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10月1日 安心感

 ユリが私の家を訪れたのは、お昼過ぎのことだった。

 名目は勉強会だし、実際にするのは勉強だけど、続先輩とあんな約束をした私にとって、これは立派な「お家デート」の感覚だった。


「それでね、やっぱりいざ勉強以外することがなくなるとね、いっそのこと何もしたくなくなるよね」


 くだらないことを言いながら、ユリは英語の週末課題に取り組んでいた。

 来週の中間テストの範囲でもある課題は、英語教師お手製のちょっとした小冊子だ。

 冊子とは言ってもコピー用紙を数枚束ねてホチキスでとめただけのものだけど、入試の要点がまとめられた、なかなかの優れものだと思う。


「部活だって毎日当たり前のように練習してたんだから、勉強だって毎日続けてたらそれが当たり前になるでしょ」

「なるほど、その考えはなかった」


 感心したように頷くユリに、それくらい当たり前に持てよっていう感想は、マグカップの紅茶と一緒に飲み込んだ。


「確かに、一流のスポーツ選手って、他のスポーツやらせてもあっという間に習得しちゃうもんね。何かに打ち込んだ経験から、努力の仕方を学んでるんだなあ」


 それは正しいような、なんか違うような。

 でも言わんとしたニュアンスは伝わったような気がするので、良しとしておく。

 納得した様子のユリだったけど、すぐに盛大なため息をついて、ぐったりと机に身を投げ出した。


「ああ、でもそう思ったら、勉強もずっと努力しとけばよかったなぁ!」

「嘆いてもやってなかった事実は変わらないんだから、今から積み上げていくしかないよ」

「うう……できるのは馬車馬になって、少しでも沢山積み重ねるだけか。ピラミッド作る奴隷になった気分」

「限られた時間でどれだけ積み上げられるかとか、そういうの得意でしょ」

「実際にそういうゲームならね! でもこれは違うのぉ」


 ユリはずるずるとラグマットのうえに崩れ落ちて行って、最後には力尽きたように横になってしまった。

 私はと言えば、来るにマットにコロコロかけといて良かったとか、そんな事ばかり考えていた。


「そー言えば、今日はアヤセは?」


 ごろんと寝返りをうって、床の上からユリがこっちを見上げる。


「部活だって。来週大会あるらしいよ」

「えー! 書道部ってまだ引退じゃないんだ!」

「アヤセは推薦受けるから、他よりは余裕あるだけでしょ。部活に出ること自体が受験勉強なところあるし」


 そう言えば、アヤセもそろそろ試験本番じゃないのかな。

 今日は「お家デート」のつもりだったから、申し訳ないけどハナから声をかけるつもりはなかったけど。

 ただ、いないならいないで妙に気にかかってしまうところがある。

 いるよね、その場にいると全く話題にしないのに、いないとこではその話でもちきりになるタイプのやつ。

 別に陰口とかじゃなくって。単純に存在感のあるやつってことなんだろうけど。


「推薦かー。いいなあー。あたしも推薦すればよかったかな?」

「チア部の成績もあるし自己推なら今からでも狙えると思うけど……でも推薦って私立専願になるよ?」

「あ、そっか。じゃあダメだー! 推薦取り消し!」

「そんな不祥事起こしたみたいな言い方しなくても」

「ついでにあたしのやる気も取り消し!」


 そのままユリは、ふて寝するようにごろんと反対側に寝返りをうってしまった。


「勉強しなきゃ勉強会の意味ないんだけど」

「勉強する勉強会なんてこの世に存在しないよー」

「それは主語でかすぎ」


 今までだって散々、ちゃんと勉強もする勉強会をしてたじゃないか。

 まあ、ユリがこういう時はたいてい本気で言ってるわけじゃなくって、単純にやる気スイッチが迷子になってるだけなんだろうけど。


「ねえー、星ー」

「何さ」

「何か元気の出ること言って欲しいなあー」


 そう口にした彼女は、すっかりおねだり顔で私のことを見つめていた。


「またアホなこと言って……卒業旅行ならするでしょ?」


 旅行って単語が出てきたのは、たぶん卒業式後のあの日のことを思い出していたから。

 そう言えばあの時もユリはベッドに横になっていて、同じような顔で私のことを見ていたっけ。


「それはそれとして、今、元気になりたいの」

「要求がムチャクチャすぎる」


 ため息や愚痴のひとつを溢すくらいのことは、許されたっていいだろう。

 この期に及んで約束できることなんて、もう何にもないのに。

 それこそ、今からの時期に旅行なんてもってのほか。

 遊びにいくのだって、この間の遊園地が最後っていうくらいの気持ちだった。


 だけど何かひとつくらい、思い出になるようなことをやっておきたいなっていう気持ちは私にもある。

 それこそユリとの距離を、友達からぐっと縮めるようなイベントを何か。

 でも、何が良いんだろう。

 ずっと考えていたんだったらまだしも、今ここで、ぱっと案を出せって言われても浮かんでくるようなものじゃない。


 だいたいこういうのって、季節のイベントに沿って考えたりするもんだよね。

 直近で季節のイベントと言えばハロウィン――は、私たちの中じゃあんまり馴染みはないし、私もそんなに興味はない。

 じゃあ他には、えっと――


「……クリスマス?」

「おお?」


 こぼれた単語ひとつに、ユリは分かりやすい興味を示した。


「クリスマスくらいは思いっきり遊んでも良いんじゃない。何するかは全然考えてないけど」

「クリスマス! あたし、一年で一番楽しみな日!」

「その分、みっちり勉強頑張るんだよ」

「うん! 良い感じにやる気出てきたかも!」


 ユリは飛び起きて、テーブルの上に広げたやりかけの課題と真っすぐ向き合う。

 そんな言葉ひとつで元気になれるやる気スイッチが、ちょっぴり羨ましいよ。


「あたしのツボを押さえてる、流石の安定感だね」

「毎度、突拍子もない約束ばっかりさせないでよ。考える方は大変なんだから」

「それでも頑張って考えてくれるから好き」


 ユリがにへらと笑う。

 好き――嬉しい言葉だけど、私が欲しいのはその「好き」じゃない。

 同じ言葉なのに、こうもかけ離れた気持ちが欲しいだなんて。

 そっちの方が突拍子もないことだってのは十分理解しているつもりだ。


「なんていうか、ママみたいな安心感だよね、星って」


 今までなら気にしなかった言葉のひとつひとつが棘になって心に刺さる。

 これが、これまで一方的な感情で満足していたから感じなかった痛みなら、私は今、確かに自分の恋とちゃんと向き合っているって、そういう証のように感じられた。

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