続先輩とは、学校の傍にある古い喫茶店で待ち合わせとなっていた。
有名店ってわけではないけれど、飲み物が安くて長居していても怒られないからと、ウチの生徒御用達のお店だ。
平日の真昼間ということもあって、私たちのほかにお客はいない。
これ幸いと、カウンターから離れたボックス席を確保すると、場所代代わりのコーヒーをそれぞれ注文する。
「私、ケーキも頼もうかな。星ちゃんも頼む?」
「お腹空いてないので大丈夫です」
「そっか。私ね、帰って来たらここのモンブラン食べようってずっと思ってたんだ」
先輩は、念願叶って嬉しそうに笑っていた。
「最後に星ちゃんとここに来たのっていつだったかな?」
「さあ……流石に覚えてないですね」
「私が三年になってからは忙しくって全然だったから、二年の暮れ……も生徒会で急がしかったね。じゃあ二年の夏くらい? うわ、もうそんなに経っちゃうんだね」
めまぐるしい思い出語りを、私はぼんやりと話半分に聞き流す。
彼女も姉も、このお店の常連だったけ。テスト前なんかよくカンヅメになって勉強していたと思う。
一方で私は、ほとんどここを利用したことがない。
ばったり鉢合わせたりとかしたくなかったし。
だから思い出語りをするほどの思い入れも特になかった。
最後に来たのがいつなのかとか、素で覚えてないし。
「そうそう、学園祭お疲れさま。どうだった? 生徒会長として参加する学園祭は」
「まあ、大変でしたね。いろいろと気を回さないといけないことが多くて」
「基本的には雑用だもんね。表立って動くのは」実行委員の方だけど、一歩引いて関わるから見えてくることもあって」
「それで結局自分で動くことになって、余計に仕事が増えるとか」
「あはは、あるあるだね。こういうのって気づいた人が動くしかないから。いろいろ口出ししちゃったし、当時の実行委員長さんには悪いことしちゃったかな」
私はそこまでしてないけど……もしかして、続先輩が来るって知って実行委員たちが慌ててたのってそのせいなんじゃ。
どれだけ厳しいチェックが入ったんだろうか。
後学にもならないので、知りたくはないけれど。
「でも、こうして星ちゃんと生徒会の話ができるようになるなんて思わなかったな」
「生徒会長になってなかったら、まずしないでしょうね」
「ほんとだよ。生徒会に誘っても入ってくれなかったのに、選挙にはちゃんと勝っちゃうんだもの」
「それは、ほとんど応援演説に立ってくれた先輩のおかげだと思いますけど」
「そんなことないよ。きっと、星ちゃんが会長になったほうが学校が面白いことになるって、みんなそう思ったんだよ。心炉ちゃんがなるよりも、ちょっぴりね」
「だとしたら、考え無しにもほどがあります」
そう言って、私は銘柄も分からない安コーヒーに口をつけた。
今日はそんな話をしに来たんじゃないんだ。
文字通りのコーヒーブレイクで、話のとっかかりを探す。
そんな私の空気を敏感に感じ取ったのか、話を切り出したのは先輩の方からだった。
「ユリちゃんのこと、ありがとうね」
きっかけを探していたところに先回りされて、私は口を噤んでしまう。
「卒業式のことだよ。星ちゃんがフォローしてくれたんだよね」
「……当然です。私が頼んだことなんだから」
「そうだね。星ちゃんが賭けに勝って、私は気持ちを伝えたよ。だから、それで全部元通りじゃダメなのかな?」
「元通りなわけない。そんなの、虫が良すぎる」
「でも、私にとってユリちゃんはずっといいお友達のつもりだったし、これからもそうありたいって思ってるよ。ユリちゃんもそう思ってくれてるなら、元通り、お友達じゃダメなのかな?」
ダメ……なわけがない。
それは理想的な「叶わなかった告白のその後」だろうし、ケチをつけられることじゃない。
だけどそれは、お互いに「そうありたい」と思っている時に限ること。
だって、きっとユリはまだ――
「ユリはまだ、先輩のこと好きです。だから、元通りになんてならない」
「そうだね」
その時はじめて、先輩は半ば非を認めるように小さく苦笑した。
きっと、ユリはまだ先輩のことを想っている。
既に終わったはずの恋を、行き場のない憧れを抱き続けている。
それなのに何も変わらず元通りなんてユリに失礼じゃないか。
可哀そうじゃないか。
なにより、ユリ自身がそれを受け入れていること。
その距離感で満足していること。
単純だから切り替えられてないだけなのかもしれないけれど、昨日のあの反応で痛いほど理解してしまった。
それがどれだけ不毛なことか。
たぶん本人は分かってないし。
分かってないから悩みもしないし。
悩みもしないから、無意識に心にため込んでいる。
悩むってことは、心に絆創膏を貼るようなものだと私は思う。
それができないなら、ちゃんと治るまで放っておいてくれないかと。
「でも、私が距離を置いたからって解決する問題じゃないよね」
「それは……そうですが」
「それに、星ちゃんに言われてそうすることでもないと思うよ。ユリちゃんに返事をするってこと自体が、私としては意に反していたんだから……むしろ私なりに、それを取り返そうとしてるんだよ」
「それでも、それを含めてユリにとって良い方法を考えてほしいというか……」
苦しいのは分かってるけど、ここは譲っちゃいけないところだと思った。
先輩の言ってることは正しい。いつだって正しい。
でも、間違いが時には正しいってこともある。
とりわけ、こういう心の問題の時は。
先輩はどんな困難にも、正々堂々と立ち向かって乗り越えるひとだ。
その一方で、立ち向かって心が折れるくらいなら、逃げたって良いと思う。
逃げて、立ち向かわずに前に進める道を探したらいい。
それもひとつの前進だ。
先輩は、念願のモンブランをつついて、幸せそうにひと息ついた。
それから彼女なりの立ち向かい方――まっすぐに、私の目を見据える。
「じゃあ、星ちゃんはどうしたいのかな?」
強すぎる視線に、私は自然と手元のカップに視線が落ちる。
艶やかなコーヒーの中に、頼りない自分の顔が映っていた。
「私は……ユリのためにも、今は距離を置いてほしくて」
「それはユリちゃんの話でしょう? そうじゃなくて、星ちゃんの話だよ」
「はい……?」
言われている意味が分からなかった。
ユリのためを思うのが、私自身の望みに他ならない。
でも先輩にとっては全く別の話のようで、もう一度念を押すように語る。
「ユリちゃんは、まだ私のことが好きで、それでも離れようとは思ってないんだよね。そしてそれは私も同じ。ユリちゃんとはいいお友達でいたいと思っているし、無理に距離を取る必要はないと思ってる」
「それが、どうしたって言うんですか」
「もうひとつだけ、ハッキリさせておくね。ユリちゃんが私を好きなままでも、私の返事が変わることはないよ」
先輩は柔らかな口調のまま、決して折れることの意思を示した。
あまりにハッキリ言うものだから、自分がフられたわけでもないのに胸がちくりとうずく。
きっとこれは、自分の好きな人を否定されたような気がする、そんな心のうずき。
ユリの何がダメだって言うの。
あんなにいい子なのに。
そんなこと私が言ったって仕方がないのだけど……
「星ちゃんは、それじゃユリちゃんのためにならないって思ってるんだよね。だけど、これは私とユリちゃんの話だから、星ちゃんの意思は関係ない」
「そう……ですね」
折れちゃいけないのに、返す言葉がない。
私が口を挟むのは、独りよがりのおせっかい。
そんなの、誰よりも自分がよく分かってる。
ユリに頼まれたわけじゃない。
それどころか、ユリの気持ちだって確かめたわけじゃない。
本来、私には口を挟む権利がない。
「このままじゃダメだって言うのなら、星ちゃんには何ができるのかな」
「私……ですか?」
「また何か賭ける? それで、ユリちゃんから離れさせるとか」
また、言葉に詰まってしまった。
冗談めかしてそうだけど、たぶん彼女は本気で言っているから。
私は慎重に、首を横に振る。
「そんなこと、しないです」
「そっか。それもちょっぴり期待してたんだけどな」
それは、本気かどうかちょっと分からなかった。
そうこうしてる間に、先輩はモンブランをすっかり食べ終えて、食後のコーヒーを口にする。
「何もできることがないなら、お話はここまでだよ」
そう言って、先輩は身支度を整え始めた。
裏返っていた伝票を確認して、二人分のお金をその上に置く。
「今日は付き合ってくれてありがとう。学校のことも話せたし、懐かしくて楽しい時間だったよ。次は明も誘ってみんなで来ようね」
「あ、いえ、あの、お金」
「いいのいいの。誘ったのは私だし。それに今、バイトしてるからお金には余裕があるんだ。在学中はあんまりできなかった先輩風を吹かせてほしいな」
「ああ、そうじゃなくて、お金……もだけど、そうじゃなくて!」
話を終わらせちゃいけいないって、そう思っていた。
「ここまで」は「もう終わりってこと」。
これ以上、この話はしないよってこと。
私には権利がないから。
ふたりの間には挟まることがない、外様の人間だから。
ふたりのやり方で、いい結果に進むのなら問題ない。
でも私は心配なんだ。ユリがそれに耐えられるのかって。
アホだけど繊細で、感受性も強くて、それでいてたまに鋭いんだから。
それが変な方向に向かないかって、それが心配なんだ。
だけどやっぱり、私には権利がなくて――もう、権利、権利、権利、権利!
失恋をしたユリを慰めたのは、親友である私の特権だ。
でも親友には、彼女の好きを応援する権利はあっても、諦めさせる権利はない。
その〝親友〟だって、他に適当な肩書がなかったから、名乗っていただけのこと。
本当はあるのに。
見ないようにしてとじこめた。
得られた居場所が心地よくて、手放したくなくって。
だけど、無意識に傷つきに行こうとしてるのに、諦めさせることができずに、応援することしかできない〝親友〟ってなに?
そんな肩書なら、私はいらない。
もっと分かりやすく、ストーレートで、全てが丸く収まるたったひとつの答えに今ようやく目を向ける。
「続先輩!」
立ち上がった彼女の手を掴んだ。
縋るようだった。
今ここで決着をつけなきゃ、誰も前に進めないと思った。
「どうしたの?」
「私、やります」
「なにをするのかな?」
私は大きく、大きく、自分でもどんだけ溜めるんだって言うくらいに深呼吸をしてから、最後のひと息で吐き出した。
「私が、ユリを振り向かせる。続先輩なんてどうでもでいいや、って思えるくらいにベタボレにさせてみせる」
続先輩は、なんでか嬉しそうにほほ笑んだ。
〝生徒会長〟っていう同じステージには立てたんだ。
だから今度は、ユリと続先輩が立つふたりだけの世界に私の方から飛び込んでいく。
私はユリのことが好き。
好き。
好き。
好き。
大好き。
だから彼女の心の一番を取られたうえで、友達の一番も取られるなんてのが我慢できないんだ。
思ってしまえたそれだけのこと。
見ないようにしていたのは、肩書だけじゃなくてこの嫉妬と独占欲も同じ。
だから私のものにする。
ユリのカノジョ……というのは何か違う気がするけど、私がユリの一番になる。
友達の一番じゃなくて、心の支えの一番に。
だからほんとはベタボレなんて曖昧な言葉は使わない方が良いんだと思う。
もっと前のめりで、主体的な言葉で――卒業までに、必ず私がユリをオトす。
「確かに、全部丸く収まるならそれだね。じゃあ、期待していいのかな」
「そこまでは……でも落胆はさせません」
「もしダメだったら?」
「ダメにはならないです。ユリのことを一番に思ってるのは私だから」
足りなかった自信と覚悟が、その言葉に詰まっていたような気がした。
今度こそ夏が終わる。
私の秋がやってくる。