」



 そんなこと、解ってる。

 あれは意地悪で言われたと自分に言い聞かせているだけで、先輩は天王寺玲青のように逆なでするようなことを平気で言う人ではない。


 今だって、少し後ろを歩く私の歩幅に合わせて歩いてくれている。

歩調を速めたり、緩めたりと先輩を試すことを沢山やってきたが、全て私に合わせる先輩は根っからの優しい人で。きっとそんな先輩と私は、関りを持ってはいけなかったはず。


 親に育ててくれた感謝など一ミリもしていないクズな私は、聖人の陽斗先輩といるだけで劣等感ではない違う感情で心が押し潰されそうになっているのだから、も言う答えが出ているというのに、それを口にするのが怖い。



「久しぶりに見たよ。ましろちゃんがちゃんと感情をだしてるところ」



 先輩がこちらに向ける眼差しには、温かみがある。

 じわりと冷たくなった私の心にその温かみが広がっていく感覚を覚えるが、心からは軋む音が鳴り止まない。



「私はいつも」


「いつも、なに?」


「……いえ」


「ごめん、今は意地悪言った。カラオケの時も出てたもんね」



 カラオケという言葉を聞いて、あの日、連絡をすると言ってしなかったことを思い出し他私は、今更だが謝罪をした。



「あの時は、本当にすみませんでした」


「あの時?」


「カラオケの日……連絡するって言ってしなかったので」


「全然気にしてないから大丈夫だよ。それより、あの時のましろちゃん凄く顔色悪かったけど、その後は大丈夫だった?」



 怒ることもせず、なんなら人の心配をする。

 本当にこの人は、どこまで人のことばかりなのだろうか。


 聖人君子とはまさに、先輩のような人のことだ。



「はい……」


「それならよかった。また気晴らしにどこか行こうか。泰雅もいれて3人で」



 顔色を窺ったり、負の感情しか生まれない人物をわざと抜かした先輩の言葉に驚いて、思わず歩みを止めてしまった。


 気を遣って言ってくれてるのは分かるのだが、こんな風に露骨に言うことなんて今までなかった。それに、口元には悲しげな笑みを浮かべていたから、余計戸惑った。


 私が歩みを止めたことに気づかない先輩との距離はどんどん離れていく。そんな私に気づいた先輩は、いつものような笑みを浮かべて振り向いた。こちらに近づいてくることはなく、あくまで距離を保っている。


 きっと、私には悟られたくない何かが生まれたのだろう。



「どこか行きたい所とかある? これ食べてみたいとか」


「特には」


「僕ね、おからと豆腐を使ったドーナツがあるお店に行ってみたいんだよね。美味しそうじゃない?」



 黒木先輩ならまだしも、お肉が好きな陽斗先輩がドーナツを食べに行きたい、なんて思うはずがない。しかもヘルシーなドーナツ。


 それも全て、私のためなんだろうなって思うと、居た堪れない気持ちにどうしてもなってしまう。



 どうしてこんな私が、先輩にとって価値のある人間になっているのか、いまいち理解できない。

 私の嘆きをずっと聞いてくれたからこそ、変わらない態度でいてくれているのかもしれないが、そろそろ私を突き放してくれないと困る。



「遊園地とか、水族館とか、フェスなんかもいいと思わない?」


「…………」


「3人で行けたら、きっと楽しいと思うよ」



 そういう、騒がしい場所は苦手。

 人混みも、大きな声も、視線も何もかもが苦手。


 家に居られないから外にいるだけで、私は人一倍インドアだ。



 結局、陽斗先輩の質問には答えることは出来ないまま駅に着き、プラットホームに向かう先輩の後ろを黙ってついて行く。


 先輩の家は私の家とは真逆なのに、送ると言われた時は当然のように家まで送ってくれる。

 きっと黒木先輩と遊ぶ予定だっただろうし、遊ぶ予定じゃなかったとしても、私を送るのに時間を使わせてしまっている。無駄でしかない時間なのに。


 だから、少しでもお礼がしたくて、先輩がいつも飲んでいるコーヒーかお茶を買おうと、プラットホームにある自動販売機にお金を入れようとすれば、横から伸びてきた手が私の手を制する。


 振り返るよりも先にその手が自動販売機にお金を入れ、私がよく飲んでいるココアのボタンを押し、取り出し口からココアを取ると同時に、今度は自分のコーヒーのボタンを押した。



「はい、どうぞ」



 温かいとはお世辞にも言えない熱すぎるココアを差し出された。

 私が買おうと思っていた、と言って受け取らないなんてことは出来るわけもなく、眉を寄せながら渋々ココアを受け取った。



「私が買おうとしてたのに……」


「先輩に奢らせてよ」


「いつも奢ってもらっているお礼と、家まで送ってもらうお礼として」


「言い方変えるね。先輩に格好つけさせてよ」



 自分に買う飲み物はいつも渋るが、先輩に使う100円ちょっとなんて惜しくも何ともない。それなのに、これすらお礼をさせてもくれないなんてと少し思うこともあるけど、先輩の笑っている瞳は至って真剣で。それが伝わった私は、折れるしかなかった。



「……ありがとうございます」


「いえいえ。奢りたいっていう気持ちだけ受け取っておくね」



 買ったコーヒーを顔の近くに持ってきて、首を傾げながら優しい笑みを浮かべている先輩を見ていたら、私の中にある全ての憤りとか、哀しみなどが少しだけ消えた気がした。



 受け取ったココアを握りしめたまま、数分後に来る電車を待つ列に私たちは並んだ。


 先程までの会話は嘘のように、私たちの間には沈黙が流れている。

 話さないといけない話題もない私は、当然自分から先輩に話しかけることはないし、隣ではなく斜め前を立っている先輩は、何やら考え込んでいる。そんな先輩との距離を久しぶりに感じて、思わず目を伏せた。



 先輩は必ず、隣ではなく自分の少し後ろに私を立たせたり、歩かせたりする。


 理由は一つしかない。

 私が死に急いでいる、ということを勘づいているから。


 でも私は、人にトラウマを与える死に方は絶対にしたくない。


 人間の体はしぶといけど、心はどんな人間でも繊細なもの。

 一生消えることのない傷をつけてしまうことは避けなくてはいけない。だから死に方には気をつけたいとは思っているのだが、先輩もそのくらいは理解していそうなのに。



 熱すぎるくらいだったココアが、今では人肌くらいになっていて、どんどん嫌いな冬が近づいてきてるんだと思ったら憂鬱でしかない。


 いっそ、ここで人生を終わらせてしまった方が、私は幸せなんだろうな。と思いながら溜め息に聞こえないように静かに息を吐いた直後、沈黙を破ったのはやっぱり陽斗先輩だった。



「玲青はいい子だよ」



 そう言った先輩の声は、とても静かだった。

 けれど、まさか彼のことを言ってくるだなんて思ってもいなかった私は、陽斗先輩を睨みつけていたに違いない。



「器用に見えるけど、すごく不器用な子なんだ」


「…………」


「誰よりも素直で、純粋で。だからこそ余計なことも言っちゃう。でもそれは、気を許してる証拠で。誰よりも優しくて、誰かが傷ついていると、自分も同じように心を痛めることが出来る子」



 彼を思い浮かべながら言葉を紡いでいく先輩の顔はとても優しいが、それを聞かされたからって彼の印象が変わることは絶対にない。


 嫌いがマシになって、そこから好きになるなんて絶対にあり得ないんだから。



「僕からしたら、君たちはよく似てる」


「似てる……」



 ──俺たち似た者同士なのに。


 以前、彼に言われたことを言われたことを思い出して、唇をキュッと結ぶ。



「うん。だから玲青はましろちゃんとの……ううん、何でもない。これはちょっとお節介すぎた」



 似ていると言われて、ショックを受けている自分がいた。


 唯一、私を理解して受け入れてくれた人が陽斗先輩で、天王寺玲青に劣等感を常に抱いてしまうことも、嫌いということも、それらのちゃんとした理由も全て知っているからこそ、先輩の言葉は頑張っても理解できないし、気を抜けば涙が溢れてきそうなくらい悔しくて、哀しかった。


 陽斗先輩だけにいは、黒い感情を抱きたくないのに。



「根は本当にいい子なんだよ」


「あの。どうして突然そんなこと言い出すんですか?」



 まるで、彼と仲良くなってほしい言い方。

 数十分前は、彼を抜かして3人で遊びに行こう、だなんて言っていたくせに。



「んー、なんでだろうね?」


「意味はない、と……」


「それもちょっと違うかな」



 こちらを振り向いた先輩はいつものような笑みを浮かべているが、誤魔化しているような笑みに、私は思わず目を逸らしてしまった。



「これでいいのかなって思ったのと……忘れようとしていたものを、結局忘れることが出来なかったから、せめてもの償いって感じなのかな」



 意味がわからない。

 きっと、それが顔に現れていたのかもしれない。


 陽斗先輩はくすっと笑ったが、再び前を向いた時には笑みを浮かべていなかった。



「僕は無力だから」



 ──ただ近くにいるだけで、求めていることは何もしてくれないっていうのに。


 耳元で彼に言われた言葉と重なって、異常な重みとなった言葉にひゅっと引いた息が喉に詰まり、息苦しさを覚える。



 先輩は今まで一度も、私の前でそんなことを零すことがなかった。

 それに、いつも笑っている印象が強いせいか、急に笑みを消されてそんなことを言われると、戸惑ってしまう。


 どんな心境で先輩が彼のことを私に教えたのかは解らない。

 ただ、私が、私たちが先輩に迷惑をかけていることは嫌ってほど分かる。


 だから、私はひとりで生きていくから気にしないで。と言ってあげれば少しは先輩も安心するかもしれないのに、震えて声が出なかった。



 私は、この世界から必要とされていない。

 この世界に生まれたその時から、私はいらないものだったから。



 それを改めて自覚したからあ、余計口を開くことが出来なかった。



「意味わからないよね。ごめんね」


「…………いえ」



 買ってもらったココアは、もう冷めきっていた。

 ココアから伝わる冷たさが私の体温を奪い、握っているのが辛くなった私は、鞄の中にココアを放り込んだ。


 親しいように見えて、そこまで親しくない。

 近いようで、まったく近くない。


 それが私と陽斗先輩の距離。



 最初はこういう距離が心地よかった。

 私を高嶺の花とかそういうのではなく、ただのましろとして扱ってくれている先輩の隣が。


 でも今は、なんだか突き放されているように思えて、先輩の隣にいるのが死ぬほど心地が悪くて仕方がなかった。





 特に会話らしい会話をしないまま、私の家に着いた。

 スマートフォンを見るのは失礼かと思って見れていないから、正確な時間までは分からないけど、18時前後なのはあっているだろう。


 街灯がつき、辺りの暗さで、大体の時間が分かるという、意味のないものを習得していた。


 こんなにも早く帰ってくるなんて久しぶりで緊張もしていたが、気まずさと、感情のコントロールが上手く出来なかったせいで疲れた為、先輩の隣から解放されるのだと思ったら息がしやすくて。門扉の前で立ち止まった私たちは、改めて向き合った。



「送っていただき、ありがとうございました」


「いえいえ。また一緒に帰ろうね」


「……はい」


「約束だよ? じゃあ、ゆっくり休んでね」


「はい。さよなら」


「うん、バイバイ」



 こちらに手を振る先輩に、私は手を振り返すことはなく会釈をした。

 私の行動に先輩がどう思ったのかなど私には分からないが、来た道を戻って行く先輩の背中は、何だか小さく見えた。


 陽斗先輩の姿が見えなくなるまで見送っていた私は、一人になれたことによって、ようやく溜め込んでいた息を全て吐き出すことができた。


 でも今度は、家の中に入らないといけないんだという憂鬱から更に溜め息をつきそうになったが、唇を結んで横にある自分の家を改めて見上げた。


 家の中に入ったら、私はどうすればいい?

 お風呂に入るのは早ければ早いほどいいとは思うが、ご飯のことは要らないと言った方がいいのだろうか?


 どっちにしろ自分の部屋から出て過ごすなんてことは無理だから、家の中の状況を見てから考えよう。



「なんだ、今日は早く帰ってきたんだな」



 深呼吸をし、覚悟を決めた私は自分の家と向き合った刹那、冷たい風が私を包み込むと同時に、真横から父の低く冷たい声が聞こえてきて、ビクリと肩が大きく揺れた。


 きっと、この反応を見て父は喜んでいるに違いない。

 畳みかけて話してこない辺り、私の予想は間違ってはいないんだろうな。


 足が重くて、ちっとも動かない。けれど、いつまでもこのままの状況など許されるわけもなく、必死に顔だけ父の方に向けた。


 目が合った瞬間、心臓を鷲掴みされたような、鈍器で思いきり殴られたような痛みが胸に走り、口から吸い込む息が揺れている。しかも、吸い込む息の量があまりに少量すぎるせいか、指先がじわりじわりと冷たくなっていくのが分かる。



「お……おかえり、なさい……」



 私がこの言葉を言うまで待っていたというのに、うんともすんとも言わない父に、内側から怒りが渦巻いていた。


 何故か盛大に溜め息をついた父は、私の横を通り過ぎると同時に「早く家に入って勉強しろ」と言い放って、ひとり先に家の中へと入って行った。


 怒りを通り越して、もはや哀しみしか生まれない。


 彼と同様、私が両親に何をしたっていうの。

 私はただ、子供が欲しかった両親に引き取られたってだけなのに。


 こんなの、家族だなんて言える関係じゃない。

 今更、それを求めたって意味がないのは十分に理解をしているが、それをすんなりと受け入れるには、まだ難しいところが私にはある。


 それがとても、惨めなことも私は解っている。



 家の前まで来て中に入らないという選択肢などあるわけもなく、開いている門扉の隙間から家の敷地に入り、静かに玄関のドアを開けて中に入るや否や、リビングから両親の声がいつもよりハッキリと聞こえてくる。


 それは、リビングのドアが意地悪に開いているからだ。



「ましろが帰って来たぞ」


「まあ、珍しい」


「勉強させておくから心配するな。愛は今日も遅くなるのか?」


「そうみたい。最近良くしてくれる先輩が出来たみたいで、大変だーって言ってたわ」


「人付き合いで大変なのか。偉いな〝あの子は〟」



 補導される時間を過ぎてまで遊んで帰ってくるのが偉いの?

 勉強もせず、成績はいつも下位の妹が、そんなに偉いの?


 私だって、人付き合い頑張ってるよ。

 妹みたいに、全教科赤点なんて取らないように頑張ってるよ。

 差別をされたって、この家にちゃんと帰って来てるよ。


 そんな私より、あいつの方が偉いっていうの?



「本当、偉いわよね。さ、今日先に二人で食べちゃいましょう」


「あぁ」



 当たり前のように、私のご飯は用意されていないことに笑いが込み上げてくる。


 本当の娘じゃないから、どう扱っていいのか分からないのはちゃんと理解してあげるよ。でも、この家に来てもう──16年経ってるんだよ?

少しは私のこと、分かってくれてもいいんじゃないの?


 そう思えば思うほど、虚しさばかりが募る。



 私たちは同じ人間で、一緒に過ごしていくうちにお互いを理解しあえるって、どこか信じていたのに、私の嘆きは両親には届かない。それが歯がゆくて、悔しくて、哀しくて。こんな時間に帰ってこなければよかったと思うばかり。



 ──誰よりも優しくて、誰かが傷ついていると、自分も同じように心を痛めることが出来る子。


 陽斗先輩が〝彼〟のことを教えてくれた時の声が、何故か頭の中で流れる。



 もし、本当に陽斗先輩が言っている通りの彼だったとしたら、私の育ての親たちは本当にクズだ。


 そんなクズたちのことで悩んだり、傷ついたり、怒ったりしているのがあまりにも馬鹿馬鹿しくて、花にツンとした痛みが走って、目に涙が浮かんでいるのも両親たちは知らなくて。妹も、私を生んだ奴も知らなくて。私の涙を見たところで、家族たちは何も思わないんだろうなって想像したら、全て諦めるしかなくて。



 何度も経験してきたが、自分が傷ついたという自覚をした瞬間は、やっぱり苦しかった。



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