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10月6日 忠犬は鼻が利く

 ここ最近、めっぽう寒さを感じるようになってきた。

 世間じゃ春と秋は消滅したなんてよく言われるけど、こと盆地に限って言えば、一年のうち三ヶ月半くらいが夏で、残りはほぼ冬みたいなものだ。

 流石にコートは早いけど、薄めのストッキングは履きたいくらい。

 校則で色は黒かベージュと選択肢を与えられてるけど、ベージュは何となくダサいなという空気があるので誰も履きたがらない。

 結果として、ちょうど冬服が始まったのと一緒に、全身ほぼ黒づくめの女たちで校舎は埋め尽くされる。


 そんな中、自分の机で勉強をしていた私の傍に、二本の真っ白いおみ足が立ち止まった。

 黒でもベージュでもないってことは、要するに素足ってことで。

 寒さなんて知らない風の子元気の子の証だった。


「狩谷大明神、勉強教えてください!」


 目の前のユリからその言葉を聞いた時、私の胸の内にひとしおの感動が沸き起こる。


「テスト期間の後にその言葉が聞けるなんて……」 

「あれ? 星の中であたしってどういう評価になってるのかな?」


 んなもんオンリーワンでナンバーワンだよ、なんて言った日には意味は理解しなくてもつけ上がるだけなので、ここは親心でぐっと堪える。


「だって、中間テストも終わったばっかりだってのに」


 二学期の中間テストはこの三日間で突貫的に行われた。

 テスト範囲は教科書の何ページから何ページだなんてところはとっくに過ぎているので、ほとんと模試みたいなもんだけど。

 純粋に今の理解度と、少なくともこの学校では何番目くらいの学力なんだってのを理解するうえでは大事なテストだと思う。


「受験生なんだから、あたしだってやる時はやるさー」


 ユリは近場の開いている机を引きずって、私の机にくっつけた。

 やるときはやる、なんて普通なら一切信用できない言葉なんだろうけど。

 思えばユリも、仮にも県内指折りの進学校であるウチに通っているわけで。

 その点では、ちゃんとやることをやった成果だと言えるのかもしれない。


 とはいえ、高校受験と大学受験とじゃ勝手があまりにも違う。

 それを理解しないまま楽観視しているのだとしたら、もう少し手綱を握ってあげた方がいいのかもしれない。

 というか、ここまで来たら最後まで面倒見るつもりだけど。


「アヤセ、今週大会で来週受験なんだってさー」

「聞いてる」

「まだ部活やって大会もあるっていいなーって思っちゃうよね」

「それは分かんない」

「そっかー。星、一回も部活行ってないもんね」

 最近の記憶をたどれば「在籍中は」の注釈が必要だけど。まさかこの短期間であれだけ道場に足を運ぶことになるなんて、私だって思わなかったよ。

「星ってなんで部活行ってなかったんだっけ?」

「なんでってほどでもないけど、勉強の方が大事だったからかな」

「ふーん、あたしにその気持ちはサッパリですな」


 ぶるぶると顔を振って、ユリは持ってきた勉強道具を机に広げた。

 持ってきたのはどうやら英語らしい。

 それまで数学をやっていたけど、教えながらで別の教科の勉強が捗るとは思えなかったので、私も英語の勉強に切り替えることにした。


 それからしばらく、文法やら慣用句やらを聞かれては答えるような時間が続く。

 三○分もすれば最初の集中力がちょっと切れ初めて、ユリからの質問の回数も増えてきて、ついでに無駄話も挟まるようになってくる。


「あたしさー、部活引退したら毎日友達と一緒にいるのかなって、何となくそう思ってたんだよね」

「そんなわけないでしょ」

「えー、だって部活ないんだよ? もう放課後フリーじゃん!」

「放課後がフリーの高校生は、基本的に自宅に帰るものなの」


 用事がなければ家に帰る。

 小学生だってできることだ。帰ってやることが受験勉強ならなおさら。

 勉強会って、一時の勉強してます感は得られるけど、内容的にはたいして捗らないって相場が決まっている。


「でも、二時間程度の勉強会くらいは、部活みたいに毎日開いてもいいのかもね」

「おおっ、星から予想外の提案!」


 ユリは驚きながら、両手で自分のほっぺをむにゅっと押し付ける。

 手塚治虫好きならすぐわかる、いわゆるあっちょんぶりけのポーズ。

 その提案は予想外でもなんでもなくって。

 捗らない勉強会を世の中の女子高生はなんで開くのかって言うと、寂しいからか、そもそも監視してくれる人がいなきゃ一秒だって勉強できないかのどっちかだ。

 つまるところこの場合、ウィンウィンの関係ってこと。


「てかそもそも、あんたらが部活やってた時も私、図書室とか生徒会室で二~三時間くらい勉強してから帰ってたし」

「そんな変態なことを……」

「人の努力を変態って言うなし」


 しかも、その成果をこうして分け与えられてる身分で。


「でも勉強会は賛成! 良かったー!」

「良かったって何がよ」


 尋ねると、ユリは鼻の下にシャーペンを挟んで、ゆらゆらと身体を左右に揺らした。


「いやさ、最近ほとんど星ともアヤセともあそ――会えなかったのにさ」


 今、「あそぶ」って言おうとした?


「でも、二人ともなんか忙しそうっていうか、充実してそうな感じがしてさ、あたしだけ置いてけぼりだなーって」

「バカ。私もアヤセも選挙で忙しかったのは知ってるでしょ?」

「それはそうだけどさー。でも、なんかこのまま疎遠になったりしちゃうのかなと思ってさー。なんか寂しくなっちゃうよね」


 そんなことあるわけがない。

 いや、アヤセのことは分からないけど、少なくとも私はそんなことあり得ない。

 あり得ないけど、伝えて無けりゃ伝わらないよね。

 だからむしろ、そんなことが素直に言えるユリの方がすごいんだろうなっていつも思う。

 ある意味図々しいんだろうけど、私はそれが言えなかったから。

 あんたたちが部活に打ち込んでた時、全く同じことを思ってたよ、なんて。


「ところで星、最近また何か面白いことはじめた?」

「面白いこと……? いや……別に?」


 一瞬どきっとしたけど、なんとか平静は保てたと思う。

 コンサートの件はユリには絶対に話ちゃいけない。

 知ったら絶対に出たいって言うし。

 それでクリスマスデートの約束がなくなっちゃうとか、そういう心配をしてるんじゃなくて、ユリの将来を考えたらこそ年末にそんなことさせられない。


 それすらも、私が勝手に想像している脳内百合のシミュレーションでしかないけれど……でも、アヤセがそれで良いって言ってくれたから。

 私は彼女の言葉を信じて、ユリには隠し通すことにした。


 けど、見ての通り妙に鼻の利く忠犬ユリが、どこから話を聞きつけて来るのか、分かったもんじゃなかった。

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