穂波ちゃんとふたりならんで、生徒会室の前に立っていた。
今ここは南高生徒会のものではなく、でかでかと「選挙管理員会」と書かれた紙が扉に張り付けられている。
一年ものあいだ通い詰めたのに、扉の向こうが異世界か何かみたいに感じられて、ドアノブを捻るのを躊躇してしまった。
けど、いつまでもそこでぼーっとしているわけにもいかないので、意を決して扉を開いた。
バアーンなんて効果音が出るわけじゃないけど、それくらいの勢いがあったのかもしれない。
部屋の中で退屈そうに頬杖をついたり机に突っ伏していた女生徒たちが、一斉に飛び起きてこちらに視線を向けた。
「え、会長……じゃなくて、元会長?」
「な、何かご用事で?」
「部屋に忘れ物とか!? あ、私たち生徒会のものには一切手を触れてませんので! 本当に!」
選管の子たちは目に見えて慌てた様子で、わたわたと部屋の中を右往左往する。
「別にカチコミに来たわけじゃないんだから」
「いや、私たちにとってはほとんどカチコミみたいなものです……」
脅かすつもりはなかったのだけど、結果的にそうなってしまったのなら仕方ない。
ささっと用事を済ませて終わりにしてしまおう。
「用事があるのは私じゃなくて、こっち」
そう前置いて、慎重差的に完全に私の後ろに隠れてしまっていた穂波ちゃんを、よいしょと私の前に差し出した。
「一年五組、八乙女穂波。八つの乙女に稲穂の穂、海の波。会長選挙の立候補の届け出に参りました」
挨拶をして、彼女はぺこりと頭を下げる。
選管の子たちはあっけにとられたように固まってから、弾かれたようにばたばたと慌ただしく駆け寄って来た。
「立候補!? マジで?」
「あなた、確か生徒会の一年の子だよね? すごい胆力だね?」
「てか、前会長連れてきたってことは……きゃー! ほらやっぱり! 応援者『狩谷星』って書いてあるー!」
「え、じゃあなに? 前職幹部三人がそれぞれ別の後ろ盾で三つ巴? うわー、委員会の仕事ダルーとか思ってたけど楽しくなって来たぁ!」
私も穂波ちゃんも完全に置いてけぼりにされてしまって、彼女たちはきゃいきゃいと勝手に盛り上がっていた。
私は、背をかがめて穂波ちゃんに耳打ちする。
「出すもの出したし帰ろうか」
「あ、はい。そうですね」
頷いてくれたのを確認して、私たちは生徒会室を後にした。
一応、選管の子たちにも声をかけたけど「はい、お疲れさまー!」くらい軽く返されて終わってしまった。
「とりあえず、無事に書類は提出できたということで」
「はい。ありがとうございました」
ひとつ仕事を終えた気分になって、どちらからともなく息を吐く。
大変なのはこれからのはずだけど、まずは立候補をしないことには始まらない。
そして今日がその締め切り日なものだから、準備は急ピッチで行われた。
私は書類に自分の名前を書くくらいのものだけど、直筆の宣誓書やらなんやらを準備しなければならなかった穂波ちゃんは大変だっただろう。
私も去年、同じ苦労をしたからよく分かる。
「本当に良かったの? 昨日も言ったけど、一年生での出馬はかなり苦戦すると思う。会長になりたいのなら来年の方が――」
「それでも今、必要なことだと思うんです」
彼女の決意は固かった。
あの観覧車の時から。
いや、あの時はもうとっくに気持ちは固めていたんだろう。
その表情に一切思いつめたところはなく、むしろ晴れやかなものだった。
選挙に出るから後ろ盾になってくれと言われた時、驚きもしたけど、同時にそう来たかと感心もしたものだ。
「生徒会長の特権……というわけではないですけど、与えられた権利のひとつが〝校則の追加、または内容の修正を総会で提案することができる〟というものです。なまじ歴史のある学校だから、校則も時代に合わせて変化させる必要がある。学生生活の生徒自治を体現する風習だと思います」
「そうだね」
「だから私は、その権利を使って部活動の兼部の認可を校則に書き加えます。それが今、私にできる一番の方法だと思うので」
それが、彼女が一年生ながら会長選挙に出馬する理由。
何のための改変かと言われたら、友達に――宍戸さんに少しでも前に進む道を示すための、身体を張った賭けだと言える。
「来年じゃもう遅いんです。今じゃないと」
「うん、そう」
だから私も力を貸すことに決めた。
何もできることなんてないと思って。
今は見守るしかないと思って。
だけど穂波ちゃんはその間に、確実に前に進める方法を見つけてきた。
それを私に相談してくれたのなら、応援しない理由がない。
「それに私、会長になりたいわけではないんです。それでも、もしなるのなら、星先輩の次の会長がいいです」
穂波ちゃんがニッコリと笑う。
今、一大決心をして、その第一歩を踏み出して来たばかりだというのに、本当に無邪気で、本当に肝が据わっていた。
会長でなくても将来とんだ大物になりそうだ。
それぐらいの期待と安心感が、応援者の立場から彼女に感じられた。
「そう言って貰えるのなら、一年間頑張った甲斐はあったかな」
戦おう。
こっちは急なことでほとんど丸腰だけど。
相手は金谷さんと銀条さん。
そしてアヤセと心炉。
楽に勝たせてもらえる相手じゃないけど、勝ちを譲るつもりもない。
なんてったって私は、勝つために何でもやって生徒会長の椅子を手に入れたんだ。
そして、それを教えてくれた続先輩のやり方を、嫌でも間近で見て勉強してきた。
たかが高校の生徒会選挙――だからこそ、付けこむ隙はいくらでもある。
あくまで公正に、だけど勝てばいい。
なんだかんだとしがらみに手をこまねくことが多い私だけど、こと一度経験したことがあるフィールドであるならば、私は案外そういう「なりふり構わず」って言うのが得意な方の人間なんだ。