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9月21日 欠けたることもなしと思へば

 お月見会の翌朝、予想はついていたことだけど、穂波ちゃんのテンションは急転直下だった。

 表情だけならいつもと変わらないのだろうけど、俯きがちな顔にはすっかり影が落ちてしまっている。


「仕方ない……って言っちゃ悪いんだろうけど。それでも忙しかったし、仕方ないよ」


 私の励ましに、彼女は頷いたような首を横に振ったような、煮え切らない反応を示す。


「今日は、何か準備してきたんでしょ?」

「もちろんです」


 今度ははっきりと頷いてくれた。

 そういう私も、宍戸さんの誕生日に関しては完全に寝耳に水だったので、昨日の帰りに慌ててプレゼントを用意した。

 私だって合宿の時に祝ってもらってるんだ。

 ユリズムじゃないけど、お返しをするのは当たり前くらいの気持ちはもっている。


「でも、当日にすっかり忘れてしまうなんて……」


 知っていたのに忘れていた、というのはショックなことだとは思う。

 それが親友の誕生日ならなおさらだ。

 落ち込むのは仕方のないことだけど、穂波ちゃん自身も今は大事な時期だ。

 落ち込んだまま、というのはあまり良くはない。


「気持ちは察するけど、今は無理をしてもわら――いや、笑ってもよくわかんないか」

「え?」


 穂波ちゃんは、別の意味でショックを受けたように私を見た。


「私の表情って、そんなによくわかんないですか?」

「分かんないっていうか、慣れが必要というか……」

「そ、そんな……私、自分のことすごく感情豊かな人間だと思ってました。子供のころからずっと」


 事実、感情豊かだとは思うよ。

 表情にあんまり反映されないだけで。


「小さい頃から、地元のお爺ちゃんお婆ちゃんたちにも『八乙女さんちの穂波ちゃんは、感情豊かなこけしみたいで可愛いね』って言われて育って……」


 それ、そもそも比較されてる対象が置物なんだけど。

 たぶん、それよりはマシってことなんじゃ……まあ、これ以上気を落とすようなことは口にしないことにしよう。


「とにかく、それはそれ、これはこれ。会長を目指すこと自体が彼女のためでもあるんだから、それ自体がプレゼントのひとつみたいになるんじゃない?」

「だからこそです。彼女を想ってやってるつもりで誕生日すら忘れるなんて」


 穂波ちゃんが、ふるふると首を横に振る。


「私、本当に彼女のためにやってるんでしょうか? ただ自分のヒロイズムを満たすためだけにやってることなんじゃ……?」

「それは、穂波ちゃん自身が一番よく分かってるでしょ」

「……はい」


 少なくとも、そういうところで悩めるのなら、心全部じゃないにしても宍戸さんを想う気持ちは本物のはずだ。

 そして、私が肯定したところで納得できるものじゃない。

 それに、一〇〇%自分勝手だった私の立候補理由に比べたら、よっぽど〝ちゃんと〟しているとも思う。

 誰かを想い、学校のことも思っての出馬なら、十二分に立派じゃないか。


 それから、最後の追い込みをかけるように一日中ビラやらを配って、投票日前日の選挙活動が終わった。

 明日の朝も昇降口には立つけれど、流石にもうほとんど意味はないだろう。

 当選する自身はあるかと言われると五分五分――いや、それでもかなり善戦できると見積もったうえでの感覚だ。

 一年生の出馬はそれなりに話題にもなっているし、私もひと肌脱がされた選挙新聞の効果もあって、通りがかりに「頑張ってね」なんて声をかけてくれる生徒も増えた。

 だから勝負は明日の演説会。

 もとい、三陣営六名による鼎談ディスカッション会だ。

 昨日の銀条さん陣営の提案は、各陣営と選管の合意でもって実現するところとなった。

 詳細は選管が追って考えるという話だったが、その結果が送られて来たのがちょうどお昼の作戦会議の時だった。


――生徒会選挙候補者ディスカッションのテーマは『将来の南高生に遺したいもの』となりました。


 テーマが決まった。

 さらにいくつかの注意事項と共に、『各候補者と応援者には会の最初に一分間の自己紹介タイムを設けます』と続いた。

 従来の演説会であれば応援者五分、候補者十分の時間が与えられるはずだったので、比べたら微々たるもの。

 本当に自己紹介と決意表明くらいしかできないだろう。

 それでも、演説会としての準備しかしてきていなかった私たちにとってみれば、少しでもひとり語りの時間が与えられるのはありがたい。

 もともと話す予定だった原稿の内容をかいつまんで、要点だけをまとめておかねばなるまい。


「遺したいもの……ですか」


 穂波ちゃんは、自らの言葉で咀嚼するように文面を口に出す。


「やや不利なテーマにも思えるけど、大丈夫そう?」


 尋ねると、穂波ちゃんはためらいがちに頷いた。


「不利でもなんでも、やるしかないです。負けるわけにはいかないので」


 そう語る彼女の瞳からは、強い使命感が感じられた。

 改めて覚悟を決めたってことで良いのかな。

 だとしたら、私は全力でバックアップをする。


 演説会の形式が変わったことで、私としても昨年の知恵はもう使えず、完全な出たとこ勝負となってしまった。

 だとしたら、状況自体は去年とひとつも変わっていないということ。

 だったら、その出たとこ勝負の選挙戦を勝ち抜いたという結果だけが私の自信であって、穂波ちゃんを支える芯にならなくっちゃいけないんだ。

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