今日こそユリをデートに誘う。私は並々ならぬ覚悟で学校へとやってきた。
昨日の轍は絶対に踏まない。仮にみんなが集まっているところで、多少なり不自然だったとしてもいい。
そんなの、結果としてちゃんと誘えたのなら些細な問題だ。
とはいえ、朝はちょっと用事があったので決行は再びのお昼休み。
今日は学食の月替わりメニューを食べに行こうという話になっていた。
ウチの学食には日替わりメニューはないけれど、週替わりメニューと月替わりメニューがある。
週替わりはパスタとか丼ものとかの一品メニューで、月替わりは主菜にご飯とみそ汁と小鉢もついた定食式であることが多い。
これが結構凝っていて、栄養のバランスもよく、月一と言わず好んで食べる生徒もいる。
「じゃあ、行きましょうか」
昼休みに入って、心炉が私の席まで迎えに来てくれていた。
このままユリたちと合流して学食へ――行くはずだったのだけど、鞄から財布を取り出しているところに雲類鷲さんの声が飛んできた。
「おい狩谷! お前んとこのちっこいのが来てるぞ!」
教室の入り口から飛んできた声に、思わず振り向き、そして首をかしげる。
私んとこがどこで、そのちっこいのが何なのか分からない。
「ごめん、心炉。ちょっと行ってくる。なんなら先行ってて」
「いえ、ちょっとくらいなら待ってますよ」
その言葉に甘えて、雲類鷲さんの方へと向かった。
入口までやってくると、彼女はアゴで教室の外を指す。
つられて視線を向けて、さらに視線を下げると、穂波ちゃんがこけしみたいに直立不動でそこに立っていた。
「私んとこのちっこいのってそう言う意味……」
生徒会の後輩ってことね。
単純に身長のことを言ってるのかもしれないけど。
「どうしたの、三年の教室まで」
尋ねると、穂波ちゃんはおそらく購買のものと思われる大きな袋を手に私のことを見上げる。
「突然ですけど、今日のお昼一緒にできませんか?」
本当に突然だね。
可愛い後輩の提案を聞いてあげたいところはやまやまだけど、残念ながら今日は先約がある。
しかも今の私にとっては大事な大事な先約だ。
「お昼はユリたちと食べてるから、一緒に来る?」
折衷案としてはそうなるだろう。
でも、彼女は私の提案にふるふると首を横に振った。
「ごめんなさい。今日はできればふたりがいいです」
「いや、でもその……学食行くつもりだったから、私何も持ってないし」
「それなら……うう……私のご飯あげてもいいです」
穂波ちゃんは、手元の袋を恨めしそうに眺めてから、もう一度顔をあげた。
ものすごく断腸の思いって感じだった。
「それは悪いよ。しかも、それ全部自分で食べる用でしょ。分けたら穂波ちゃんが足りなくなっちゃうし……だったら無理に今日じゃなくても、来週のどこかで約束しても――」
「今日が良いです。今日じゃなきゃダメなんです」
その言葉に、私は声を詰まらせてしまった。
なんだか、いつもと違って余裕がなさそうに見える。
突然のお誘いって言うのもそうだし、なによりどことなく必死さを感じる。
だけど、今日こそユリに……ううん、いや、後輩が何か必要としているのならそれに勝る優先事項はたぶんない。
「じゃあ、生徒会室に行こうか」
私は、ユリたちへの伝言を心炉に頼んで、彼女と一緒に生徒会室へと向かった。
誰もいない部屋に入ると、長テーブルに向かい合って座り、とりあえずご飯を食べることにする。
穂波ちゃんが袋からドサドサと落とした購買のパンやらおにぎりやらから、どれでも好きなものをどうぞというので、私はちょうどあったサバサンドを貰うことにした。
無理を言って誘ったのだし、タダで良いと彼女は言っていたけど、お金はちゃんと払った。
「先輩が食べてるのを見て、私も買うようになりました」
「そうなんだ。私が卒業した後も、買い支えてあげて」
この三年間、「私が買わなくなったらメニューから消えるんじゃないだろうか」と幾度思ったことか。
そもそも在学中になくなるとも限らないので、購買層が増えるのは単純にありがたい。
「それで、私に何か話があるんじゃないのかな」
昼休みはそこまで長いわけじゃない。
昨日の私みたいに本題に入る前にチャイムが鳴ってしまわないように、さっそく核心を突いておくことにした。
こういう時は、全く動じないで話題を触れるんだけどな。
単純に、相手が穂波ちゃんだからっていうのもあるかもしれないけど。
穂波ちゃんは珍しく、喋るのをちょっと躊躇した様子で、代わりに焼きそばパンをもしゃもしゃと咀嚼する。
やがてそれを飲み込んでから、ようやく思い立って口を開いてくれた。
「単刀直入に言うと、助けてほしいんです」
「助ける? 何かあったの?」
「あ、いえ……私じゃなくて、歌尾さんです」
宍戸さん……?
ますます状況がよく分からない。
宍戸さんと言えば、ついこの間の生徒会は早退でお休みだったっけ。
こうして生徒会室でご飯を食べていると、かつて穂波ちゃんと宍戸さんと三人で、同じようにご飯を食べた日のことを思い出す。
あの時は確か、吹奏楽部がらみの話を一緒にしていたんだっけ。
「宍戸さん、体調はよくなったの?」
「いえ。それが、今日も休んでまして」
「今日もってことは、おとといからずっとってこと?」
「はい」
それは心配だね。
でも体調不良なら助けるとか助けないとか、そういうんじゃなくて、医者に任せればいいことだと思うけど。
「私も、ずっと風邪だと思ってました。夏風邪は拗らせると大変なので、ひどく寝込んでいるのかなって。だからそのつもりでメッセージを送っておいたんです。お見舞いと励ましをかねて」
友達だもんね。
そもそも穂波ちゃんが、教室でひとりだった宍戸さんに声をかけたいっていうところから始まったんだ。
それから宍戸さんが生徒会に入りたがっていることを知って、連れて来てくれて、一緒に穂波ちゃんも生徒会に入って。
宍戸さんは、いつも自信なさげで、正直大丈夫かなって思う部分もいっぱいあったけど、仕事は丁寧だし、物分かりも良いし、今では欠かせない役員のひとりだ。
そもそも役員が多くないので、誰が欠けたって困ったことになるんだけど。
「そうしたら、さっき授業中に返事が来ていて……それが、これなんです」
穂波ちゃんは、自分のスマホを操作すると、やがて画面をこちらに向けて見せてくれた。
そこには宍戸さんとの会話と思われるトーク画面が表示されていた。
――たすけて
短く、飾り気のない、ひらがな四つの響き。
だけどこれ以上ないくらい強烈に、頭の中に残る文字列だった。
「これから先、何を送っても返事がなくて」
「それは心配だね」
「だから私、明日、お見舞いに行こうと思うんです。住所は、この間ウチに泊まりに来てくれた時に、みんなに台帳に書いてもらったのがあったので、それで」
なるほど。
高校生だけでの宿泊だったし、何かった時のためにと全員分の連絡先を提出しておいたのが役に立ったみたいだ。
「よく分からないけど、助けを求めてくれたのなら、私、助けたいです。だから、できたら星先輩も一緒に来てくれませんか?」
「私が?」
確かに心配ではあるけれど……それは私がついていっていいものなんだろうか。
そもそもついていったところで、何かできるとも思えない。
むしろ先輩がいるってことで、普段のふたりの時間とは違う――「たすけて」を口にできるのとは違う、緊張した場を作ってしまうのではなかろうか。
「歌尾さんのためというより……私がついてきて欲しいんです。歌尾さんのことは心配だし、できることがあるなら力になりたいけど、ちゃんと正しい方を向いて向き合えるのかなって」
穂波ちゃんなら大丈夫。
今までのことを鑑みれば、私は自信を持ってそう言える。
でも、たぶん今彼女が欲しいのはそんな励ましの言葉じゃなくて。
もっと具体的な、何かあったらすぐに頼れるっていう安心感なのかもしれない。
「わかった。一緒に行くよ」
「ありがとうございます」
そこでようやく穂波ちゃんは、ぱっと控えめの笑顔を見せてくれた。
残りの時間は、宍戸さんの家までのルート確認と電車の時間、それに合わせた集合時間の確認で終わった。
いったい何があったというんだろう。
学園祭の直後って言うのがちょっと気にかかるけど、少なくともブックカフェをしていた時の彼女は、とても楽しそうに見えた。
ユリへの気持ちも、自分なりにまっすぐに向き合っていたように感じたし――そこまで考えてハッとする。
私がユリを振り向かせるってことはつまり、宍戸さんは――まさか、そういう私の事情をどこかで知ってしまったのでは――いやいや、あの時に喫茶店で続先輩と話しただけだし、誰にも知られようがなくて――いや、でも学校でならどうだ。
あの後夜祭の時、生徒会室での会話をたまたま聞かれていたりしたら――不安が不安を呼んで、自分でも何が何だか分からなくなってしまう。
ひとつだけ言えるのは、もしも万が一、彼女の不調が私と続先輩のせいなのだとしたら――その時私は、宍戸さんと真正面から向き合い、ぶつからなければならないのかもしれない。