私が続先輩と出会ったのは、入学式の直後のこと。
一年早くこの学校に入学していた姉の友人として、本当に挨拶程度のものだった。
「二年の牧瀬続です。よろしくね」
「狩谷……ええと、星です。よろしくお願いします」
姉妹として紹介されたのに、改めて苗字を名乗るのもどうなんだろう……なんて考えていたら、ちょっと不格好な挨拶になってしまった。
だけど、部活が一緒とかでもなければ、他学年の生徒となんて基本的に関わる機会はそうそうないし。
下手したら彼女ともこれっきり――そんなくらいに考えていたものだから、それほど気にはしていなかった。
「ね? 言った通り、私に似て可愛いでしょ?」
「似てるかどうかで言われたら……鼻と口元は確かに似てるかな?」
「ぐああ、目はダメかあ。星は私と違って目いいもんね」
そんな言葉を交わしながら、姉とふたりでじろじろと顔を見つめられてしまった。
なんだか品定めされてるみたいで居心地が悪い。
そもそも、こう改めてひとに対して家族として紹介されるのって、なんだか苦手だ。
こう、むず痒いような、もやもやした気分になる。
たぶん、〝私〟じゃなくて〝〇〇の姉妹〟とか〝〇〇の娘〟とか、そういうカテゴライズされるのがイヤだったんだと思う。
中学を出たての思春期の胸の内には、アイデンティティほど大切なものはない。
「あ、そんな事より、入学おめでとうを先に言わないとね。昨日、眠れなかったりしなかった?」
「いや……別に、それほどでも」
「すごいね。私は去年、楽しみで楽しみで全然眠れなかったよ」
「そうなんですか」
「じゃあ、高校生活は楽しみ?」
その時の私はと言えば、早いところこの針の筵みたいな状況から開放されたい一心だった。
だからだから、なんにも深く考えずに、ありのままの気持ちで答えてしまったのだと思う。
「さあ……どうですかね」
楽しみとは思っていない。かといって、楽しみじゃないとも言えない。
消去法で選んだから、特に入りたくて入りたくて入ったわけでもないし。
入試もふたを開けてみれば余裕の合格だった。
だからまあ、なんとなく「高校生になったんだな」っていう事実というか、単純な自分の成長への感慨深さみたいなものだけがあって。
これからの三年間に夢や希望を抱いているなんてことは、これっぽっちもなかった。
むしろ、高校入学ってどんな気持ちで臨めばいいんだろうって、誰かに教えてもらいたいくらい。
「あ、そう……なんだ」
予想外の反応だったのか、彼女もいくらか困ったように言葉を濁らせる。
だけどすぐに柔らかな笑みを浮かべて、まるで元気づけるように頷いてみせた。
「大丈夫。きっと楽しい三年間になるよ」
正直なところ、あの頃のスレた私の心では「ああ、そう」くらいの感想しか抱くことができなかった。
少なくともその時点では、私にとって大きな存在になってしまうなんて、思ってもみなかった。
入学してしばらく。
私がアヤセやユリと今みたいに仲良くなる前までは、お昼ご飯は姉と一緒にとることが多かった。
無理矢理とらされていた、と行った方が正しいかもしれない。
その時、続先輩は必ずと言っていいほど同じくっついてきて、ランチタイムを共にしていた。
ちょっとの時間でも一緒に過ごしてみたらすぐに分かることだけど、彼女はいわゆる人気者だった。
知り合いが多く、校舎を歩いていれば大抵の生徒と挨拶を交わして、学年問わず慕われる。
人当たりがよく、自慢話もしなければ、陰口も言わない。
常に相手を思いやり、嫌な仕事は率先して引き受ける。
絵に描いたように、人間のよくできたひとだ。
そして何より、彼女はどんなことに対しても全力で取り組むひとだった。
テストがあるならいい点とりたいよね。
部活をやるなら全国大会行きたいよね。
クラスマッチがあるならクラスで優勝したいよね。
何かをするのに全力じゃないなんてあり得ない。
そうするのが当たり前。
それだけならアホのユリとなんら変わらないようにも思えるけど、続先輩はそれでいて賢いひとだった。
テストで良い点を取るため、部活で全国大会に行くため、クラスマッチで優勝するため。
どれだけの実力が求められていて、自分が今どのくらいの位置にいて、具体的にどれくらい頑張らないといけないのか。
それを分かって、そのための努力を全く苦に思わない。
そんなの、全方面にやってたら身体がいくつあっても足りないじゃないかって思うかもしれないけど、彼女はそれができてしまった。
きっと今までずっと、そうやって生きてきたんだろう。
だから私は心の中で、彼女を〝バイタリティお化け〟と、ありったけの畏怖の念をこめてそう呼んでいた。
そしてなにより、彼女この学校が大好きだった。
だから、とりわけ何を一番頑張っているのかと言ったら、この高校生活こそを全力で楽しんでいた――ってことだったのかもしれない。
だから、彼女が生徒会長に立候補して当選したのは、ある意味必然だったと思う。
――私が生徒会長になってやりたいことはただひとつ。生徒全員が『楽しい高校生活だった』と笑って卒業できる、そんな学校を創りあげることです。
なるべくしてなった。
あの代で彼女以上に会長に相応しい人間は存在しなかった。
そもそも彼女が出ると分かった瞬間に、他には誰も立候補者がいなかったものだから、ウチの姉が親友のよしみで友情出馬して、副会長なんて不相応な権力を手に入れたりもしたのだけど。
そんな続先輩を、ユリは好きになった。
まあ、見る目があると思うよ。
普段はおっとりしてて、聖母みたいな優しくて華やかな笑顔を浮かべる人だけど、その生き方はカッコいい。
知れば誰もが思うだろう。
彼女のようでありたいと。
故に、ユリの思い切った告白の返事を濁して、結果的に保留にしたって聞いた時、私は心から怒り、落胆した。
何にでも全力で取り組む人が、何を半端なことをやってるんだって。
返事がイエスでも、ノーでも、私はどっちでも受け入れる準備ができていた。
だって、ユリが彼女を好きになるのは仕方がないことだと思っていたし。
大事にしてくれるのだとしたら、彼女にならユリを任せられるって本気で思っていた。
一方でダメならダメで、失恋したユリをフォローするのが自分の役目で特権だと思っていた。
それをどっちでもない、保留だって?
そんなナメたことをしくさってくれたから、私は賭けに出たんだ。
――私が選挙で勝ったら、在学中に必ず、ユリに返事をしてあげて。
そもそも、あの続先輩が渋ったのだから、私が言ったところで返事を言わせるなんてことできるはずがないと思っていた。
それくらいに彼女は大きかったから。だから、私の望みを聞いてもらうには、私も彼女と同じ土俵に立つしかないと思った。
それが生徒会長。
あの時に唯一、私が同じ目線に立てると思った場所。
そうやって、私は今を勝ち得たんだ――
学園祭の翌日は、振替休日で学校も休みだった。
だけど大半の生徒は登校して、四日間で散々散らかした校内の清掃にかかりきりになるのがいつのも光景だ。
私も自分のクラスの片づけを手伝った後に、生徒会として実行委員の片づけも率先して手伝っていた。
ぶっちゃけ、頭も身体も疲れ切っていた。
それでも鞭打って何かしら働いていた方が、余計なことを考えなくて済むような気がして、気が楽だった。
段ボールに詰めた備品を台車で倉庫へ運んでいる途中、ポケットに入れていたスマホが鈍い音を立てて震えた。
ひと休みのつもりで開いてみると、続先輩からメッセージがきていた。
――昨日はありがとう。楽しい学園祭だったね。
――明日なんだけど、良かったらお茶でもどうかな?
――いろいろ、積もる話もあるだろうから。
こっちのことを見透かしたような内容に、スマホを持つ手にほんのり力がこもる。
今、会っても大丈夫だろうか。
いや、大丈夫じゃなかったとしても、今、彼女に会っておきたい。
昨日の今日でかき乱されたこの気持ちのままじゃ、きっと私の夏は終われないから。