この日、駅前のカフェチェーンを訪れていたのは、他でもない目の前の後輩に呼び出しを食らったからだ。
相手は穂波ちゃんでもなく、宍戸さんでもなく、銀条さん。
なぜ私が呼ばれたのかはなはだ疑問だったし、そもそも心炉か誰かと間違えてメッセージを送ったんじゃ……と思って再三確認もしたけれど、間違いないらしい。
普段、彼女からこうして何か誘われるということはまずない。
〝珍しい〟ということには、深い浅いに関わらず何かしらの意味があるものだ。
私としてもできるだけ応えてあげたい――とは思うけど、いかんせん今は選挙戦の途中で、彼女は票を取り合うライバル陣営の候補者だ。
気にしないと言えば嘘になる。
別に談合とか八百長とか、そういう話では間違いなくない。
分かっていても、ただならぬ意味を邪推してしまう。
「すみません。驚きましたよね、こんな時期に敵陣から連絡があったんですから」
こっちの気持ちを見透かしたみたいに銀条さんが言う。
ただ、その語り口がどこか遠慮がちなのを見て、私は積み上げていた心の荷をいくらか崩した。
「まあ、驚きはしたけど。でも、こんな時期だからこそ大事な話なのかなって」
「大事……というか、そうですね。すごく個人的な話で申し訳ないのですけど、ひとつだけどうしても、スッキリさせておきたいことがありまして」
銀条さんは、そこまで言って静かに息をのんだ。
本題に入る前に、最後の覚悟を決める。
そんな間だった。
「狩谷先輩は、私か美羽か、どちらかが生徒会長になるのでは不安ですか?」
「え?」
思ってもみなかった問いに、私は素で聞き返してしまった。
何がどうしてそう言う話になったんだろう。
全く心当たりがなくて、本当に寝耳に水だった。
「ええと……どうしてそう思ったのかな?」
考えて分からないことは聞くしかない。
大事な選挙の前に変なわだかまりを残すのも嫌だし。
「狩谷先輩が、私も美羽も、どっちも応援者に選ばなかったからって怒るような人ではないと思ってます。じゃあ、どうしてわざわざ対抗馬として、しかも一年生の八乙女さんを擁立して出馬してきたんだろうって思ったら、それしか思いつかなくて」
気持ちの整理をつけ終えた彼女は、せきを切ったように一気にまくしたてた。
なんだかそのまま止まらないで話続けそうな勢いだったので、私は慌てて言葉を遮る。
「待って待って、そんなことはないよ。本当に。これは信じて貰うしかないのだけど」
「そう……ですか?」
「むしろ二人が出馬を考えてたのを知った時、安心したくらいだし」
「何の安心ですか?」
「ええと……誰も会長に立候補しないんじゃないかっていう心配がなくなったこと」
それが本当の素直な気持ち。
それが嘘偽りのない弁明というか、ある種の必死さみたいなのを感じ取ってくれたのか、銀条さんは多少安心した様子で小さく息を吐いた。
私もつられて、同じように息を吐く。
「そうですか」
「スッキリさせたいことって、それ……?」
「ええ、まあ……大部分では」
「そう。じゃあ、誤解が解けたみたいで私も安心した」
それでお開きチャンチャン、というわけではなく。
アイスのカフェラテをストローですすりながら、しばし無言の時が流れる。
聞きたいことも聞けたしこれでお開き、みたいな空気ではない。
かといって、私から「じゃあこれで」と言うような空気でもない。
「何か言っておきたいことがあるなら、今のうちに吐き出しときなよ」
だから私は、話を先に進めることにした。
大部分では、と彼女は言った。
だとしたら、まだ細かい心配が残っているってことなんだろうか。
選挙に関することであるなら、私には何も手助けできないけど。
それでも話を聞くくらいはできる。
たぶん、彼女もそれを欲しているんじゃないかって、そう思った。
銀条さんはもう一度、躊躇うように息をのんだ。
きっと、最後の躊躇いだった。
「欲を言えば……狩谷先輩にも私を支持してもらいたかった」
「そう、なんだ」
「でも、心炉先輩を後ろ盾に選んだのも私です。そのうえで狩谷先輩にも、というのは虫のいい話なので控えましたが」
そこは別に控える必要はないと思うけど。
むしろ、微妙に寂しさを感じていたところにそんな話が来たのなら、嬉しいくらいだったと思う。
どんな形であれ、頼られるのは悪い気はしない。
「それは、私を頼ってくれてるってことかな」
「結果としてはそういう事になるとは思います。最初から、今回の選挙は現職幹部の取り合いのようなところがありました。幹部は三人。必然的に、二人味方につけた方が有利です」
「なるほど」
「美羽はたぶん、そのへんよく分かってなかったと思いますが……だからこそ、付け入る隙があると思ってました」
「そこまで考えて、本気で選挙を獲りに来てたんだ」
「……そうですね。勝ちたいです」
「私が言うのもなんだけど、あまりいいものじゃないと思うよ、生徒会長は」
「もちろん大変だと思います。そして、同じくらいやりがいもあると思います。でも、それ以上に……」
「それ以上に?」
「私、美羽に勝ちたいんです」
彼女は、はっきりとそう口にした。
「美羽とは小学校からの付き合いですけど……私はいつでも、彼女の添え物だったんです。何かと声が大きくて、どこに居ても目立つ彼女の隣に、なんかいつもいる人。それが私なんです」
「そんなことはないと思うけど……」
思わずフォローするような言葉が口から出たけど、彼女はすぐに首を横に振って否定する。
「もちろん、彼女は私のことを添え物なんて思ってないだろうし、私だって一緒に居たいから居ただけ。何も悪いことなんてないんです。でも、周りからはそうじゃない。美羽がメインで、私がサブ」
「突っ走りがちな彼女の手綱を取ってるっても言えるんじゃないかな」
「そう胸を張って言えるように、この選挙に勝って、美羽と対等の存在だって――私が自信をつけたいんです」
そこまで言って、彼女ははっとしたように口を噤む。
そして申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、こんな個人的な理由で……でも私、そのために本気で会長になりたいと思っています。だから負けてくれなんて言いません。全力で、文句のない勝ち方で、美羽にも、八乙女さんにも勝ちます」
決意を新たにする彼女に、私はなんて声をかけるべきか、少しだけ迷ってしまった。
望むところだって、当たり障りのない返事をするのは簡単だけど、たぶんそれは先代がかける言葉としては不適当なんだと思う。
かと言って、気の利いた適当な言葉がすらすらと出てくるほど、私の口は軽くない。
「いいんじゃない。生徒会長になりたいだなんて、みんな個人的な理由ばっかりだと思うよ」
だからあくまで経験則としての感想を銀条さんに伝えることにした。
その言葉で彼女が満足してくれるかは分からないけど、少なくとも、真っ向から立ち向かう意思は示せたんじゃないかと思う。
銀条さんは小さく頷いて、それから少しだけ笑みを浮かべてくれた。
「ありがとうございます。これで心置きなく戦えます」
「こちらこそ」
それからなんとなく、私たちは握手を交わした。
温かくて、ちょっぴり汗ばんだ彼女の手は、私が続先輩に勝負を挑んだ時のそれにどこか似ているような気がした。