わが校の家庭科室は、増改築が繰り返された歴史ある校舎の中でちょうど真ん中に存在している。
一階に化学室やらの理系実習室、三階に美術室と書道室がある二階部分を占有していて、構造的には水道管とかを引っ張らなきゃいけない部屋を上下に集めたんだろうなっていう、そんな印象を受ける。
そんなこんなでちょうど校舎の中央にあるものだから、調理実習があれば瞬く間に校舎中に匂いはたちこめるし。
それが授業中なら「ああ、一年生の和食実習の次期か」なんて、ちょっとした風物詩にもなったりする。
だからまあ、今は放課後ではあるけれど、たぶん校舎のどこにいてもかすかに甘くて香ばしい匂いが鼻先を掠めているのだと思う。
「それでは反省会ということで、よろしくお願いします」
立ち上がって音頭を取る穂波ちゃんにつられて、家庭科室の机を囲む私と宍戸さんは、紙コップのお茶を酌み交わした。
机の上にはアツアツサクサクのクッキーが皿に盛りつけられて並んでいる。
料理愛好会お手製の焼きたてクッキーだった。
「穂波ちゃんは残念だったね。当選したら部に昇格してもらおうと思っていたのに」
隣の机で愛好会の元部長さんと、現部員さんたちが同じようにクッキーを囲んで談笑している。
その中で元部長さんは、のほほんとした笑顔を浮かべながら穂波ちゃんに労いの言葉をかけていた。
「応援ありがとうございました。部にはできませんけど、部に昇格しやすい制度作りはできたかもしれなかったので、そこは残念です」
真面目な穂波ちゃんは、律儀に、それこそ政治家のコメントみたいに隙のない返事をした。
そんなの与太話だから適当に流しておけばいいんだよって教えてあげてもよかったけど、ここはこうして反省会の場を提供してもらっている手前、元部長さんの顔も立てておくことにした。
宍戸さんが八乙女陣営の手伝いをしていたおかげか、料理愛好会のみんなで〝八乙女穂波後援会〟のような形で選挙に協力をしてくれた。
お月見会の手配をしてくれたのも彼女たちだし、人並みの感謝をしている。
だから会の最中に、用意したお手製のお菓子の説明をしながら、さりげなく部員の勧誘をしていたのも目をつぶっておいた。
本当は選挙期間中だったから、あらゆる組織の利は廃さなきゃいけなかったんだろうけどね。
その辺はご愛敬のうちとしておきたい。
「じゃあ、まあ、反省会ですし、反省しましょうか」
穂波ちゃんが、すごく「頭痛が痛い」みたいなことを言いながら、改まって向き直る。
私は、サクホロなクッキーを齧りつつこの一ヶ月のことを思い返した。
「まあ、結論から言うと奇襲作戦にしてやられてんだろうけどね」
そして出た結論はそれ。
実際、正々堂々とぶつかっていたら得票は五分五分くらいには持ち込めたんじゃないかって、ひいき目に見て思っている。
だから直接的な敗因は何かと考えたら、やっぱり銀条陣営のしかけた演説討論会以外には考えられない。
手玉に取られたとはこのことだろう。
「演説会だけに焦点を絞って、完璧に準備をしてきたって……そんな感じでしたもんね」
「それくらい、今回の選挙に賭けてたってことだと思う」
宍戸さんも穂波ちゃんも、相手の検討を称えるように頷き合っていた。
今じゃなんかもう他人事みたいな空気だけど、彼女たちも彼女たちなりに選挙戦を頑張っていたのは言うまでもない。
だから二人がライバルを褒めたたえる分、私がふたりを褒めてあげたいと、そう思う。
「今年は残念な結果だったけど、ふたりは来年はどうするの?」
「来年……ですか?」
「そ。来年――来年の生徒会長選挙のこと」
きょとんとして聞き返す宍戸さんに、私は念を押すように言い添えた。
「それこそ二人の代になるわけだし。まあ、順当に考えたらどちらかが会長になるのだと思うけど」
「そんな、私が会長だなんて……!」
宍戸さんは慌てた様子でぶるぶると首と手を横に振った。
それから、さも当然のように穂波ちゃんの顔色をうかがう。
「来年こそ、穂波さんが会長だよ……ね?」
「ううん、どうしようかな?」
「えっ、どうしようかなって……」
だけど、とうの穂波ちゃんが首をかしげてしまったので、宍戸さんは不安そうな表情で固まってしまった。
「私は矢面に立つより、誰かを傍で支える方が性に合ってるような気もするなって」
「穂波ちゃんは十分矢面に立つ主人公タイプだと思うけど」
「もちろん、自分の人生いつでも自分が主人公――くらいの気持ちで毎日生きてますが」
それは頼もしい限りだこと。
「でも本質的には、人の役に立つのが好きなんだと思います」
「むしろそれって会長向きだと思うけど」
「そうですか?」
何度となく言ってる気がするけど、生徒会長なんてキラキラした仕事でもなんでもなくって。
ふたを開けてみれば全校生徒のために自分の時間と体力を削って奉仕する、そういう役職だ。
「穂波ちゃんがやらないってなるなら、今のうちからでも誰かやってくれそうな人を探しておいた方が良いかもね」
「私は歌尾さんもありだと思うんですけど」
「ええっ? む、無理だよお……」
確かに、今のまんまじゃ宍戸さんに会長は無理――ってことはないだろうけど、単純に心配だ。
やっぱり、穂波ちゃんがやるのが良いんじゃないかな。
今年の経験があるから、来年の選挙はもっと肩肘張らずに取り組めるだろうし。
「歌尾ちゃんが会長になってくれたら、それこそ愛好会を部にしてくれそうだね」
図々しい部長さんは、相変わらず図々しいことをのたまっていた。
「そのころはもう私たち元三年は卒業してるけど」
「卒業後の部の繁栄を願ったっていいじゃない、ねえ?」
元部長さんの振りに合わせて、部員たちはうふふおほほと相槌をうった。
なんか、思ったより腹黒いな料理愛好会……宍戸さんは、この部に在籍してて大丈夫なんだろうか。
そもそも入部することになったのも、何かハメられたんじゃ……?
「まあ、とにかく考えておくだけ考えてみるといいよ。自分たちの学校を、これからどうしたいのかってことだからね」
「どうしたいのか……ですか」
宍戸さんは何か考えるところがあるらしく、手元を見つめたまま静かになってしまった。
下手に何か吹き込むのも良くないかなと思い、私もそれ以上口を挟まないことにした。
もしも仮に彼女が会長になったとしたら、いったいどんな感じになるんだろうか。
ぶっちゃけ今のままじゃ想像もできないぶん、あっと驚くすごいことになったりもするんじゃないだろうかとか――そういう「どっちが面白いか」で物事を考えてしまうのは、私もすっかりこの学校に染まり切っているっていう証拠なんだと思う。