決戦の演説会は、昼食後の五時限目に開かれる。
そのまま六時限目は各クラスホームルームになだれ込み、その間、選管による開票が行われて放課後には結果が発表される。
全校生徒が集まった講堂は、昼食後のほどよい満腹感と倦怠感で包まれている。
それでもなお、ステージ上はピリピリとした緊張感を保ち続けていた。
ステージの端には、進行役の選管の子が喋るためのスタンドマイクが一本。
そして中央には、全校生徒に口を開く形で〝コ〟の字型にテーブルが置かれて、一辺ごとに今年の候補者、そしてその後ろに付き人のように応援者が立ち並ぶ形となった。
「各候補者、および応援者の所信表明が終わりましたので、演説討論会へと移らせていただきます」
選管委員長の落ち着いた声がスピーカーを通して室内に響いた。
「会の円滑化を図るため、今年は趣向を変え、各候補者同士によるディベートによって立候補演説の代わりとさせていただきます。投票有権者である生徒のみなさんは、舌戦の勝ち負けだけでなく、発言の内容や人柄などを加味して、投票先を検討していただけたらと思います」
返事の代わりに拍手があふれる。
シンプルな肯定の意思表示だった。
銀条さんの提案で決まった討論会だが、ルールはいたって簡単だ。
・あくまで基本は立候補者が発言を行うこと。
・応援者の発言はそれぞれ一問答まで。権利は挙手を伴って行使される。
それ以外は何をどう語ろうが、どんな議論を交そうが自由である。
テーマこそ設定されているけれど、それは会話の糸口にすぎず、目的は従来の演説会と同様にそれぞれの人柄と熱意をアピールするための場ということだ。
「今回の討論テーマは『将来の南高生に遺したいもの』と設定させていただきました。それでは各候補者からひと言ずつ意見をお聞きした後、自由討論に移りたいと思います。では立候補順に金谷美羽さんから」
「はい! 私が遺したいものはずばり〝愛〟です!」
金谷さんのハキハキとした答えと共に、会場に小さな笑いがこぼれる。
小ばかにしたというよりは、映画館で笑えるシーンを見せられた時の声を殺した笑いに近い。
言った本人もニコニコしながら堂々と胸を張っていた。
「ありがとうございます。次に銀条ゆづるさん」
「はい。私が遺したいもの……というより、意識すべきと考えているものは〝校則〟です」
ユーモアに寄った金谷さんに対して、銀条さんの答えは一直線に質実剛健といった感じだった。
思えば、ここにきて始めて銀条さんサイドの主張を耳にした。
どんなことをしても金谷さんに勝ちたいと言った彼女が、そこにどんなロジックを組み込んでくるのか。
まだまだ警戒を怠ることはできない。
「ありがとうございます。では、最後に八乙女穂波さん」
「はい!」
穂波ちゃんの、金谷さんとはまた違った意味で溌剌とした声が響く。
所信表明の時はまだいくらか緊張した様子だったけど、今はもう問題なさそうだ。
「私が遺したいと考えているものは〝夢〟です」
そして、彼女はその小さな身体と小さな口で、大きな意志を語った。
選管の子は三者の意見が出そろったのを確認して、小さく頷く。
「ありがとうございます。それでは以降は自由討論とさせていただきます。終了五分前になったら合図をいたします。では、どうぞ」
彼女は同時に、手にしていたベルを鳴らした。
福引とかで良い賞が出たら鳴らすような、あのハンドベルだ。それがディスカッションの開始の合図となった。
「まず先に、これはフェアプレー精神でお尋ねします」
口火を切ったのは銀条さんだった。
「私を除くおふたりの主張は、形のない曖昧な事柄を指すものですが。その言葉に集約するに至った、ある程度論理的な根拠を聞かせてもらえますか?」
軽いジャブのような質問。
言葉は丁寧だが、崩して表現すれば「わけわかんねーこと言ってんじゃねーぞ、コラ」ってことだ。
初手にしては鋭い切り込みだけど、たった今この場で気を回したようには思えない。
たぶん、金谷さん辺りに切り込むためにあらかじめ用意していて、ついでに穂波ちゃんにも刺さりそうだから初手で切って来たというところだろう。
「それはですねー、まずそもそも私の今回の選挙スローガンが〝愛される生徒会〟なわけです」
はじめに応じたのは金谷さん。
彼女は銀条さんの一矢に怯むことなく、悠々と主張の矢を番える。
「生徒会が愛されるということは、生徒ひとりひとりが学校の運営組織に興味をもってくれているということです。すなわち学校そのものを愛し、結果として学校生活を円滑に回す意識を持つものと期待しています」
「その主張を裏付けるには、まず〝愛される生徒会〟を体現しなければならないわけですが。それは可能だと考えているのですか?」
「可能です」
金谷さんは臆することなく答えた。
「そもそも、これだけ今年の選挙に関心を持って貰えているというのが、その兆しであると考えます」
主張はやや勢いに任せたものだけど、なんというかこう、もっともらしく発言するのが上手いね。
妙な説得力に思わず頷かされそうになってしまう。
一区切りついて、金谷さん銀条さん双方の視線が穂波ちゃんに向いた。
私はエールを送る意味で、彼女の肩をそっと撫でるように叩く。
「私は、夢を持ってこの学校へと入学してきました」
穂波ちゃんは、集まった視線に負けじと答える。
「まだ道半ばではありますが、成し遂げるだけの環境や応援、そしてある種の『やってしまえる』ような空気がこの学校にはあると感じます。だから、遠い未来の絵物語でなく、この学校でこそ夢を成し遂げる。そんな組織作りを行っていきたいと考えています」
「その具体的な案はありますか?」
「はい。まずは今まで原則として禁止されてきた、部活動の兼部を校則のうえで許可したいと考えています」
「それで、夢が叶うのでしょうか?」
「高校生活の三年間は長いようで短いです。やれることは限られています。だからこそ何かに挑戦する、その機会だけは常に開かれているべきだと考えます」
銀条さんの質問攻めにも動じた様子はない。
それでも、まずは穂波ちゃんを崩すべきと考えているのか、銀条さんは再び何かを尋ねようと口を開きかけた。
しかし、それを遮るようにアヤセの手が上がる。
「一方的な詰門になりつつあるので、発言の機会を貰える?」
「……どうぞ」
話の腰を折られてしまった様子で、銀条さんは一息つきながら続きを促した。
金谷さんは、アヤセに向かって拝みながら小声で「あざーっす」と囁く。
アヤセもウインクでそれに応える。自由に話せる候補者と違って、挙手が必要な私たちは一手遅れる分、注目度も高い。
こういう使い方もあるのかと、先んじて権利を使って示してくれたアヤセに私もちょっぴり感謝する。
「銀条さんの言う〝校則〟って、学生ならある意味当たり前に伝え、守らなきゃいけないものだけど、それをわざわざ掲げる必要性は? 少なくとも表沙汰になっていることで、校則破ってる人は聞いたことはありませんが」
アヤセの問いかけに、銀条さんはポケットから生徒手帳を取り出して掲げるようにしながら応える。
「校則とは、わが校の歴史そのものであると私は考えます。学校側から生徒を管理するために押し付けられたものではなく、生徒自身が毎年時代に合わせて加筆・修正を行ってきた、その厚みがこの一冊です。ですので遺すべきことも、想いも、わざわざ私たちが語るまでもなく、ここに詰まっているのです」
「じゃあ、そんな銀条さんが生徒会長になった暁には、校則の何をどう弄るんですか?」
一問答が終わってしまったアヤセの話題を引き継いで、金谷さんが尋ねる。
銀条さんは、生徒手帳をテーブルの上に置いて、それから大きくひとつ深呼吸をした。
「制服の規定、スカートは膝下五センチ以上――これを撤廃します」
「まさか!」
質問した金谷さんのほうが驚きで固まっていた。
それはアヤセも、そして私たちふたりも同じ。
ここまで真面目一辺倒な問答で来た銀条さんが、突然意趣返しのように制服の規定に切り込んでくるなんて、そこにいる誰も考えがつかなかった。
傍聴する生徒たちも一瞬だけ戸惑ったようにざわついてから、次第に色めき立って拍手までおこる。
確かに、中学生でもないんだから膝下五センチ以上なんて長すぎるとは思っていた。
でも、だからといってそれで学生生活に何か支障があるわけでもなく、私は、本当に私は、一切気にかけたことがなかった。
ただ、これの改定を望む声が少なくないことは知っている。
主に校内に出会いが存在しないからと他校にカレシやらを求める層にとって、スカートの丈数センチの差を気にする層がいることも。
彼女たちが、校門を出た瞬間に近所のコンビニのトイレに駆け込んで地道にプリーツを折っていることも。
そうなると、アヤセの質問がそのまま尾を引いてくる。
まさかここで「表沙汰になっていない、校則破ってる人」の票を取り込みに来るなんて。
「えげついことすんなあ……」
アヤセが苦笑して、困ったように頭を掻いたのが視界の先に見えた。
穂波ちゃんも、助けを求めるように私を振り返る。
正直、策はない……ないけど、私は少しでも元気づいたらいいなと空元気で頷き返して、手を上げた。
「スカートの丈となると、校則を変えるだけでなく実際に制服を作っている業者や、採寸を委託しているアパレルショップやデパートのすべてに漏れなく周知をしなければならないと思うのですが。それを見越したうえでの発言と捉えて良いんでしょうか?」
現実的なところを突いてやったとは思う。
だけど、私の質問を押し返すように心炉の手が上がった。
「それは、実際に当選した暁に生徒総会に議題としてかけ、そのうえで学校側とも協議して詳細を詰めるべきことです。今ここで答弁する必要はないと考えます」
一度きりのカウンターを、同様にカウンターで返されてしまった。
というよりも、この迷いのない切り返し。
心炉は初めから、私の発言を封じ込めるためだけに発言権を行使するつもりだったようにも見える。
権利を使ってしまった私は押し黙るしかなく、心炉が断ち切った流れを銀条さんがそのまま引き継ぐ。
「ひとつだけ断言できるとすれば、スカートの丈の長さが変わったことで、我々の南高生としての誇りや意識まで変わることはないだろうと、私自身が確信していることです」
凛とした一声に、会場全体から拍手がわき起こった。
演説会の終了を待たずして、ほとんど勝敗は決まったように思えた。
『――以上の開票結果により、次期生徒会長は銀条ゆづるさんに決定いたしました』
ホームルームのさ中、選挙管理委員会による開票結果の校内放送が響く。
静かに耳を傾けていたクラスに、祝福と、健闘を称えるような拍手がおこった。
「今年は私の勝ちです」
さらりと口にした心炉に、私は観念したように笑顔を溢す。
「今回は完敗。最初から最後まで、全部手玉に取られてた気すらする」
「お褒めの言葉と受け取っておきます」
「ひとつだけ。これは全部、心炉の策?」
「当然です。この一年、一番近いところでふたりのことを見てきたんですから、何をどうしてくるかなんて、火を見るよりも明らかです」
「完璧な進行だった。ドラマで見る敏腕弁護士か検事みたいだった」
追いつめられる犯人ってこんな気持ちなのかな。
「それと、銀条さんの覚悟もあってのことですね」
「それって、どんなことをしても勝ちたいっていう?」
「なんだ、知ってたんですか」
心炉は拍子抜けだと言わんばかりにため息をついた。
こっちだって打てる手は打った。
だからその覚悟の差で負けた。
穂波ちゃんに覚悟がなかったわけではないと思うけど、ある意味での必死さみたいなところで差が開いたのだと私は思う。
同時に、昨年の私は本当に、続先輩の後ろ盾で勝ったんだなと――そんな事実を目の当たりにした気分だった。
結果は結果として受け入れるしかない。
そのうえで今考えなくちゃいけないのは、この後のアフターケアを私自身がどうするべきかだ。