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特別編 アフター・フェスティバル・アフター

 スポットライトと歓声が、空っぽになった頭の中でぐるぐると鳴り響いていた。

 慣れない演奏と歌唱のストレスで息はもう絶え絶え。

 激しく上下する肩の動きに合わせて、額から滴る汗が頬をつたい、ぽたりと足元に落ちた。


『ありがとうございましたー! ガルバデでしたー!』


 語呂の悪いバンド名を叫びながら、ユリが吹きっ晒しの客席に手を振る。

 漫画とかじゃ、ステージから見る観客の顔は真っ黒に影が差していることが多い。

 あれ、ずっと作画の簡略化的なものだと思っていたけど、スポットライトの逆光に当てられると本当に見えなくなるもんだ。

 わかるのはぼんやりとした輪郭と、なんとなく盛り上がってるなって空気だけ。

 プロの音楽家もみんな、こんな手探りのステージで演奏しているのかな。

 自分の知らない世界の景色ってのは、いくらでもあるものだ。


「――おつかれ!」


 ステージ裏に戻って。同じように汗だくで息を切らせたアヤセが、ただひとこと、笑顔でそう言った。


「おつかれ」


 あわせるように、私もほんのり笑顔を浮かべて口にする。

 他のふたりも同様だった。仲間たちに向けながら、自分自身にも向けた労いの言葉。

 その短い四つの音に、今日一日、そしてこれまでのことも、全部が詰め込まれているような気がした。


「やほやほ~。生徒会諸君、あとプラス一名。ずいぶんと盛況でしたなぁ~」


 背後から突然、雰囲気ぶち壊しのおどけた声が響いた。

 嫌な予感がしながら振り返ると、サマーワンピに身を包んだ姉が「いよっ」と敬礼じみた挨拶を飛ばしていた。


「げ……なにしてんの、こんなとこで」

「そりゃ妹と後輩の雄姿を見納めに来たに決まっているじゃあないか!」


 姉はいつもの芝居じみたセリフ回しと声のトーンで大げさに語る。

 そうだから「げ」なんて言われるんだよ。

 騒々しいったらありゃしない。

 うんざりしてる私の隣で、心炉が姿勢を正して一礼する。


「お久しぶりです、副会長――あ、いえ、じゃなくて明さん」


 素で言い間違えたようで、心炉は顔を赤らめながら慌てて訂正する。


「こらこら、だめだぞー。今は自分が副会長なんだから」

「すみません、つい……」


 そう言って、取り繕うように咳払いする。

 流石の彼女も、ウチの傍若無人相手にはたじたじのようだ。

 生徒会の直接の先輩ってのもあるんだろうけど。


「明さん、こっち帰ってきてたんすね。星のやつ全然教えてくれないから、あっちで忙しくしてるのかと思ってたっすわ」

「ええー、ほんとかねアヤセくん。ごめんねー、ウチの妹が薄情なばっかりに。こんどみんなで遊びにいこっか」

「いくいくう! あたしねー、遊園地いきたい! 遊園地!」


 ユリ、遊園地ってあんたね。

 受験生って言葉をもう一度胸に刻み込もうか。

 何のために、このクソスケジュールの学園祭が成立してると思ってるんだ。

 今日で青春っぽいこと全部終わらせて、卒業までの残りの期間を受験に集中するためだよ。


「というか、明さんおひとりですか? 私、てっきり……」


 心炉が、周りを気にするように視線をめぐらせる。


「ああ、ついさっきまで一緒にステージ見てたんだけどさ。あっちはあっちの後輩ちゃんに捕まっちゃったみたいで――」


 姉が苦笑する。

 何を笑ってるんだろう。

 というか、何の話をしてるんだろう。

 ちょっと考えれば分かることなのに、その時の私は意図的に考えることを止めていたのかもしれない。

 なんだかんだで学園祭が楽しくて。

 この心地よさに浸っていたいような気になって。


 だけど〝それ〟は前触れもなく訪れた。


「――続先輩!」


 ユリの溌剌とした声をあげながら、私の横を駆け抜けていった。

 その瞬間、私の中で後夜祭の熱がさあっと、色あせたように冷めて行ったのを感じた。

 人込みの中から現れたその人は、姉と色違いのサマーワンピを身に着けて、ほんわかした笑顔を浮かべたまま、飛び込んで行ったユリを迎え入れた。


「わあ、ユリちゃん久しぶり。みんなも久しぶりだね。元気だった?」


 〝それ〟――続先輩は、たおやかに笑いながら私たち後輩との再会を喜んでいた。

 演技じゃない、聖母みたいな素の笑顔。

 アヤセと心炉も、かつてのスターの登場に、驚きと喜びを膨らませながら名前を呼ぶ。


「続先輩!」


 ひとつ名前を聞くたびに、心がどんどん落ち着いていく。

 そんな私の気も知らないで、彼女は可愛い後輩たちにひとりづつ挨拶を交して、最後に私のことを見た。


「星ちゃんも元気そうだね。返事くれないから心配してたよ」


 せっかくの学園祭だし、今日は我慢しようって思ってた。

 だけど、悪気のない笑顔を見せられた瞬間、身体の方はもう動き出していた。


「……ちょっと」


 私はユリを引きはがすと、先輩の腕を掴んで無理矢理その場から連れ出す。

 周りが戸惑った様子なのもお構いなしだった。


 後夜祭に出払ってひと気の少なくなった校舎へと入り、昇降口傍の生徒会室へ。

 ここなら誰も邪魔は入らない。


「うわあ、懐かしいなあ。ほんの半年前のことなのにね」


 部屋の中を見渡しながら、彼女は思い出に浸るように口にする。

 でも私はそんな話をするために連れて来たんじゃなくって。

 真っすぐに彼女を見つめて――というよりも睨みつけるようにして、冷めた感情をそのまま吐き出した。


「何しに来たんですか?」


 その問いに、彼女は一瞬きょとんとして、それから困ったような笑みを浮かべる。


「星ちゃんが誘ってくれたから、明と一緒に学園祭を見に来たんだよ。今年、すごく頑張ってたみたいだね」

「そういうことを言ってるんじゃなくて」


 ピシャリと真っ向から話を遮る。この悪気のない語り口がずっと苦手だった。

 三年もの間、ウチのアレの友人でいられるのだから、普通じゃない人なのは当たり前なんだろうけど。

 それでもやっぱり、他意を微塵も感じさせない真っすぐな笑顔が、何より苦手だった。


「よく顔を出せたなって言ってるんです。ユリ……泣いてたんですよ」


 言うべきか迷ったけど、言わずにはいられなかった。

 久しぶりに会った瞬間の、ユリのあんな嬉しそうな顔を見てしまったら、言わずには。


「それは、仕方がないんじゃないかな。私は星ちゃんとの約束通りにしたんだよ。ちゃんと、素直な気持ちをユリちゃんに伝えた。もう終わったことだよ」

「だったら顔出さないでしょ、普通。フッた相手の前に、そんな悪気のない顔で」

「悪気のないつもりはないんだけどな。でも気まずくて疎遠になるよりは、仲良く友達を続けられるなら、その方がいいよね?」

「それは……」


 理想で言えばそうなんだろう。

 彼女の言うことはいつも真っすぐで正しい。

 だけど現実ではそうはいかないことがほとんど。

 少女漫画みたいに、恋に破れたライバルが互いに尊重し合う親友になるなんて展開、現実じゃまずあり得ない。


「だから、そんな邪険にしないでほしいな……私、星ちゃんとも仲良しでいたいなって思っているから」


 だけど彼女は理想を理想で終わらせない。

 実現できると信じて、その実、当たり前のように形にしてしまう。

 ユリも、そういう所に魅かれたんだろうか。

 私の持っていない、その自信と才能に。


 私は返事をすることができずに、静かに息をのんで、唇をぐっと結んだ。

 声をあげたら感情任せにどんなひどいことを口にしてしまうか分からなくって、それだけは自分の意思で押しとどめた。

 不意に、生徒会室の扉がノックされる。

 私は弾かれたようにドアの方を振り向いた。


「あ、あの……すみません、取り込み中でしたか?」


 小さく開いた扉の隙間から、心炉がおずおずと顔を覗かせた。


「そろそろ花火の時間だから探してこいって、アヤセさんが。みなさん、場所取りをしておいてくれてるみたいです」

「わかった。ありがとう、呼びに来てくれて」


 張りつめていた空気が、一気に緩んだような気がした。

 いいタイミングだったのかな。

 言葉に出さずにもう一度「ありがとう」と胸の中で唱える。



「花火、見て行ってください」


 いくらか落ち着いた気持ちで先輩へと振り返る。

 彼女は屈託のない笑顔で、優しく頷いてくれた。


 グラウンドへ向かうと、既に大勢の人たちが花火を見るために集まっていた。

 ひしめき合っていたテントも、後夜祭の間に片付けたんだろう。

 まっさらになった光景は、既に祭りの後という感じだった。


「星~遅いよ! なにしてたの!」


 合流したとたん、ユリにぷりぷりと怒られてしまった。

 私は愛想笑いで適当にごまかして、ハンカチを敷いて彼女の隣に座る。


 直後、ドン――と、大輪の光の花が夜空に咲いた。

 話ではそんなに大きな玉ではないってことだったけど、それでも真下で見る分には、大きさも迫力もめいいっぱいだった。


 ふたつ、みっつ――立て続けに花火があがる。

 そのたびに歓声とため息がそこら中からこぼれる。


「すごいすごい! たーまやー!」


 ユリもまたそのひとりで、光が弾けるたびにきゃっきゃと子供みたいな声をあげていた。

 爆音の下で途切れ途切れに。

 それでも私の耳には、ハッキリと刻み付けられたように響く。


「夏、終わっちゃうね」


 そうだね――と、答えた返事は、特大の花火の音にかき消されてしまった。

 視界いっぱいがキラキラとした炎の花びらに覆われて、音の波がびりびりと身体から地面までを震わせる。

 今のが最終兵器なんちゃらってやつなのかな。

 柳になって消えていく光の筋が消えるまで……いや、消えてからも、みんな余韻を求めるように空を見上げたままだった。


 夏が終わる。

 一瞬のきらめきを放った夏が終わる。


 そうして、高三の秋がはじまるんだ。

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