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9月30日 夏の残滓

 目に見えて日が落ちるのが早くなった。

 日本海側なら日は海に沈む方なので、太平洋側に比べれば日の出が遅い分、日の入りも遅いようにも思えるけど。

 辺り一面を山に囲まれた盆地であれば、そんなものは関係ない。

 太陽が山より高く出れば日の出だし、山より低くなれば日の入りだ。

 日照時間的な意味では、すごく損をしているような気がする。

 だからこそ冬場は文字通り、空気が凍るくらいに寒いわけだけど。


「みてみて、星! ゆうやけこやけ! めっちゃ真っ赤!」


 帰り道を私より三歩か四歩ぐらい先に行って、ユリが真っ赤に染まった空を指さす。


「そうだね」


 空を見上げて頷いた。

 眩しいくらいの西日が目に沁みる。

 日中に少しだけ雨が降ったせいか、いくらかじめじめとした空気だった。

 逆光になったユリの影が、すーっと私の足元まで伸びていて、踏んづけてしまわないようにと軽くステップを踏んだりする。


「最近、星もアヤセも遊んでくんないから、それはもう寂しかったさー」

「そりゃ悪かったね。その間、何してたの?」

「うーん? 一応? 勉強?」

「何で疑問形?」

「勉強するのはいいけれど、分からないところが分からないあたしなのであった……」


 それ、一番無駄足踏むヤツじゃん――なんて思いもしたけど、口には出さないでおいた。

 あのユリが、ちゃんと受験を意識して勉強していたんだったら、大きな進歩じゃないか。

 それってほとんど保護者みたいな目線だけど。


「ユリんとこって私立でも大丈夫なの? 国立狙いならかなり頑張らなきゃだと思うけど」

「うーん、国立の方が良いのかなっていう気持ちもあるけど、あたしの学力で入れるとこあると思う?」

「伸びしろも考えたらないわけじゃないだろうけど……でも私立なら教科を絞れるし、そっちの方が合ってるかもよ」

「すぐそこの国立とかは? あんま気にしたことなかったけど、ランク的にどんなもんなの?」

「ランク的には低い方だから、本気で頑張るなら目はあるんじゃない?」

「そっかー。ついに本気を出す時が来てしまったかー」


 ユリはなぜか感心したように、うんうんと唸っていた。


「大学は近場がいいの?」

「こだわりがあるわけじゃないんだけどね」


 彼女は立ち止まって振り返ると、自分の影を追うようにぶらぶらと足をゆらした。


「やっぱり、お父さん一人にするのもかわいそうだなって」

「そっか」


 前にもそんなことを聞いたような気がした。

 私には遠い未来にならないと分からないだろう、家族をひとり残していくっていう感覚。

 好んで理解したいとは思わないけど、もしも理解できたなら、それでも近くの大学を選ぼうよなんてアドバイスもできたんだろうか。

 それとも、私自身も近くの通える大学を選ぶ頭になるんだろうか。


「あっ、みてあれ! めっちゃ綺麗!」


 ユリまた声を上げて、今度は空じゃなくて地面を指さした。

 その先にあったのは大きな水たまりだった。


 舗装されていない、住宅街の吹きさらしの駐車場の中にできた水たまり。

 そこに夕焼けが鏡みたいに写り込んで、ちょっとした絵画じみた景色になっていた。


「写真とっとこー」


 ユリは、水たまりの淵にしゃがみ込んで、スマホを構える。

 だけど良い構図が見つからないようで、あーだこーだと唸りながら首をかしげていた。


「ちょっ、ちょいちょい、星! 星もいいとこ探して!」

「ええ……もう、仕方ないな」


 私はスクールバッグを肩に担いで、自分のスマホを取り出す。

 それからユリの隣の並んで、カメラアプリを起動した。


 なるほど、確かにちょっと構図が難しい。

 結局は鏡のようになっているから、程よい角度を探さないと、水たまりに夕日が写らない。


 これ、むしろ下がった方がいいんじゃないの。

 そう思ってしゃがんだままずるずる後退していたら、一点、めちゃくちゃいい構図を見つけた。

 シャッターを押すと、その音に気付いてユリが振り向く。

 私はもうひとつおまけにシャッターを切った。


「あ、撮った?」

「めちゃくちゃ良い構図だった」


 真っ赤な空と、水たまりに移る夕焼け、そして振り返った逆光のユリの顔も、ほんのり朱に染まっていた。

 先に撮った方は、そのユリが向こうを向いたままのバージョン。

 これはこれで、なんか情緒があっていい。


「いいじゃんいいじゃん! どうせならもっと撮って!」


 ひったくるように私のスマホを覗き込んでいたユリが、また水たまりの方にかけて行ってポーズをとった。


「ポーズとっちゃうと、なんか違うんだなあ」


 カメラを向けてみるけど、なんかこう、さっきみたいなベストショット感がない。

 カメラを意識しないさりげない日常の一枚みたいな、そういう方が、なんかいい写真感があるもんだ。


「えー、そんじゃあどうしたらいいのさ?」

「もっとカメラのこと無視してよ。もしくは、いっそもっと動きをつけるとか」

「うーん……それならこれでどうだ!」


 するとユリは、何を思ったのか水たまりに思いっきり飛び込んでみせた。

 両足で着地した瞬間、大きな音を立てて水しぶきがこっちまで飛んでくる。


「うわっ……ちょっ、冗談やめてよ」


 こっちには何滴か大きなしぶきが飛んできたくらいだけど、真っ白な夏服にバッチリと茶色いしみがついてしまった。

 そして飛び込んだ当の本人はといえば、バッチリぐっしょり泥水にまみれてしまっていた。


「撮った?」

「撮れるわけないでしょ」

「ええー! めっちゃいい瞬間だったと思ったのに!」


 そんな事言われたって、せめて飛び込むよって事前に言って貰えなきゃ、飛沫を避けることで精一杯だよ。


「てか、あんたの制服ドロドロだけど」

「それはいーの! ほら、どうせ夏服は今日で最後だし」

「ああ、そっか」


 言われて思い出したけど、そうか。

 来週からもう衣替えになるんだね。

 このブルーラインの夏セーラーも、袖を通すのは今日が最後か……いや、だからと言って汚して良い言い訳にはならないと思うけど。


「次こそ撮ってよー?」

「次こそって、やっ、ちょっと――」


 いうや否や、ユリは水たまりの中で飛んだり跳ねたり、ひとり大乱闘を初めてしまった。

 こういうのは一回汚れてしまえばあんまり気にならなくなるもんで、私も半分仕方なしに、スマホを構えてその様子をカメラに収めていく。


 水しぶき、逆光、赤い空、翻るスカート、濡れた制服、泥に濡れた笑顔。

 ただ汚いことをしているだけなのに、レンズの向こうの彼女は、どうしようもないくらいに綺麗だった。


「こんどこそ撮れた?」

「撮れた撮れた」

「ほんと? 送って送って!」


 ユリはびっちゃびちゃの身体で寄って来るけど、それが気にならないくらい、私の身体もびっしゃびしゃになっていた。

 どうせ週末にクリーニングに出すことになるんだろうけど、それはそれとして親に怒られそうだ。


「ユリ、土日どうせ暇でしょ?」

「えー? うん、暇かな?」

「じゃあ、ウチ来なよ。勉強見てあげるから」

「ほんと? やったー、いくいく!」


 私が送った画像を自分のスマホで確認しながら、ユリは笑顔になって小躍りした。

 なんてことはない会話だけど、勢いのまま、だけど精一杯の勇気を振り絞ったお誘いだった。

 ようやく口にできたっていう安堵よりも、よくするっと言葉にできたなっていう驚きの方が、自分の中では勝っている。


 たぶん今この瞬間、胸の中が彼女のことでいっぱいになっていたんだろうなって。

 理由をあげるなら、たぶんそれくらいのことなんだと思う。

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