クリスマスコンサートに関して、先にできる根回しは全部やった……と思う。
だから私は、このタイミングで一旦身を引いておくことにした。
宍戸さんに一番最初に声をかけるのは穂波ちゃんから。
これは間違いなく必須条件だと思うし、その時に大勢で出向いて取り囲むなんて脅迫じみたこともやりたくはない。
とりあえず一対一で話題に出してもらって、宍戸さん自身がちょっとでも「興味があるかも」って前向きに思ってくれたら、その時にはじめて関係者一同顔を突き合わせればいい。
もしくは、多少姑息な手を使ってだまくらかしてその場に連れてきてもらってもいいのだけれど……結局大事なのは、宍戸さんが自分の足で歩み寄ってくれたという事実だ。
それができるのは、親友として隣にいる穂波ちゃんにしかできないことだと、私は思う。
――とりあえず話は聞いてくれるみたいです。
穂波ちゃんから連絡が入ったのは昼休みのこと。
ほっと一息ついていただろう私を見て、一緒に昼食を食べていた心炉が怪訝な表情を浮かべる。
「また何か企んでるんですか?」
「人聞きの悪い」
ほんと、人聞きの悪い。確かに企みかもしれないけど、少なくとも誰かに迷惑をかけるわけじゃない、前向きな企み……のはずだ。
心炉はどこか疑ったような視線を向けたまま、それ以上は首を突っ込もうとはしなかった。
というよりは、警戒できる距離を保ったと言った方が正しいのかもしれない。
生徒会はもう終わったのに、この会長と副会長の距離は同じままだななんて、ちょっと笑ってしまった。
それから放課後、私たちはまた音楽室の個人練習室に集まっていた。
アヤセは大会前なので流石に欠席で総勢四名。三名でも狭く感じた練習室は、四人も集まれば立派な密だ。
そして宍戸さんは、この場に三年生ふたりがいることに驚いている様子だった。
驚いた、というよりは怯えたというほうがいいのかもしれない。
そしてその畏れは、明確に須和さんただひとりに向けられていた。
「あの、わたし……」
「大丈夫。もう、吹奏楽部の話をしに来たわけじゃないから」
「は、はあ……」
私が間に入ると、宍戸さんは半信半疑で頷く。
彼女は須和さんのことを気にするように見ては、視線が合う前にすっと逸らす。
完全に、距離感を計りかねてるようだった。
私は穂波ちゃんの背中を軽く叩いて、話を進めるように促す。
このまま無言の状態を続けることが、たぶん一番良くないだろうなと思った。
穂波ちゃんは頷き返して、狼狽える宍戸さんと向き合った。
「さっき、すごくざっくりと説明したけど、私は今度のクリスマスに開催する音楽祭的なのに参加してみたいなと思ってる」
「う、うん……それは聞いたけど、この状況が、よく分からなくて……」
「私は初心者だから、流石にひとりでは心細いので、一緒に出てくれる人を探してたの。そしたら須和先輩と、あとアヤセ先輩が協力してくれることになって」
「そう……なんだ?」
宍戸さんは、まだいまいち飲み込めていない様子で、半分首をかしげるように頷き返す。
そのあと私のことを見上げたのは「じゃあ星先輩は?」っていう事なんだろうけど、今口をはさんでも話がややこしくなるだけだと思ったので、須和さんと一緒に黙っていることにした。
「それで、本題なんだけど……」
穂波ちゃんは、選挙の時よりも緊張した様子で、ぎゅっと手を握りしめる。
「歌尾さんに、私の先生になってもらいたいです。それから、できたら一緒に音楽祭に出て欲しい」
「え……」
穂波ちゃんの提案を受けた宍戸さんは、大方の予想通り、すっかり固まってしまった。
きっとパソコンの処理落ちみたいなもので、自分の中で状況と、自分に求められていることと、その答えを必死に考えている。
そこに穂波ちゃんのこととか、目の前にいる須和さんのこととか、そして私のこととか――いろんな要素が折り重なって、その結果の沈黙が、彼女の答えのすべてのように感じた。
沈黙に耐え切れなくなった穂波ちゃんが、おろおろしながら私の袖を引いた。
明確に助けを求めていた。ここが手の出し時なんだろうなと理解して、私はようやく口を開いた。
「私はこの機会に、宍戸さんにまた音楽ができるようになってもらいたいと思ってる」
昨日も家に帰ってから、結局自分に何ができるのかってことを、改めて考え続けていた。
アヤセみたいに直接力を貸すことはできない。
かといって音楽の素養もないから、何か助言ができるわけでもない。
じゃあって考えた時に、最終的にたどり着いたのは、ものすごく単純な話で。
私が背負えるのは、この一年と何も変わらない。
ただ、責任を負う事だけだった。
「私の知り合いに、音楽とかそういうのに明るい人がいて。相談して、どうしたらいいのかって、一緒に考えてもらった。それで、音楽祭とか目指してみたらどうかって話になって……穂波ちゃんや須和さんやアヤセに協力してもらって、形になりはじめてる」
穂波ちゃんも、須和さんも、宍戸さんを取り巻くひとたちが悪者にならないように。
私が思ったのは、ただそれだけだった。
「だから宍戸さんがもし、心の片隅にでもまた音楽をやりたい気持ちが残っているのなら……あの時話してくれた気持ちが変わっていないのなら、もう一度だけ挑戦してみない?」
一緒に――そう言えないことが、こんなにもどかしいものなんだっていう気持ちは生まれて初めてだった。
それ以上に説得力のある言葉はないはずなのに。
宍戸さんはごくりと、息と一緒にようやく事態を飲み込んで、小さく肩を震わせた。
それから後ずさるようにしながら、ふと視線を逸らす。
「あの……わたし……」
「いいよ、ゆっくりで」
「ええと……その……」
その間が、最後の一歩を踏み出す勇気が欲しいのか、それとも断る理由を探しているのか、私には判断ができなかった。
待つことだけ。
宍戸さんの言葉が全てだった。
「……ごめんなさい。ちょっとだけ、考えさせて貰ってもいいですか……?」
「歌尾さん……」
穂波ちゃんが心配そうに歩み寄る。
宍戸さんは疲れたように笑って、穂波ちゃんの手をそっと握った。
「これで良かったの?」
ぼそりと、須和さんが呟くように声をかけてくれた。
正直、自信のない私だったけど、今は無理矢理にでも頷き返す。
「スワンちゃんがここにいるだけで、本気度が伝わるような気がしたから……あとは宍戸さんの気持ち次第」
それに、もしも宍戸さんが私たちの手を取ってくれたのなら、そこから先、一番彼女の力になれるのは須和さんだ。
それだけは間違いがないと言い切れるから、私は彼女の力を借りたかった。
舞台は整ったっていうのは、こういう状態を言うんだろうか?
なんだか足りないような気がするのは、私が自信ないだけだったらいいのだけれど。