学園祭の振替休日があけた。
二日間の間に、どこもかしこもしっかりと後片付けと原状復帰を終えて、校舎内にはもうお祭りの余韻は一切残っていなかった。変わったところと言えば、朝のクラスの様子くらい。
いつもと同じ時間に登校すると、普段は部活の朝練か何かをしていて見ない顔ぶれが、机の上にテキストとノートを広げて勉強にうちこんでいた。
高校生活最大の熱量で行う三年次の学園祭が終わって、みんな受験に舵を切り始めた様子だった。
授業の方も、主要科目は一学期の時点で教科書の範囲がほぼ終わっている。
二学期は取りこぼしたところをつまむように取り上げながら、ひたすらトライ&エラーの受験対策へと切り替わっていた。
そうして放課後。
私は生徒会の活動日誌と会計報告を提出しに職員室を訪れていた。
顧問が不在なら書類預かりのポストに投函して終わりなのだけど、今日は姿を見かけたので直接手渡すことにした。
「狩谷さんからこれを受け取るのも今日が最後ですね」
「そうですね。来月からは、次の会長に引き継がれます」
「一年間お疲れ様でした。正直なところ、狩谷さんが当選されたときはどうなることかと思いましたが……普段からいたって真面目な生徒さんでしたし、心配する必要はありませんでしたね」
そんな、労ってるんだかけなしてるんだかよく分からないコメントを口にしながら、ほとんど名前だけの顧問である彼女は、ファイルの中身をざっと確認する。
「はい、確かに受け取りました。ところで、次の会長さんはもう目星がついているんですか?」
「二年生役員ふたりのうちどちらかがやってくれたら、引継ぎが楽で良いなとは思いますが」
「もし目星がついているなら声をかけておくんですよ。最近の子は引っ込み思案ですからね。特に生徒会長なんて、誰かのお墨付きがないとなかなか立候補が出ないものですから」
考えたこともなかった。
私が経験したこれまでの二年間はと言えば、続先輩の代(対抗馬は姉)と私の代(対抗馬は心炉)だったので、当たり前のように本命の出馬はあるもんだと思っていた。
私の代で言えば、本来の本命は心炉の方だったし……私も勝ちには行っていたから、正々堂々の票争いではあったけど。
そういうことなら、解散する前にひと声かけておいた方が良いのかもしれない。
「副会長――いえ、心炉先輩。会長選挙で、私の応援演説をお願いできませんか?」
ひと仕事をおえた放課後の生徒会室で、銀条さんの凛とした落ち着きのある声が響いた。
すると、金谷さんがハッとしたように顔をあげる。
「あー、ゆづちゃんずるい! 抜け駆け!」
一方の話を振られた心炉は、驚いたのかちょっとの間固まって目をぱちくりさせていた。
「ずいぶん準備が早いんですね。告示は来週ですよ?」
「去年の選挙で現職が応援に立つのは問題ないことが分かってます。だから、他の人に声をかけられる前にお願いしておこうかと」
「そういうことなら、私でよければ力になりますよ」
「ありがとうございます」
お礼を言って、銀条さんはほっとしたように笑みを浮かべる。
「それならアヤセ先輩! 私の応援演説お願いします!」
「は? 私?」
「はい、そのとおりです!」
ぎょっとするアヤセに、金谷さんは力いっぱい頷き返す。
「アヤセ先輩の人当たりの良さと後輩人気を、ぜひ私の票につなげていただきたく……!」
「まてまて、落ち着け。焦っても良いことないぞ。てか、それを言うなら現会長サマっていう最強の助っ人がそこに居るだろ」
「これでもちゃんと考えて、前々から決めてたことなんです。私が会長をやるなら、みんなに愛されて親しまれる生徒会にしたいって――だから、後ろ盾はアヤセ先輩なんです」
金谷さんは、拳を握りしめて力説する。
そこまでハッキリ言われれると、流石のアヤセも照れくさそうにして口を閉じた。
「それを言うなら、ゆづちゃんの方が会長に頼むと思ってたから、被らないようにって考えてたのに……まさか副会長の方にいくとは」
「私だって、ちゃんと考えた結果だよ。私の目指す生徒会なら、後ろ盾は狩谷先輩じゃなくて心炉先輩だって」
「後輩ふたりがそんなことをおっしゃってますが、現会長としてはいかがなものですか?」
「アヤセがどんなコメントを期待してるのか知らないけど……私としては、ついさっきまでの心配が杞憂だったなって安心したところ」
声をかける必要もなかった。
しかもこの様子なら、今年も正々堂々の決選投票になりそうな空気を醸し出している。
なにはともあれ、問題はひとつ片付いた。
「あの……会長選挙って、現職の役員は何か仕事ってあるんですか?」
誰に聞くでもなく、そう尋ねたのは穂波ちゃんだ。
彼女にとっては入学して初めての選挙か。
と言っても、私が生徒会に入ったのは会長になってからだし、その辺はあんまり詳しくない。
この中で知っている人と言えば――私は助けを求めるように、心炉を見た。
私の指令を受けた彼女は、小さく咳ばらいをしてから答える。
「現職役員に関しては、特に決められた仕事はありません。立候補者のお手伝いをすることもありますが、それも強制ではありません。ただ、もしも来年の立候補を考えているなら、手伝いに参加しておいて損はないと思いますよ」
「なるほどです」
穂波ちゃんは理解した様子で頷いて、それから二年生ふたりを比べ見る。
「来年立候補するかは全然考えてませんけど……いろいろ勉強になりそうなので、私にできることがあったら何でも言ってくださいね」
すると、金谷さんが飛びつくように穂波ちゃんの手を取った。
「助かる~! じゃあ穂波ちゃんはチーム金谷で世界目指そうね!」
世界って、そう言う規模の話ではないと思うけど。
まあ、それでも勢いは伝わったのか、穂波ちゃんはコクコクと赤べこみたいに頷き続けていた。
「八乙女さんは美羽に取られちゃったか……私もできるなら、宍戸さんに手伝って貰いたいけど」
「そういう歌尾ちゃんは、今日はお休み?」
銀条さんの言葉で話題に上がって、金谷さんがいつもの宍戸さんの定位置――穂波ちゃんの隣の席――を見つめる。そこは今日は空席だった。
代わりに穂波ちゃんが答える。
「今日は体調悪いみたいで早退してます。お手伝いの件、伝えておきますか?」
「ありがとう。でも私の選挙だから、登校してきた時に私の口からお願いしに行くよ」
「そうですか。分かりました」
穂波ちゃんと銀条さん。
それぞれ剣道部と弓道部の武道家ふたりだから、やり取りがなんだかスマートで無駄がない。
そんな事言ったら、金谷さんも銀条さんと同じで弓道部ではあるんだけど。
個人的には穂波ちゃんと銀条さんがペアになって、引っ込み思案な宍戸さんの方はバイタリティあふれる金谷さんの下についたほうが良さそうな気もする。
でも、後援会の人選から選挙は始まっているのかもしれないなと思って、余計な口出しはしないことにした。
「初めての学園祭で疲れてしまったのかもしれないですね。星さんも今日は元気なさそうですけど、大丈夫ですか?」
「私……?」
突然、心炉の口から私の名前が出て驚いた。
私は咄嗟に、背後の窓ガラスを見た。鏡にぼんやり反射する自分の顔は――あんまりよく見えなかった。
「そんなことないよ。大丈夫」
流石に手鏡を出して確認することでもないので、感覚でそう答えておく。
心炉は「なら、良いんですが」と短く答えて、掘り下げることはしなかった。
そんなに疲れた顔してるのかな。
だとしたら間違いなく、昨日のアレのせいだろうけど。
威勢よく啖呵をきったものの、具体的に何をしたらいいのか考えていたら昨日は寝つきが悪かった。
結局、まだ何も思いついていないけど、地道に前に進んでいくしかない。
日常生活の他の問題を片付けていくことも、一歩一歩のひとつ。
選挙と違って、恋に一発逆転はきっとないから。
私なりのアプローチを考えていかなくっちゃな。