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10月29日 ふたりぐらし

「あっ」


 お風呂場に自分の声がこだまする。

 湯船に浸かりながらダラダラとROM専門のSNSを眺めていた時に、ふと思い出してしまった。

 たぶん、眺めていた他人の投稿の日付を見て、記憶の底の符号と一致したんだろうと思う。


 姉に、毎年合同で買ってる母親の誕生日の品を、今年はこっちで買って送るから、アイディアくれって言われたのを忘れていた。

 メッセージを貰ったのはいつのことだっけ……そう遠くは無かったと思うけど。

 慌ててトークルームを遡ると、私が「考えとく」と返事をしたままこの件は放置されていた。

 早いうちに思い出して良かった。


 忘れないうちにと、最近母親が欲しがっていたものをリストアップして送っておく。

 これで妹の義務は果たしただろう。


 また過去ログを追う作業に戻ろうと思ったら、折り返しの着信が入った。

 姉からだった。

 真っ先に面倒だなって気持ちが沸き起こったけど、たった今メッセージを送っといて気づきませんでしたって言うのは苦しい。

 仕方なく受話ボタンをプッシュする。


「……なに?」

「あー、星ちゃんだ」

「え?」


 スピーカーからあふれたのんびりした声に、思わず耳と、あと目も疑う。

 画面に表示された名前は姉のものだけど……あれ、続先輩?


「それ、姉のスマホですよね?」

「そうだよ。今、お風呂入ってるの」


 同じタイミングで風呂とか嫌すぎるシンクロニシティ……じゃなくて、なおさらどうして本人不在のスマホで電話をしてるんだってことだ。


「それ、姉のスマホですよね」

「明ちゃんPASSかけてないから」

「はあ」

「ちょうど画面に星ちゃんからのメッセージが見えたから」

「ほう」


 だからって他人のスマホで電話するか?


「星ちゃん、私からじゃ『見てなかった』とか言って取ってくれないでしょう?」


 姉のだって極力取りたくないけど……。


「とりあえず、本人はそこにいないんですね。じゃあ、おめでとうって伝えといてください」

「あ、まって!」


 そのまま通話を終了するつもりだったのに、あっちからウェイトを掛けられてしまった。


「なにか?」

「ううん、せっかくだから少しお話したいなって」

「特に話題ないですけど……?」

「そこは頑張って探そうよ」


 頑張りたくないから言ってるんだけど。

 ああ、でもこの人に頑張らないという選択肢がそもそもないんだった。

 程よく妥協したい私にとっては、本当に相いれない人だ。


「というか星ちゃん音なんかヘンだね。もしかしてお風呂? ビデオ通話にしていい?」

「やめてください。てか受け取らないし」

「そっかあ残念」

「何が残念なのかよく分からないんですけど」

「ほら、前に明ちゃんとユリちゃんと一緒に京都行ったんでしょう? 私、一緒にそういうのしなかったから、一緒に温泉入った気分とか味わってみたいなって思って」

「私だけ入ってても意味ないでしょう」

「それもそっか。じゃあ、そのうち明ちゃんも一緒にどこか旅行いこうね」

「約束はしませんよ。私には私の時間があるし、そもそも大学だってどうなるか……」

「ええ、でも星ちゃんもウチに来るんだよね?」


 さも当たり前のように先輩は口にする。


「私、星ちゃんと一緒に勉強するの楽しみだな」

「いや……入学しても学部も違えば学年も違うし」

「大学はね、学部も学年も関係ない講義がいくつもあるんだよ。それに二年次まではキャンパス同じはずだし」


 ああ……そう言えば、そんなこと聞いてたっけ。

 いわゆる学部的なコース分けでキャンパスが変わるのは三年からだって。

 あれ、じゃあ通うことになったら最初の一年はふたりと校内でエンカウントするってこと……?


 それはなんかヤだな……かといって、そんな理由で志望大学を変えることもしたくない。

 大学と平穏とどっちを取るのかって聞かれたら、受験生的には大学を取る。


「なんなら、もっと大きい部屋に借り換えて三人で住むのもいいね。郊外で一軒家借りちゃうとかも――」

「それだけは勘弁してください」


 絶対にヤダ。

 ふたりの住んでるとこに私も住むとか、一○○%……いや二○○%肩身が狭いじゃん。

 そもそも姉と先輩がルームシェアをしてくれて、内心で一番喜んでいたのは他でもないこの私だ。

 もしも一年後、姉妹で同じ大学、同じ街に住むことになったなら、ウチの親は間違いなく「ふたりで一緒に住みなさい」って言ったことだろう。

 生活費を出してくれるのは親なのだから、管理や節約の意味でもそうしない理由がない。


 けどそこに続先輩とルームシェアするっていう話が持ち上がって、親同士の挨拶なんかも済ませて、今の状態に行きついたというわけだ。

 せっかく舞い込んだ自由を手放す理由はない。


「先輩たちはどうせまた一年で引っ越すことになるのに、借り変える意味がないですよ」

「じゃあ私たちのキャンパスと、星ちゃんのキャンパスと、ちょうど中継点の街に借りるとか」

「互いに通学が面倒になるだけじゃないですか。高い家賃払うんだから時間も買うつもりで住んでください」

「星ちゃんに正論でマウント取られた……」


 スピーカーの向こうからションボリした声が響いた。

 正論って自覚があるなら、これ以上妄言は言わないでよ。


「……そろそろお風呂あがるんで切りますね」

「あ、ちょっと待って。明ちゃんもあがって来たみたい」

「切りますね」


 有無を言わさず通話終了ボタンを押す。

 これ以上続けたらお風呂がぬる……くはならないけど。

 追い炊きあるし。

 のぼ……せもしないけど。

 長風呂は慣れてるし。

 とにかく、唯一のリラックスタイムを邪魔されるのは勘弁だ。


 なんかSNSをROMる気力もなくなってしまった。

 そう言えば、シングのベースだけのパートを録音した動画とかないかな。

 昨日の宍戸さんたちの練習に立ち会ってみて、パートごとの音を聞いとくのは大事そうだなと思ったところだし。

 思えば合唱コンクールとかもそうやって練習するもんね。


 とりあえず、もう少しだけ身体をあっためて汗を流そう。

 姉と同じタイミングで風呂から上がるっていうのが無性に嫌だったから……。

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