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第12話


 普段だったら21時近くまで遊んでいるというのに、ひたすら耐えたことで誰かが私にご褒美をくれたのだろう。19時半というあまりにも早い時間に帰れることになり、表情管理など全く出来ないくらい心躍るように嬉しくて仕方がなかった。


 ドアに一番近いというのに続々と部屋から出て行く人たちを見送り、陽斗先輩の後ろ姿を見てから一番最後に部屋を出た。その際に鞄の中から財布を取り出したのだが、すかさずその手を陽斗先輩に制された。



「いつも言ってるけど、出さなくていいんだよ。僕が払うから」



 フリータイムで入っているから、料金は700円くらい。自分は歌っていないけどドリンクを飲んだし、その場にいたんだから払うのは当然。それだというのに、陽斗先輩は私の分までいつも払ってくれている。


  払ってくれるのなら有難いことだけど、陽斗先輩に今まで奢ってきてもらって額を考えると自分で払わないといけない。


カラオケの料金も、食べに行った時のご飯代も、飲み物代も、高くて凪沙たちとお揃いの物を買えなかった私に、わざわざお揃いの物を持たせるように買ってくれたりと、数えきれないほど陽斗先輩にお金を使わせている。


 傍からしたら大した額じゃないのかもしれない。けれど、私からしたら将来が心配になるくらいの大金だ。



「いえ、自分で払います」



 首を横に振りながら否定し、自分で払うと言えば、陽斗先輩も負けじと首を横に振った。



「ましろちゃんは自分のために使って?」



 陽斗先輩はある程度だが、私の現状を知ってもらっている。

 重すぎる養子とかは当然言えるわけもないが、その他の家族と仲が悪いとか、自由に使えるお金が少ないとか、根本的な問題以外は全てとはいわないがある程度は言った気がする。


 ただ、陽斗先輩は敏い。


 1伝えて10理解する人だ。

 そんな人に隠し通せるわけがない。


 だから〝あんなこと〟を言わせてしまったんだ。



「もしかして気にしてる? また払ってもらうって」


「……はい」


「いつも言ってるけど、気にしなくていいんだよ」



 優しく微笑んでくれた先輩は、私に背を向けて歩き出す。

 陽斗先輩から視線を外して前を見れば、もうそこには私たち以外誰もいない。なら引き留めることが出来る。


 両手で陽斗先輩の腕を掴んで、勢いよく引き留める。



「あの、本当に大丈夫ですから! これまで沢山奢ってもらいましたし、もう……」


「どっちがお金を持っているからとかじゃなくて、僕がましろちゃんにしてあげたいんだよ」



 弱っているからか、陽斗先輩の言葉に涙腺が緩みそうになる。


 他でもない私にしてあげたいだなんて、どんな言葉よりも今は嬉しかった。

 そんなことを言われたのは久しぶりだったから余計。


 これを幸福感と呼んでいいのかは定かではないが、更に口角が緩んだ私は背を向けて財布を取り出した陽斗先輩の後ろをついて行こうとした時、先程までいなかったはずの天王寺玲青の姿が突然視界に飛び込んできた。



「陽斗くんも大丈夫だよ。僕が奢るから」



 いつからそこに居て話を聞いていたのかは分からないが、憎たらしい笑みを浮かべながらそう言った。


 私が眉間にしわが寄る前に彼はそそくさとレジの方へ向かって行って、その後を陽斗先輩は追いかけた。



「玲青、僕の方が年上ってこと知ってる?」


「陽斗くん。僕の方がお金持ってるってこと知ってる?」



 そんな事を言われたら、陽斗先輩はそれ以上口を開くことはなく、諦めたようにふっと笑った。


 なんて嫌な言い方なの。

 もっと違う言い方というものがあるでしょ。


 最初からお金を出さない私が何かを言える立場ではないのは理解しているけれど、あんな言い方は誰だって傷つく。


 先輩には気を許してるからって、傷付く言い方をしていいわけじゃない。

 彼は親しき中にも礼儀ありという言葉は知らないのだろうか。



「わー、玲青かっこいー」



 レジまで行けば棒読みもいい棒読みの声が聞こえて顔を上げると、大して彼と仲が良いわけではないというのに、凪沙と絵麻は彼に奢ってもらうのが当たり前のような態度で。酒を飲んだのかと思ってしまうほど上機嫌な二人は、彼を茶化しただけでお礼も言わずに店から出て行った。


 彼も彼で、奢るのが当たり前な態度でいる。


 それが凄く頭にきた。



 確かに彼はお金持ちだし、彼にとってカラオケの料金なんてたかが知れているのだろう。でも、私からしたら全員分払うのなんて大金だ。一ヶ月に貰えるお昼代とほとんど変わらないのだから。


 実際、彼に甘えていれば私だってお財布が寂しくはならない。けれど、彼に奢ってもらうなんて死ぬほど嫌で。私は鞄の中から財布を取り出し、ちょうどあった700円を握りしめながらレジの前に行き、カルトンに700円を置いた。



「僕が払うから大丈夫だよ」


「結構です。自分の分は自分で払います」



 その場の空気が一瞬にして重くなる。

 店員さんも困った表情を浮かべているから申し訳ない気持ちは生まれるが、彼に奢ってもらうのも借りを作るのも嫌。


 先輩たちにも、特に陽斗先輩。

 惨めな思いをさせてごめんなさい、と心の中で謝りながら他の会計を彼が済ませるまでドアの近くで先輩たちと待った。





 支払いを済ませ、カラオケ店の前で解散することになった私たち。


 友人たちは彼にお礼を言うどころか、先輩たちにも挨拶をせずに上機嫌なまま私に手を振り、二人仲良く私の帰り道とは別の方向へ歩いていく。


 あの調子じゃ、どこかに寄ってから帰るんだろうな。

 いいな。遅い時間まで遊んでても怒られないんだから。


 数ヵ月しか変わらないけど、妹より一歳年上になる私は早く家に帰らないと怒られて、まだ16にもなっていないあの子は年齢を誤魔化して〝あそこ〟で夜遅くまで遊ぶんだろうな。


 21時を過ぎに帰ってくる私は怒られて、22時を過ぎて帰ってきても妹は怒られることはない。無断で朝帰りをしたって怒られることはないとか、本当理不尽極まりない。


 つきたい溜め息をグッと堪えて、まだ残っている先輩たちに帰ることを伝えて頭を下げれば、ポンッと肩に手が乗る。



「送るよ」



 勿論、その手の主は陽斗先輩で。先輩の優しい声が弱った心に染み渡る。


 ただ、とにかく今は一人になりたくて、先輩を真っ直ぐ見つめながら首を横に振った。



「大丈夫です。さようなら」



 軽く頭を下げ、一人駅へと向かう。


 今日は本当に疲れた。

 公園に行く気力など残っていなかった私は、今日だけ真っ直ぐ家に帰ることにした。



 帰ったらすぐに部屋に行って、お風呂を入る。お風呂と言ってもいつも通りシャワーだけ。うちは浴槽があっても湯船には浸からない。理由は知らない。昔からそうだったから。

 シャワーを浴び終わったら歯を磨いて、すぐに部屋に戻ったら髪を乾かして、今日は勉強せずに寝てしまおう。


 絶対に親から話しかけられないようにと、スムーズに事が進むように何度も何度も頭の中でシミュレーションを行っていると、ポケットの中に入っているスマートフォンがブルッと揺れた。


 送り主がなんとなく陽斗先輩だと思った私は、道の端に寄ってポケットからスマートフォンを取り出した。



[暗いから気を付けて帰ってね。家についたら連絡して。]



 案の定、陽斗先輩からのメッセージで、私は喉がキュッと締まる。

 苦しさ、気まずさ、そして文の違和感から眉間にしわが寄る。


 どうしてこんなにも違和感を感じるのかは分からないが、無視はできない。


 フリック入力を使って、思っていることを素直に書き込んでみた。



[八つ当たりしてすみませんでした]



 一度や二度の八つ当たりじゃない。

 それに、今日だけでも沢山迷惑をかけた。


 やり取りを続けたくはなかったから送る気は更々なかったが、私は迷うことなく謝罪の言葉を送ると、すぐに既読が浮いた。



[八つ当たりなんてした? 僕、気づかなかったよ だから気にしないで]



 立て続けに送られてくるメッセージは、今度は違和感がない。

 そして、あまりにも優しいからこそ、ものすごく苦しい。


 私はなに一つ、先輩にしてあげられていないというのに、先輩はそれすら包み込もうと努力をしてくれている。


 きっと、そんな先輩に全て頼ってしまったら一番楽なんだろうけど、それじゃ私の理想は叶えられない。


誰も幸せにはならない。



[家に帰ったら連絡入れます]



 そう送ればすぐに[うん 分かった]と返事が来たというのに、結局私は陽斗先輩に連絡を入れることはなかった。



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