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今日も朝起きて絶望するところから始まり、妹にいってらっしゃいを言うために一階に下りれば、相変わらず両親からは軽蔑の眼差しを向けられた。今日はあの人からのメッセージもないし、決して変わったことは起きていない。
まだ朝だからなのかもしれないけど、クソが付いてしまうくらい、いつもと何も変わらないつまらない朝だった。
昨日の出来事があったから何かしら日常に変化が訪れるのかと思ったけど、あの後は結局何もなかった。今も何かが起きそうな胸騒ぎなど一ミリも感じない。
腹が立つ何かが起きるならクソつまらなくて、いつも傷ついている日常の方が何倍もいいけど、私にとっていい方向に変わっていく出来事が何かないかな……と少しは思ってしまう自分がいる。
もしかしたら私は、〝あの日〟の判断を間違ったのかもしれない。
愛というものがどういうモノなのかを知るいい機会だったのかもしれない。
でも、生ぬるい愛なんて私には必要ない。
「ましろー、これ私に似合うと思うー?」
「似合うと思うよ。絵麻の可愛い顔に映えると思うし」
「本当? なら買っちゃおう」
ショートホームルームが始まるまで、凪沙と絵麻が新しい小物を買うといって流行っている通販サイトを見ていたから真似して色々見ていたが、二人が気に入ったの物をカートに入れていくなか、私は欲しい物に全てお気に入りボタンを押していくだけでカートの中には入れなかった。
お気に入りリストにどんどん物が増えていく度、また心から軋む音が聞こえてくる。
「ましろに聞かなくても買ってたくせに」
「あのさぁ、凪沙ってそういうところあるよね。空気読めない感じ?」
「もしかして喧嘩売ってる?」
「そうやってすぐ怒る!」
「ちょっと、朝から喧嘩はやめようよ」
朝っぱらから喧嘩とかやめてよね。ただでさえ朝から疲れているっていうのに、これ以上疲れると午後まで持たないんだって。
まぁ、二人にとってこれらは喧嘩には入らないんだろうけど、騒ぐと変に注目されてしまうからそれだけは避けたい。騒がなくたって二人はスクールカースト上位の人間で、天王寺玲青と同じ本物の人気者の先輩と仲が良いからいつも変に目立っているのだから。
「てか、同意してほしい時に絶対同意してくれる人に聞くのなんて当たり前じゃん」
なるほどね。そういう役回りなんだろうなとは分かっていたけど、それを直接聞くのと訊かないとじゃ重さが違う。
こんなことで傷ついている方が馬鹿だけど、思わず自嘲の笑みがこぼれ、瞬きを必要以上にしていることから、きっと傍から見たら私は傷ついていると分かってしまうだろう。それでも必死に、涙が溢れてこないように瞬きをするしかなかった。
「私、ましろと仲良くなれて本当によかった。この子といると無駄に体力使うから」
「それはこっちの台詞なんですけどー!? 気分屋すぎる凪沙さん?」
貶して絆を確かめる不愉快極まりない関係性を少し羨ましいと思ってしまう私は、やっぱり一番救いようのない馬鹿だ。
「まあまあ、ちょっと落ち着いて」
仲裁に入ることで、二人は何かしら私に思うことはあるだろう。これがいつもの私たちなのにって。大して仲良くないお前は黙ってろってね。でも私は、ここにいるにはこの立場しか残っていないから。2対1なんてなりたくないし、心の中で酷いことを言っていてもそれを口に出す勇気はないし、もし私の言葉で二人のどちらかが傷ついた表情を浮かべたら……と考えると少し怖い。
この立場すら失ってしっまったら、私は友達と言える存在がいなくなって、本当に独りになってしまう。
私には二人だけが友達。でも二人にとって私はただの道具で。友達だったとしても、友達の中の一人にしかすぎない。それがとても嫌と感じる時がある。ううん……いつも嫌だと思っている。話し相手も二人しかいないし、私は二人だけなのにって常日頃から思っているから余計。
私だけがいつも重い感情を抱き続けるのは死ぬほど辛いけど、元々私がこの二人の仲に入ることがまず無理な話だった。
だって二人は、親友だから。
私も誰かのそういう存在になりたい。
──代わりの利かない、特別な何かに。
そんなことを考えながら視線を手元に戻す。もう、二人はスマートフォンを見ていない。だからもうスマートフォンを弄ることは出来ない。必要なくなったスマートフォンをポケットにしまい、机の中から小説を取り出そうとしたが今日は持ってきていないことを思いだした。
こういう時に小説を読んでいて、もし話しかけられても『あ、ごめん聞いてなかった』なんて言ってとぼけられたのに、昨日のせいでそれが出来なくなった。
天王寺玲青のせいで。
小説を読んでいたら、また変な喧嘩を売られるかもしれない。そう思った私は昨日から彼が確実にいたり、彼のことを慕っている人がいる空間では読まないと決めたのだ。
少しでも彼と関りを持ってしまうようなことは徹底的になくしたつもりだから、しばらくの間は彼との関りはないだろうと断言できる。
なんとなく卒業するまで関わることはないだろうという、よく分からない勘みたいなのがあって、嬉しさと心に少しだけだが余裕が生まれたことによって自然と口角が上がった瞬間、ガラッと教室のドアが開いた。今日も今日とて一瞬にして教室が騒がしくなり、私の口角は元に戻っていく。
タイミングが悪いというのは、こういうことを言うのだろう。
あぁ、なんで同じクラスになってしまったのだろう。
同じ空気すら吸いたくない人物と同じクラスって分かったあの瞬間から、私は保健室登校にすればよかった。勝手にそんなことをしたら両親が黙ってないんだろうけど。
先生にあることないこと言って保健室登校なんてさせてくれなくなるだろうし、何も出来ないクズな人間なのだから、学校くらいちゃんと行けって。近所で恥ずかしい思いをさせないでって耳に胼胝ができるほど言われる光景が頭に浮かぶ。
思わず溜め息が漏れそうになるのをグッと堪えて、私は親指の皮をまた抉ろうと爪を立てたその時だった。
トン……と、私の机に見覚えのない男子の手が乗った。
カースト上位にいる私たちのグループに男子一人で関りに来る人なんて、ましてや私の席に来る人なんて今まで誰一人としていなかった。
そうとなれば、昨日の出来事が必然と思い出される。
いきなり私の目の前に現れた人物のことを。
ここで無視をすれば変に注目を浴びるし、友人たちの目も何か変わってしまうかもしれない。できればもう、関わってほしくなかった。彼が関わってきても、私の人生がいい方向に変わっていくことはないだろうから。
そんなことを心の中で呟きながら顔を上げると、やっぱりそこには天王寺玲青がいて、昨日のように口角をほんの少し上げながら私のことを見下ろしていた。
「おはよう、白石さん」
な、なんなの……?
今まで私にだけ挨拶をしてこなかったくせに、今日は私にだけ挨拶をしてくるとか……どういう心境なわけ?
『……おはよう、ございます』
平静など保てるわけもなく、ぎこちなく挨拶を返せば、私の嫌いな済ました笑みを浮かべながら自分の席へ向かって行った。
「なんか、珍しいもの見ちゃった」
「なんでましろにだけ名指しで挨拶してきたんだろう?」
「……嫌われてるんだと思う」
「嫌いなやつに挨拶する?」
「しないよー、視界にも入れたくないんだから」
「あんた怖いよ」
「凪沙の方が怖いよ! 顔とか顔とか」
友人たちの会話を聞いて、教室の一番後ろにいる彼を一瞬だけ睨みつけた。
昨日から変な流れになっているなとは思っていたけど、挨拶をされるなんておもってもいなかった。
注目されるって分かっていながら何のために名指しで挨拶してきたのかは分からないけど、きっと朝から何か良いことがあったのだろう。気分が良いから嫌いな私にも挨拶してきた。きっとそうだ。それとしか考えられない。
勝手に彼の気持ちを決めてざわついている心を落ち着かせようと努力をしたというのに……私の日常は少しずつ変化していく。