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10月30日 おもてなしラーメン

――うまくいってねーから今の距離感なんじゃねーの?


 あの日の放課後、恋愛偏差値ゼロのアヤセに言われた言葉が妙に耳の奥に残っている。

 剥がれかけの耳垢が、奥の方でガサゴソ言ってる感じ……と言うとちょっと汚いけど、そういう気持ち悪さ。


 ユリの隣で笑ってられたらそれでいいって、夏までの私なら本気で思っていたから。

 そのために作り上げた距離感であり関係性。

 それが足を引っ張っているっていうのであれば、私もまた恋愛ベタのひとりって事になる。


 思えば、たぶんだけど……恋を恋と自覚するのはこれが初めてのこと。

 それまでも憧れに近い感情を持ったことはあるかもしれないけど、恋と呼べるほど強く心を突き動かされたことはなかった。

 だから、アヤセのことをとやかく言えるような筋合いなんてホントはない。

 けど同時に、学んでどうこうできる問題でもないっていうのも薄々気づいている。


 例えば、女の子同士の恋愛を描いた小説とか漫画とかを読んでみたこともあるけれど、売り物になっている以上はやっぱり娯楽の延長線上にあるもので、現実問題にどれほどの答えを与えてくれるのかと言われると定かではない。

 それこそ、アヤセが言ってたみたいに、少女漫画で恋愛を学ぼうとしてるようなもんだ。

 娯楽作品からが与えてくれるのは基本的に〝共感〟であって、ウンチクを除いた人生の〝学び〟が得られることは稀だと思う。

 そもそも統計を取れるほど読んではいないけど。


 だから私は、自分なりにこの恋と向き合っていくしかないんだろうなって、ある意味ドライな視点は持ち続けていて。

 その結果が今のこの距離感なんだとしたら、やっぱり恋愛ベタなんだ。


「ユリちゃーん、お昼食べてくでしょ? 久しぶりにラーメン取ろうと思うんだけど」

「わー、良いんですか? ありがとうございまーす!」


 そんな母親とユリの呑気なやり取りを耳にしながら、私は開いていたノートを閉じた。


「お、星も休憩?」

「〝も〟ってなにさ。あんたずっと休憩してるじゃない」

「チ、チガウヨ! コレ、情報収集ダヨ!」


 スマホ片手に取り乱したように言うユリを他所に、私は畳の上にぐったりと寝転んだ。

 今日もウチでふたり勉強会。

 アヤセも誘ったけど遠慮されてしまった。

 また下手くそな気遣いをしたわけでなく、家の手伝いに駆り出されているらしい。

 無事に受験も終わったのだからと、土日は馬車馬のように働かされているとボヤいていた。

 パフォーマンス書道の決勝大会があって部活もまだ現役の彼女は、受験が終わったところで忙しさに変りはないようだ。


「それにしても、今日は星の部屋じゃないんだね。そんなに片付いてないの?」

「え……うん、まあ、ちょっと。掃除する暇なくって」


 今度は私が取り繕うように口にして、ふっと視線を逸らした。

 ついいつもの調子でウチにおいでよなんて言っちゃったけど、今、私の部屋には見せちゃいけない物(ブラックバード)があるのをすっかり忘れていた。

 それで急遽、リビングから小上がりになった来客用の和室で勉強しているというわけだ。

 母親が気さくに昼ご飯のことを尋ねてきたのもそのせい。


「出前ラーメンなんて久しぶり。お客さん来ないと頼まないから」


 前に頼んだのいつだろう。もう覚えてないくらい久しい。


「知ってるー? おもてなしラーメン頼むのって、この辺だけらしいよ?」

「……マジ?」


 突然のユリのうんちくに、予想外に反応してしまった。

 おもてなしラーメン……家に来客があったときに頼む出前ラーメン。

 祖父母の家とか行ったら必ずあったし、小学校の頃に休みの日に友達を連れてきたらだいたい頼んでたから、当たり前に過ごして来たけど……言われてみれば確かに、来客をもてなすためにラーメンを頼むって意味不明だね。

 しかもラーメンっていうか、中華そばって言った方がしっくりくる系のヤツだし。


「そっか……おらだの奇習なのか」

「あはは、星ったら急に訛ってんの」


 まあ、ラーメンは好きだから良いけど。

 でも県外に出たら素知らぬ顔でただの想い出話にしておこう。

 間違ってもラーメンを振舞ったりしないように。


「ずっと地元に居たら気づかない変な風習ってあるよねー」


 ユリも私に習ってごろんと畳に背中を預ける。


「もとはと言えば、日本もいくつかの国に分かれてたんだから、いろいろ違って当たり前だよね」

「そうは言っても、おもてなしラーメンはかなり新しい方の風習だと思うけど」

「九州の方言とかって、戦のときにスパイに作戦がバレにくい役割もあったんだって」

「この辺だって、内陸と沿岸で全く話通じないじゃん」

「わかるうー! 海沿いの方言は雅で卑怯だよねー。都と繋がってたから仕方ないんだろうけど」


 生まれてこの方、方言を卑怯と思ったことはないけど……でも、西の方の方言を話す女の子はちょっと可愛いなっては思う。

 大阪弁じゃなくて、広島とかそれこそ九州とかの方。

 東北はとにかく汚く濁るだけだから、外でわざわざ使おうって気にはなかなかならない。

 祖父母と話すときは、引っ張られて方言が出ることもあるけれど……。


「つくづく、あたしらってフツーだね」


 あんたがフツーなら、全人類フツーだよ、たぶん……っていうのはひいき目かもしれないけど。

 少なくともユリはどこにいたって存在感あると思うよ。

 私なら必ず、ひと目で見つけてやる。

 言い過ぎたかも。

 少なくとも、ざっと見渡す内には見つけてやる。


「ユリってさ、近所の大学受けるんだよね?」

「うん、そのつもりだよ」

「東京の大学受けよう……って気持ちは、全くないの?」


 口にしといて、何言ってんだろうって馬鹿らしくなってしまった。

 聞いてどうなるっていうんだろう。

 でも関東には私が行くつもりで……今、先輩もいる。

 もしかしたら、少しは行きたい気持ちもあるんじゃないだろうか。

 僅かな希望に賭けたような質問だったけど、彼女は笑顔で、それでいてハッキリ首を横に振った。


「んーん、それはない」

「……そう」


 落胆を気取られないように、できるだけ冗談めかして返事をする。


「あたし、都会っ子って感じじゃないしさー。東京は遊びに行くので十分かなって……あっ、その時は泊めてよ! ホテル代掛らないぶん、ご飯ご馳走するから!」

「気が向いたらね」

「えー、気が向かなくても泊めてよぉ」


 ユリはダダをこねるようにバタバタと手足を動かす。

 そんな事してるとほんとに子供みたいだよ。


「そもそも東京に住むの決まってないし。ユリだって受からなかったら、この辺ほかに大学無いからね。短大はあるけど」

「うう……そうでした」


 ダダっ子ユリは、むくりと起き上がって、苦い顔をしながらノートに向かう。

 それとほとんど同じタイミングで母親の声が響いた。


「ラーメン届いたから取りに来てー!」

「やった、ラーメン!」


 開くのより数倍早くノートが閉じられた。

 完全に集中が切れたし、私もご飯にしよう。


「あたし、酢ドバドバね」

「やめなよそれ。オッサン臭いよ」

「ええー、醤油ラーメンには酢だよー」


 やっぱり、卒業までが勝負になるんだね。

 あと四ヶ月……もっとアクションをかけなきゃいけないんだろうな。

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