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「ましろー、一緒に遊びに行こう?」
放課後、絵麻から遊びに誘われた。
昨日も、一昨日も、一昨昨日も遊びに誘われた。
私はその度に全て誘いを断っている。
本当は付き合わないといけないって分かっているけど、今月は金欠もいい金欠だった。
遊びに行くのなら、当然お金を使わないといけない。二人が買い物をしている際、私は買わないで見ているだけならまだしも、夕食をファミレスなどで食べるといった場合、食べないという選択肢は勿論ないわけで。けれど私は、そのお金を出すのすら惜しい。
夕食を食べるという行為も、私には苦痛でしかなかった。
「ごめん、今日も真っ直ぐ家に帰って来いって言われてるの」
「えー、今日も?」
「うん。テスト近いから親がうるさいくて……」
「まだまだ先なのにね」
「うん……」
「ましろの家って、本当厳しいよね」
誤魔化すように笑うことしかできない。
これ以上、嘘を重ねたら自分自身で管理出来なくなるから。
私のこれらは、きっと隠し事の分類に入る。何かを守るための隠し事と、誰かを傷つける嘘があって、私は自分自身を守っているから、これは嘘ではなくて隠し事になる。でも二人からしたら嘘になるのだろう。
もう気づかれてるのかもしれないけど、今更私がいつも金欠だとか、家族に嫌われているだとか、家に帰りたくないだとか、容姿だとか、こんな立場になってしまった以上言えない。本来の自分を出すことよりも、難しい問題すぎるから。
「今日はどこに遊びに行く予定なの?」
「知り合いの大学生とカラオケ!」
「二人とも上手だから盛り上がるね」
「いや、今日は多分聞き専」
「今日は沢山いるらしいからね」
尚更断っておいてよかった。
大人数だと抜け出したいときに抜け出せないから。
それに、名前も顔も知らない相手と密室で何時間も一緒とか私には耐えられない。
「じゃあ、私たちそろそろ行くね」
「うん。またね」
教室から出て行く二人に手を振り、視線は再び何も置かれていない机の上に。誰にも聞こえない程度で息を吐き、机の中から小説を取り出す。
今日から読み始めた【独法師は形影相弔う】という小説は、冒頭からあまりにも重すぎる話だった。重いと言ってもまだ冒頭しか読めていないが、共感できる部分が沢山あった
──出口が全く見えない。どれだけもがいても、前へ進んでも、全く光が見えない。
ここが一番共感できた。けれど私には、主人公と違って吐き出せる場所が少しはある。私に何も求めず笑いかけてくれる人もいる。
私も独りだけど、主人公のように独りではない。そう考えれば、私はまだ幸せなのかもしれないけど、辛いのには変わりない。
私が持っていて、今は手元に無いあの小説の登場人物もそう言っていた。
──辛いのは当然私だけじゃない。でも、私は辛い。それじゃダメなの? 私の話しなのに、他人と比べたり一緒にしないでほしい。
この言葉を見た瞬間、喉がキュッと閉まって息の仕方を忘れるほど深く頷いて共感した。
この部分じゃなくても沢山共感できた部分が私にはあったが、小説を貸したあの人は、あの小説を最後まで読んだのだろうか。もし最後まで読んでいたのなら、どう思っただろうか。
いつも明るいあの人にはああいう感情だったり、独りだという自覚なんて生まれたこともないだろうから、きっと理解に苦しんだだろうし、不快にもなったと思う。
でも、瞳の奥の黒い何かがたまに垣間見える時があるから、意外とあの人もこっち側なのかなって。きっと私の勘違いに過ぎないんだろうけど。
小説を開き、栞を挟んでいるところの文ではなく、ページを戻ってある一文に視線を落とした
──幸せになりたくて生まれてきたのに。
誰しもがそういう気持ちを抱いて生まれてきた。私もそうなんだろうけど、いまいちピンとこない。捨てられて、引き取られたけど、差別を受けている私は何のために生まれてきたのだろう。
生れてきた意味が分かる時が、私にもいつかくるのだろうか?
「白石ー、今日も頼めるか?」
突然声をかけられて驚くように小説から顔を上げると、教室から出て行こうとしている先生と目が合う。
「はい」
「教卓の上に置いてあるから」
「分かりました」
返事をすれば教室から足早に出て行った先生を見送り、教室を見渡せば、いつしか教室には私一人になっていた。ようやくこの時間になった。今日も長かった。そう思うと全身の力が抜けるように背もたれに寄り掛かって溜め息をついた。
最終下校時間にはなっていないから油断はできないけど、教室に一人という空間だけで私は幸せすぎた。たとえ誰かが来ても、作業に集中しているから口角を上げれなかったという口実が作れるし。
椅子から立ち上がって教卓の上に置いてあるプリントをチラッと見てから、教卓の中にあるホッチキスと芯をプリントの上に乗せ、その横にあるもう一組のプリントをホッチキスの上に乗せた。
「今日は量が少ない……早く終わっちゃうじゃん」
肩を落としながらそう呟いた後、プリントを持ってまた自分の席へと向かう。心の中で少ないことに対して文句を言いながらも、パチパチとひたすらホッチキス止めをしていく。
放課後になると、こうやって先生から手伝いを頼まれる。
今日のようにホッチキス止めだったり、教室に貼らないといけないプリントを貼ったり、ノートを運んだり、どこどこの教室の掃除をやっておいてくれだとか、手伝いというよりも雑用を頼まれている。それを私は喜んで引き受けていた。
頼まれることの方が圧倒的に少ないけど、私はあるだろうがないだろうが結局のところはどっちでもいい。時間が潰せるのなら、何でもいいのだ。
家に帰りたくない。
これが理由だから、遅くまで教室に残れるのならなんだっていい。
案の定、ホッチキス止めが早く終わってしまお、時計を見ればまだ17時にもなっていない。あまりにも早く終わりすぎてどうしようか困っていた時、教室の後ろにある花のことを思い出した。
トントンとホッチキス止めをしたプリントを整え、掃除道具入れの中にあるジョウロを取りに席を立つ。
小さいジョウロに並々水を入れ、黄色、ピンク、濃いピンクと可愛らしい花に水をやる。
この間まで枯れていたというのに、何故かまた咲き始めた。それが何だか嬉しくて愛着が湧いてしまい、放課後教室に残る時はこうやって水をあげている。
名前も知らない花だというのに。まぁ、調べる気なんてさらさらないけど。
ジョウロを花の横に置き、花の前で頬杖をつく。可愛いとは思うし、見入ってもしまう。でも、癒されるという気持ちはまだ分からない。
可愛いという気持ちを抱くことはあっても、みんなが揃いも揃って綺麗というものを綺麗と思えることが幼い時からなかった。多分、嬉しいや楽しいという感情を覚えるのがあまりにも遅かったから。
みんなと同じ感情を抱けないことに昔は腹を立てることも多かったけど、今はそれすらない。私にはきっとわからない感情だからとそれはすんなりと諦めた。
諦めてからは、気持ちが楽になった気がする。その諦めを家族に、彼にも出来たらいいのに。
何もかも自分と違うのだからと諦めてしまえば心も楽になるだろうけど、それが簡単に出来ないからこそ、こんなにも苦しい。
はぁ……と溜め息をつき、人差し指でちょこんと花に触れたその時、近くで足音が聞こえると同時に視線も強く感じた。勢いよく後ろを振り向くが、視界には誰も居なかった。
念のため廊下に人がいないか確認しに行ったが、結局誰もいなかった。
気のせい……ではないと思う。でも、誰もいないということは気のせいでしかなくて。認めたくなかったけど、私は渋々気のせいということにした。
少し気を抜きすぎていた、と反省する。
また深く長い溜め息をついてから、いつもより学校を出るには早い時間だけど帰った方が身のためだと思い、机の横にかけておいた鞄に小説を入れ、鞄とプリントを持って職員室へと向かった。
「先生、終わりました」
「お疲れ。ありがとうな」
「いえいえ。これからも頼んでください」
「助かるよ。気を付けて帰れよー」
「はい」
嫌な印象を与えないように笑みを浮かべながら職員室を後にして、今度は下駄箱に向かう。
上履きからローファーに履き替えていれば、当然だけど外が見える。まだ外は明るい。いつも時間を潰している公園に今行ったら、きっと子供たちがいるんだろうな。それなら図書室で暗くなるまで時間を潰した方がいいのかもしれないけど、今日はもう、誰からも注目されたくなかった。口角も上げたくなかった。だから私は、あの公園に向かうしかない。
一人になるまで小説を読んでいればいいんだし。髪を耳に掛けず、俯いて本を読んでいれば近寄ってこられたり、無理に微笑むことはないだろう。
当然ながら、家に帰るには早すぎる時間。
まだ父親はいないけど、母親が家にいる。自分の部屋に閉じこもっていようが、結局ひとりになれるわけではない。
放置をしているくせに、勉強しろ勉強しろと煩く言ってくる。父親のように。それが昔から嫌で、高校生になってからは、21時を過ぎたら家に帰るという習慣を勝手につけた。
図書館で勉強をしていただの、色んな言い訳をしても遅く帰ってくるのには変わりないため、耳に胼胝ができるほど「早く帰って来い」と言われ続けている。それは、帰りが遅いと危ないから早く帰って来いという意味ではなく、世間体を気にして早く帰って来いと言っているのだ。
私のことなんて一ミリも心配していないのが分かる言葉に、どうして素直に従わないといけないのか私には解らない。だから私は、今日も公園へと向かう。
*
公園の近くにある自動販売機でココアを買い、家から結構離れている公園に入れば、案の定子供たちの姿がちらほらと。私は一番端にある薄暗いベンチにいつものように腰を下ろし、鞄の中から小説を取り出す。
暑くもなければ、寒くもないちょうどいい季節。でも、さっき買ったばかりのココアはすぐに冷めてしまうくらいの寒さではある。
冬が始まれば、私はまた風邪を引くことになるんだろうな。それまでに私の居場所が出来ればいいが……今年も無理だろう。
色々考えて、疲れて、いつしか周りの音が全て聞こえなくなるくらいただひたすら集中して小説を読んでいたら、文字が読みづらくなっていることに気づく。子供たちの声も聞こえなくなっていることにも気づいて顔を上げれば、街灯がついていて外は真っ暗とまではいかないが、子供が一人でいたら心配になるくらいの暗さまでにはなっていた。
栞を挟んで小説を閉じると、自然と口からは溜め息が漏れた。もう少し暗くなってからの方が安心だけど、もういいかとスイッチが切れた私は背もたれに寄り掛かって、この公園に一つしかない街灯を見上げた。
やっと、一人になれた。
一人になったら溜め息なんてつき放題だし、表情筋も使わなくていい。手を振らなくてもいいし、気を遣わなくて済む。24時間の中で約4時間くらいだけど、このために一日頑張って生きている。
もし、それらが当たり前の世界戦があるのなら、今すぐにでも行きたい。
パラレルワールドの自分はきっと、幸せなんだろうから。
そんな自分と居場所を好感したい。切にそう願う自分が馬鹿馬鹿しく思えて、勝手に悲しくなる。こんなことを公園に来ては毎回のように思ってしまう私は、やっぱり救いようのない馬鹿で。今日も、これでもかというくらい──死にたくなる。
カシュッと冷めたココアのプルタブを開け、喉を鳴らしながら一気に飲み干す。そして21時15分を知らせるアラームが鳴り響く。
「嘘……もうそんな時間?」
まだぼーっとして30分くらいしか経っていないと思っていたのに、いつしか21時を過ぎていた。
もう家に帰らないといけない。憂鬱に憂鬱が積み重なっていって、今にも一歩踏み出しそうな気持になる。結局それは出来ないから、今日もまた生き延びてしまった。
公園にあるゴミ箱に缶を投げ入れて、家とは言えない家へと帰る。
子供が可愛くない親はいないだとか、親には子供の幸せを守る権利があるとか言っている人がいるけど、そんな無責任な言葉を最初に言ったのは誰なのだろう?
この世界がみんなそう言える人で溢れかえっているのなら、虐待なんて存在しない。
あぁ、まずい。公園を出たら誰に会うかも分からないのに、本来の自分を隠すことが出来ない。家に入るまでは高嶺の花を演じないといけないのに。
今日みたいに演じることが難しい時のために、いつも鞄の中にはマスクを入れている。ただマスクの在庫があまりないことに今気づき、帰る途中でコンビニに寄ろう。心の中で独り言を言いながらマスクのゴムを耳に掛けようとした時、嫌な名前が聞こえてくる。
「玲青!」
聞き覚えのある声と、嫌な名前に私は思わず振り返って姿を探してしまう。
すぐに天王寺玲青の姿は見つかった。そんな彼は、先輩たちと楽しそうに笑っていた。
どんなことを話していれば、あんな風に楽しそうに笑えるのだろう? そう疑問に思いながら、いつも楽しそうにしている天王寺 玲青に、私はまた劣等感を抱く。
私はこんなにも負のオーラをを漂わせているというのに、真逆な天王寺玲青が憎くて仕方がない。
私と同じなくせに。私と何が違うのよ。
どうして……ここまで違うのよ。
神はやっぱり不公平だ。
ただこの世に生まれてきただけなのに。あの家に引き取られただけなのに。私が何をしたっていうの。
あの時、私が違うことを言っていたら、違う行動をしていたら、私の世界は違ったのかな。
もっと世の中を上手く生きたいのに。
彼女のように。
天王寺玲青のように──。