パンパンになったゴミ袋の口を縛りあげる。
それが、掃除修了の合図だった。
「ゴミは帰りがけに出せばよいので、これで終了ですね。皆さんお疲れ様でした」
心炉の言葉で、部屋のあちこちから小さなため息がこぼれる。
疲労、安堵、感慨、色んな感情がこもったひと息だけど。
あえて言葉にするならば、心炉が言った「お疲れ様」に集約するのだと思う。
「現職役員も、私物は一端持ち帰るんだぞー」
「はーい」
幼稚園か小学校の先生みたいに言うアヤセに、金谷さんが幼稚園か小学校の生徒みたいに手をあげて答えた。
かと思えば、すぐにもの寂しそうに視線を伏せる。
「はあ……副会長のお茶を飲めなくなるのは、生徒会最大の損失ですね」
「在学中なら差し入れに来ますよ」
「美羽はそんなことより、先輩たちが抜けた後をちゃんと引き継いでやっていけるのかどうかを気にするべきだと思う」
「分かってるって。ゆづちゃんは心配しすぎ」
ヘラヘラと楽観的な金谷さんに対して、銀条さんは戒めるように額を小突いた。
「あいた。もー、なにすんの」
「危機感を持てって言ってるの」
「きび団子?」
「き・き・か・ん」
銀条さんが再度念を押すように言う。
「圧倒的なカリスマの牧瀬政権に、それを気ままにアップグレードした狩谷政権。その次の代なんて、嫌でも期待されるって理解しなよ」
いや……生徒会なんて、別にそんな大げさなものじゃないんだけど。
というか、私の代ってそんな適当な印象になってるの?
適当にやってたのは確かだけど……。
「それじゃあ、部屋を空ける前に最後のお茶を淹れましょうか。中途半端に残った茶葉なら、使い切ってしまった方が私も身軽に帰れますし」
「なら、お水汲んできます」
「お願いします」
心炉がお茶の準備を始めると、銀条さんは電機ケトルに水を汲みに出かけた。
銀条さんは、次の選挙に出馬する予定で、その応援演説に心炉を指名した。
だからというわけでもないだろうけど、最近何かとウマが合うようだ。
そしてもう一方、対抗馬となる金谷さんはアヤセを応援に指名した。
こっちはいつもと大きく変わった様子はないけれど、もともとそれなりに仲はいい方だったと思う。
銀条さんに比べれば突っ走りがちというか、勢い任せなところがあるので、ジェネリックなユリを見てるみたい。
生徒会外の出馬が無い限り、彼女たちのどちらかが時期生徒会長になる。
私としてはどっちがなっても問題は無いと思うけど……少なくともふたりの話では、ほかに出馬しそうな生徒はいないだろうっていうことだ。
私みたいに、前生徒会長の笠を着て君臨した裏ボスみたいなヤツが現れない限りは。
「会長、実は目をかけてる隠し子的な後輩とかいませんよね?」
気づくと、心炉がじっとりとした視線で私を見ていた。
彼女こそ、突然君臨した裏ボスの餌食になった、本来の生徒会継承者であることを忘れてはならない。
「いないって。こっちは、付き合いの悪いことで定評のある狩谷さんだよ」
心当たりもない。
そもそも生徒会以外に顔見知りの後輩なんていないし。
穂波ちゃんが生徒会に入って無ければそんなこともあったかもしれないけど、彼女はこうして役員だし、そもそも一年生だ。宍戸さんも全く同じ理由で。
穂波ちゃんと宍戸さんは――私の心配を良い意味で裏切って、ちゃんと今日の生徒会に来てくれた。
もしかしたら穂波ちゃんが人知れず力を尽くしてくれたのかもしれない。
とにかく、ちゃんと学校で宍戸さんの顔を見ることができたのがなによりだ。
「じゃあ……穂波さんは、金谷先輩の選挙を手伝うの……?」
「うん。銀条先輩も、歌尾さんに手伝いを頼みたいって言ってたよ」
「そんな……わたし、できるかな……」
登校した宍戸さんの様子は、すっかり元通りのように見えた。
あれから二日ほど経って、自分の中でも多少なり整理がついたんだろうか。
そうであって欲しいと思うけど、希望的観測に過ぎないってのは重々承知のうえだ。
簡単に整理のつく後悔ならそもそもしない。
人間がストレスに対して自己防衛のために行うことと言えば、抑圧、合理化、同一視、投影、反動、逃避、対抗、代償、昇華――というのは倫理の授業に習ったことだけど、中でも彼女は逃避に失敗した。
今は抑圧か、それとも反動の一種か……。
「選挙ったって、そんな車に乗って街を巡回とかそういうんじゃないから。あんまり気負わないで、経験だと思ってやってみるのもいいんじゃない」
「そう……ですか。わかりました。やれるだけ、やってみます……」
自信はなさそうだったけど、宍戸さんは頷き返してくれた。
吹奏楽部は全国行きの切符を手に入れられなかった。
よくも悪くも、事を急ぐ必要はなくなった。
彼女のことを思えば、あまり悠長なことは言ってられないのだけど。
私だってカウンセリングのエキスパートってわけでもない。
ちょっとずつ、好転する機会を探っていくしかない。
だから今は何か別の目標を持って、それに励むのも悪くないかもって、そう思うわけだ。
やがてお湯も沸いて、生徒会最後のお茶会が開かれる。
心炉の手で備品のカップに琥珀色の液体が注がれると、スッキリとした茶葉の香りが鼻孔をくすぐった。
「それじゃあ、会長。最後に何かお願いします」
お茶を汲み終えて、心炉が私に主導権をパスする。
最後に何かって言われても……さっくりと終わらせてしまうつもりだたので、特に挨拶も何も考えてきていなかった。
「ええと……じゃあ、今日を持って生徒会を解散します。みんなお疲れ様」
「締まらねー挨拶だな」
「うっさい」
アヤセに言われるのは心外だけど、国会議員の解散会見とかもこの程度でしょ。
大げさに騒ぐのはいつだって当人じゃなくて周りの人間だ。
それは生徒会も変わらないみたいで、いつの間にか金城さんがうるうると目元に涙をためていた。
「うわーん、やっぱり会長たちやめないでくださーい!」
「そんな、卒業でもないのに大げさな」
「そんな事いってたらあっという間に卒業ですよ! 気付いたら胸に吹き流し付きのコサージュつけられてるんですよ!」
吹き流し付きって……たぶん、卒業式の紅白の帯付きの花のことかな。
「でも確かに、卒業が近づいたような気持にはなりますね」
紅茶に口をつけて、心炉がしみじみという。
つられたようにアヤセが笑った。
「私も、星が会長にならなかったら書記なんてやんなかったろーな。そういう意味じゃ、良い経験させてもらった」
「こき使われたの間違いじゃないですか?」
「それもそれで経験には変わんねーって」
アヤセには、まあ、本当に助けられたと思ってる。
書記を頼んだ時も、いきなり無茶なこと言ったと思ってるし。
そもそも私が生徒会選挙に出馬したことだって、あっちからしたら驚きだっただろう。
頼めるとしたらアヤセしかいなかった。
彼女はそれに応えてくれた。
心炉は成り行き上で副会長をしてもらっていたけど、この中では唯一、生徒会の仕事を熟知してる生徒として最初から最後まで頼りっぱなし――というか面倒かけっぱなしだった。
生徒会なんて興味なかったのに、先生から頼まれて仕方なく入っただろう金谷さんんと銀条さん。
そして宍戸さんと穂波ちゃん。
私は先代の続先輩と違ってひとりじゃ何も成せなかったから、彼女たちがいてこその狩谷生徒会だったと思う。
打算ではじめて、会長になることがゴールだったけど、ゴールしてからが大変な一年間だった。
それでもなんとかやり遂げた。
たぶん、私がこの学校で唯一何かやりきったこと。
私にとって、居場所と言えるようなところ。
狩谷星、毒島心炉、そして狼森文世――三年生三名は今日、生徒会を卒業します。