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第4話


 セーブしていた負の感情が今にも爆発しそうになるくらい、一瞬にして負の感情が私を支配した。そのくらい、私の中で彼という存在は厄介だった。


 本来の私はすぐに顔に出タイプだけど、それをグッと堪えてずっと口角を上げている。

 上げているつもりできっと傍からは、ううん……彼からしたらほんの少ししか上がっていないんだろうな。



「玲青おはよう」


「おはよう」



 友人たちが気さくに彼へ挨拶をする。彼は立ち止まることなく「おはよう」と友人たちに挨拶を返した。今日こそなにもなく終わってほしい。そう思いながら友人たちの彼へと向いていた視線が再びこちらに戻って来た瞬間、小さくだったがふっと鼻で笑うのが聞こえた。


 ピクリと眉が動き、すぐさま彼へと視線を向ければ、彼は私と目が合うなり薄ら笑いを浮かべてきた。その笑みを見た瞬間、抑えきれないほどの怒りが生まれ、口角が元に戻って目に力が入る。


 軽く唇を結んで目を逸らそうとすれば、必ずあっちから目を逸らす。それがまた、私の怒りが増幅する一つでもある。


 怒りで早くなった鼓動を正常に戻したくて小説を読もうと机の上に置いていた手を机の中に居れるが、そこでやっと自分の手が怒りで震えていることに気付いた。目を閉じて息を吸い込んでから、小説の上で爪痕がつくほど強く掌を握りしめた。



 毎日毎日ふざけやがって……お互い良い思いはしないんだから、こっちを見なかったらいいのに。もしかして、今日も自分より下がいるっていう実感がほしくて、飽きずに私を見ては薄ら笑いをしているのだろうか。だとしたら、相当性格が悪い。


 彼がどんな人間なのか分かりながらも、彼の行動を見ていちいち腹を立てている私も彼と同類か。


 反応しなかったらいいのに、見なかったらいい話なのに、どうしても彼の方を見てしまう。

 心を削って怒りを覚えるより、気づかないふりをした方が何事も楽なのに。それすらできないから、私は見下されるんだ。



「あー! 玲青やっときたー!」



 天王寺玲青のことを好きな女子の声が教室の後ろから聞こえて、私の怒りは更に増幅していく。



「おはよう」


「ねえねえ、飲み物買いに行こう?」


「いいよ。田中君も一緒に行こう」


「え、ぼ……僕?」


「うん。過去問のお礼したいし」


「えー、陰キャも行くの?」


「ダメなの?」


「おい、千香。玲青を困らすなよ」



 誰にでも平等を売りにしている彼は当然、人を引き寄せる。そんな彼はみんなに向ける顔と、私に向ける顔があまりにも違いすぎる。みんなには嫌われる要素のない自分の顔の良さを最大限に生かす表情で接するくせに、私にはいつも済ましたような顔をしてくる。目が合えば薄ら笑いをされるし、その後は感じ悪く逸らされる。


 きっと、この世で唯一〝私だけ〟が彼に見下されている。


 そんな彼が、私はで仕方がない。



 本物の人気者の噂は、一年の頃から耳にはしていた。

 話しを聞くだけで劣等感を抱いていた。このまま3年間同じクラスになりませんようにと願っていたのに、今年になって同じクラスになってしまった。けれど彼とは、今まで一度も話したことがない。


 彼のことを好きな女子から嫌な視線を向けられたことは一度もない。仲が悪いという噂が勝手に流れ始めたのが春。そして夏になれば、癪に障る〝白石さんって、玲青くんに嫌われてるらしいよ〟なんていう噂が流れ始めた。


 嫌われてはいるけれど、そこに私も嫌いらしいよっていう噂も流れてほしかった。

 いつも、私だけが下みたいなレッテルばかり貼られる。それが死ぬほど悔しい。



 彼と仲良くしておいて損はないと思う。家はお金持ちらしいし、何人か連れていつもご飯などを奢っているのをよく見る。勉強も運動も出来るし、先生たちからの人望も厚い。みんなから異常なほど好かれている先輩たちとも仲が良いし、仲良くしておいて損するところなんてどこにもない。


 でも私は、そんな彼と仲良くなんかしたくない。


 見下されているのも嫌いな理由の一つだけど、彼だって私〝同じ〟なはずなのに、私とは違ってみんなが彼を人として扱っている。私が必死になって頑張っているものがあるとする。それを彼は、いとも簡単にやってのけてしまう。私が欲しい物を、全て持っている。


 私と同じように微笑んでおけばちやほやされるというのに、なんで私は──彼とは違うのだろう?



 自分と違いすぎる彼に劣等感を抱かないってほうが不思議で仕方がない。

 世の中には何でも受け止めて、諦めて、劣等感を抱かない人が当然いる。そんな人たちを、私は心から尊敬する。


 絆創膏が巻かれている親指を抉ろうと人差し指の爪で抉るが、抉れている感覚がなくてもどかしい。いっそ、絆創膏をとって朝以上に抉ったら冷静を取り戻して、心が軽くなるのではないだろうか。異常な思考になった私は、空いている左手で絆創膏を取ろうと端を少しだけ向いた時、チャイムが学校中に響き渡った。同時に先生が教室に入ってくる。廊下や席についていない生徒を怒りながら。



「じゃあましろ、また10分休みに来るね」


「うん」



 咄嗟に机の中から手を出して、二人に手を振った。


 やっと息がしやすくはなったが、今日も長い地獄の時間が始まる。

 放課後、一人でいられる空間になるまで、私はただ微笑んでいるだけの高嶺の花というやつを演じる天王寺玲青とは違う、中身が空っぽな高嶺の花を。



 注目されたくて、こんな立ち位置になったわけではない。

 私はただ、みんなと同じ人間の扱いをされたかっただけ。


 あなたとか、お前じゃなくて、名前を呼ばれたかった。声をかけてほしかった。私の目を見て話してほしかった。会話をしたかった。


 ──私という存在を、誰かの心に残したかった。



 ただ、それだけの理由。


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