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9月10日 私にとっての…

 明日はみんなで遊園地――の前に、今日は街へ繰り出すことになっていた。

 何も遊ぶわけじゃなく、いつものファミレスの一角を陣取っての勉強会だ。


「受験生が日がな一日遊びに出かけるんですから、明日のぶんもこなすつもりで詰め込みましょう」

「うへぇ……心炉ちゃんが鬼教官だよぉ」


 ユリが、机の上に広げたノートの上に、ぐでーっと力なくつっぷした。


「やめなよユリ。また耳なし芳一になるよ」

「うわあ! やめますやめます!」


 慌ててユリが飛び起きた傍らで、心炉がいぶかしむように首を傾げた。


「なんですかそれ?」

「前に、通話しながら勉強してたらユリが寝落ちしちゃったことがあって。そしたら朝に、頬のとこに書いた英文全部べっとり」

「うわあ……それは悲惨ですね」

「確か、面白がって朝イチに画像送ってくれたよな……あったあった、これだ」


 アヤセがフォルダから漁った画像を見せると、心炉は呆れたらいいんだか、笑ったらいいんだか、よく分からない曖昧な顔で眉間にしわを寄せた。


「しかも見ろよ、ここ単語間違ってやんの。これがケッサクでさあ」

「状況も英文もひどいですけど、なんでキメ顔なんですか?」

「淑女たるもの、常に写真映りは意識しないといけないのサ!」


 ユリがそれこそキメ顔で前髪をかきあげたので、心炉のしわは一層深くなった。


「それにしても、寝落ちするまで通話しながら勉強とか。クラスでもやってる人いるみたいですけど、何の意味があるんでしょうね。気が散りませんか?」


 意味……ううん、意味を考えたことはなかった。


「なんだろう……家でも勉強会してる気分になれるとか?」


 たぶん私は、それくらいの感覚。

 あと再三の実体験の結果、私はむしろ、いくらか周りが騒々しい方が何かに集中できるっていうのもあるかも。

 するとアヤセも同意するように頷いてくれた。


「なんつーか、互いにちゃんと勉強してられるように監視とか、そういうイメージのつもりではいたけど」

「監視できてるんですか?」

「たぶんしてない」


 アヤセは笑いながら肩をすくめた。


「そんなに気になるなら心炉もしてみりゃいいじゃん。最近は、夜ならたいてい繋いでるし」

「興味があるとかそういう話じゃないんですけど……」

「まあまあ、百聞は一見になんちゃらって言うだろ」

「そこまで口にしたことわざなら、最後まで言ってくださいよ」


 確かに、何かモヤッとすると言えばモヤッとする気はする。

 そのもやもやを吐き出すためじゃないけど、私は静かに席を立った。


「ちょっとお手洗い行ってくる」

「いてらー」


 フライドポテトをむしゃむしゃ頬張るユリに見送られて、私は店の奥へと向かった。


 用を足して、少し念入りに手を洗う。

 フライドポテトって勉強中でも食べやすくって良いけど、指に脂がつくのは面倒だ。

 おしぼりで都度拭いたりはするけど、そもそも水分で油を落とすことってできないし。

 かといって、いちいちペンをお箸やフォークに持ち変えるのも微妙に億劫だ。

 せめてもの抵抗が左手で食べるってくらいのもの。

 あとはたまに、ドリンクバーやトイレのおかわりのついでに石鹸で洗えば良い。


 とかやってると、背にしていた入り口の扉が開いて、ちょうど入って来た心炉と鏡越しに目があった。


「あ、ごめん。狭いよね。トイレは開いてるから、どうぞ」


 狭い入口で身を寄せるようにして、彼女が通れるだけの道をあける。


「ああ……いえ、ありがとうございます」


 彼女も壁に沿うようにして私の後ろを通り抜けたけど、そのまま個室には入らず、こちらを振り返った。


「明日、ちゃんとこれそうですか?」

「うん? それは、どういう確認?」

「いえ……最近、なんだかお疲れのようなので」


 この間もそんなこと言われたな。

 あれから気を付けてたはずなんだけど、まだそんなに疲れた顔してるかな。


「なに、そんな変化に気づいちゃうくらい、私のこと見てるの?」

「見てますよ」

「え?」

「副会長ですから。ああ、もう、元副会長ですけど」


 なんだ、そういうこと。

 びっくりして振り返ったものだから、蛇口の水が跳ねて、Tシャツのスソを濡らしてしまった。


「もしかして、学園祭のこと関係してます?」

「学園祭のこと?」

「続先輩と、生徒会室で話してたこと」


 今度こそ、引きつったように息をのんだ。


「……もしかして聞いてた?」

「え!? あっ……いえっ……違いますよ! ええと、その、なんか込み入った様子だったので」

「ああ……そう」


 私は、安心したらいいんだかよく分かんない気分で頷き返した。

 そう言えば、あの時呼びに来てくれたのは彼女だったっけ。

 聞かれてたかどうかなんて、気に掛ける余裕もなかった。

 違うっては言うけど、どうなんだろう……あの話を聞かれるのは、あんまりよくない。

 あんまりじゃない、かなりよくない。


 だけど少なくとも、目に見えて狼狽えた様子の彼女からは、嘘かホントか正確に判断することもできなかった。


「ち……違うよ。学園祭は関係ない。続先輩も」

「そう……ですか。いえ、なら良いんですが」


 お互い気を遣いあうように、歯切れの悪い言葉が連なる。

 お見合いじゃないんだからさ。

 そうは思っていても、下手なことを言ってボロが出てしまうのもこわい。

 私だって戸惑ってるんだから。


 そうこうしている間に心炉の方が先に落ち着いたようで、小さく深呼吸をしてから真っすぐに私を見つめた。


「困ってることがあったら、何でも相談してくださいね。ユリさんとか、アヤセさんとか、近しい人だからこそ相談できないこととかなら、なおさら」


 そう言って、彼女は優しく笑う。


「もう生徒会は終わってしまいましたが、私にとっての会長が星さんであることに変わりはないので」

「そう……か。半年前まであれほど『会長の座を譲ってくれ』って言ってた人の言葉とは思えないね」

「そ、それはもう良いじゃないですか! 今はもう納得してるんですから!」


 心炉が慌てて取り繕うのを見て、私も自然と笑みがこぼれた。

 別にからかって笑ってるっていうんじゃなくて、たぶんこれが助けられてるってこと。


「明日の遊園地さ」

「え? あ、はい」

「ちゃんと楽しもうって思うんだ。たぶん、こういうのもう、最後になると思うから」


 私の言葉に、心炉ははじめきょとんとしていたけど、やがて静かに頷いてくれた。


「そうですね。思い切って遊ぶのは、流石にこれが最後です。でも――」


 心炉はちょっとタメるようにひと息入れる。


「卒業まで、まだやることはいっぱいありますよ」

「……そうだね」


 いろんなことに勝手に急かされて、勝手に焦って。

 それで事態がよくなるわけじゃないのに。

 それを心炉に心配されてちゃ、自己管理なんて言えたもんじゃない。


 楽しもう。

 気に掛けることは沢山あるけど、それはそれとして、私は単なる女子高生なんだから。

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