夕日が差し込む校舎で、倒れ込むアヤセをユリが抱き起す。
アヤセの身体はべっとりとした鮮血に濡れていて、もはや息があるのが奇跡といっていい姿だった。
「お前の来た世界じゃ、私らは仲良く呑気にバンドやってるんだろ……?」
「うん……うん、そうだよ……」
「じゃあ、帰ったらあっちの私に伝えてくれ……最高にロックなライブを頼むぜ……って」
その言葉を最後に、アヤセの全身から力が抜ける。
親友を失ったユリの慟哭が寂れた校舎の中に響いていた――
「はい、カーット! おっけーですよー!」
琴平さんの掛け声とともに、現場に張りつめていた緊張が一気に解けた。
血まみれ(血糊まみれ)のアヤセはすくりと立ち上がると、私たちシーン外のスタッフにピースサインをひけらかす。
「どーよ、アヤセちゃんの迫真の演技は」
「いやあ、素晴らしかったですよお。やっぱり肝試しを先にやっておいて良かったですね。シーンがどのくらい緊迫しているのか、みなさん肌で感じ取って貰えたようで」
代わりに寿命はいくらか縮んだ気がするけどね。
カメラ片手に満足そうにホクホクする琴平さんにひと言モノ申してやりたいとろだったけど、実際のところ撮影自体はとても良い感じに進んでいるので、言いたくても言いだせない、微妙な心境で受け入れるしかなかった。
今日の撮影は、先日のパニックシーンの撮影を繋ぐ、細かな演技シーンをこなすことになっている。
この間はお化け屋敷形式で、とにかく機械的にゾンビたちとの攻防シーンを演出しただけだった。
もちろんそれだけじゃお話としては筋が通らないので、もうちょっと話を展開する掛け合いであったり、各キャラの死亡シーンであったり、そういう具体的なストーリー部分を細切れに撮影していく必要がある。
琴平さんは、先日の撮影を経てまた多少台本に手を加えたと言っていたけれど、流石に今回は設定がひっくり返るような大改編は行われていなかった。
どちらかと言えばキャラクターの入退場のタイミングや、それに伴うセリフの前後だったり、そういうつじつま合わせの調整といったところだ。
とはいえ、渡されたばかりの台本でセリフも覚える暇がなく、ちゃんと演技できるのかなんていう心配はある。
ただ、映画というやつは舞台と違って、ワンカット中に喋るセリフはそう多くないうえに、失敗しても撮り直しがきく。
言いにくいものはその場で変更したりもするし、思ったより臨機応変に対応できるものだった。
そうやって、殺伐世界のシーンを冒頭から順に着々と。
エンディングを目指して撮影を積み重ねていったところで、最も懸念すべき壁に私たちはぶち当たった。
「さて。いよいよ屋上のクライマックスですが……ユリさん、良い感じの結末思いつきました?」
台本のラストに記された『後は良い感じにお願いします~ ><』の文言は、『ガールズバンド・オブ・ザ・デッド(改弐)』になっても取れることはなく、たった今、数多の死線を潜り抜けた主人公であるユリの一存に委ねられようとしていた。
「あまり難しく考えなくて大丈夫ですよ。最悪の場合のBプランはありますので」
「ちなみに、そのBプランってのはどんなのかな?」
尋ねるユリに、琴平さんはあっけらかんとして答える。
「押し寄せたゾンビでみなさん全滅~からの、〝あの世の夢の中でみんな楽しくライブできたね!〟ENDです」
「夢オチは確かにBプランだねえ」
それは果たして夢オチと言っていいんだろうか。
また別のオチジャンルじゃない?
「ま、とりあえず流れでやってみましょうか」
「大丈夫なの、そんなんで……?」
「大丈夫大丈夫。編集っていう最強の味方がいますから」
一応止めはしたけれど、撮影の進め方に関して琴平さんが私の意見を聞いてくれたことはない。
実際それでうまくいってるんだから、餅は餅屋ってことなんだろう。
明日から二学期も始まるし、正直なところ今日の撮影はあまり押したくない。
ここは彼女の提案に乗ってみよう。
ラストシーンは、ゾンビの群れから命からがら逃げおおせて、屋上に立てこもったところから。
なんで逃げ場のない屋上なんかに来てしまったのかというと、物語上としてはそこが最後の〝思い出の地〟だったからだ。
こちらの世界にやってきて、私(の役)が生きていることを知ったユリ(の役)は、私が元の世界に帰る鍵ではないかと考える。
それで私やバンドの思い出の場所となっている、教室や音楽室、そしてここ屋上を巡っていたというわけだ。
一応、設定上だけで言うと『私(の役)が元の世界に帰る鍵』というのは大正解。
私が生きている世界になったせいで、なんかいろいろバタフライエフェクト的なことが積み重なってしまい、こんな有様になってしまっているらしい。
なので、私が死ねばユリ(の役)は無事に元の世界に帰れる。
彼女がその決断をするかどうか。
たぶん、琴平さんが役者本人に解釈を訊ねているのはその部分だ。
その意を汲んで、ここはちょっと強引でも話を前に進めてみようか。
大アドリブ大会のスタートだ。
「もういいよ、ユリ」
「星……?」
「あなたの世界の私は死んでいる。つまり、私が生きていること自体が世界にとってはイレギュラーなことなんだよ。それを正したら、きっとすべてが元通りになる」
「え、そうなの?」
ものすごく、演技っぽくない素の反応が返って来た。
こいつ、キャラ設定読んでないな。
これに関しては、前回の『ガールズバンド・オブ・ザ・デッド(改)』にもちゃんと書いてあったことだよ。
ちょっと間の抜けた感じだけど、受け答え自体は間違ってない。
私はそのまま、ユリが握りしめる玩具の拳銃を指さした。
「私を撃って。それで全部終わるから」
この撮影も全部。
「そんな……展開が急すぎるよ」
そんなことないよ。
あんたは設定読んでないから気づいてないかもしれないけど、そこかしこにそういう伏線はちゃんとあったよ。
明らかに私が物語の特異点だったよ。
「うう……できないよ。星を撃つなんて」
親友を殺すことに対する主人公の葛藤。
いいね。
ユリもそれっぽい演技に入って来たみたい。
すると、この場のもうひとりの生き残りである雲類鷲さんが、ユリから拳銃を奪い取った。
「だったら、あたしか代わりに撃ってやる。これで今までの分は全部チャラってことにしといてやるよ」
おお、それっぽい。
いいぞいいぞ。
シーンが転がって来た感じがする。
あとは、これに対してユリが静観するか、もしくは「そんなことならあたしが撃つ!」と汚れ役を引き受けるか。
一応は主人公だし、前者はちょっとカッコ付かないんじゃないかな。
選ぶなら後者だよ、ユリ。
「終わらせてくれるなら、誰でもいいよ。それできっと、ユリは元の世界に帰れる。その後、この世界の私たちがどうなるのかは分からないけど……いっそ、全部なかったことになったらいいな」
もう少しだけそれっぽいことを言って、シーンを盛り上げておく。
日ごろの無理難題への対処のおかげか、私案外こういうのに向いてるみたい。
あとは銃声の音が響くのを待つだけ。
それで終わり。
帰ろう、家に。
「そ、それはダメだよお!」
と思ったら、ユリは雲類鷲さんが構えていた拳銃を再び自分の手で奪い取った。
いや、行為自体は間違ってないんだけど。
「それはダメだよお!」って何。
どういうこと。
ユリは奪った拳銃を胸に抱えて、私と雲類鷲さんの間に立った。
「星を殺すのも、この世界がなくなっちゃうのも、それはそれでなんかヤだ!」
なんかヤだって……いやいや、そういうので決めるヤツじゃないと思うよこれ。
流石の雲類鷲さんもぽかんと口をあけて、それから気を取り直したようにユリに掴みかかった。
「んなこと言ったって、他に何ができるって言うんだよ!」
「元の世界は何もしなくたって平和なんだもん。私がこの世界に来ちゃったからには、星も死なずに、この世界を平和にしてみせる!」
うわあ、なんか言いだしたよこの子。
確かに第三の選択肢を探すのは主人公にありがちかもしれないけど、でも、もうクライマックスだよ。
それ許されるのは、物語の半分くらいのときだよ。
「だ、だから、どうやってそれを実現するんだよって話だよ」
雲類鷲さんが果敢に軌道修正を計ってくれる。
頑張れ。
私は言うべきことは全部言っちゃったから、これ以上は胡散臭いセールストークじみた殺人教唆しかできないよ。
ぶつかり合ってるそこふたりで、良い感じにまとめてくれるとすごく助かる。
「わかった、タイムマシンを作ろう!」
私も雲類鷲さんも、思わず息を飲んだ。
ひょえー。
いや、なんかもう、一回カメラ止めてくれていいよ、琴平さん。
これもう軌道修正無理だよ。
完全に変な方向に行っちゃってるよ。
血みどろ殺伐とした世界になのに、今にもその屋上のドアがピンクに塗り替わって、ドラえもんがこんにちわしてきそうだよ。
ただ、ここまでだいぶシリアス(少なくとも演技は)にやってきたんだから、いきなりパロディオチはちょっと良くないと思うよ。
でも、いいや、まだだ。
まだとっておきの手が残っている。
私は、ふたりがわちゃわちゃと揉めている隙にそっとユリの手から拳銃を奪い取ると、銃口を自分のこめかみにあてがった。
「あれ、星?」
ようやく拳銃がなくなったことに気づいて、はっと私を見るユリ。
つられて雲類鷲さんも視線を向けてくれたところで、これを最後にするべく渾身のセリフを放つ。
「やっぱり、どの世界でもユリはアホだね……バイバイ」
有無を言わさず引き金を引く。
火薬が乾いた音を立てて、夕闇のそらに響く。
私、疲れちゃった。もういいかげん、ゴールしてもいいよね。
ゆっくりと崩れるように倒れたコンクリの床は、昼間の熱がまだ残っているのか、ほんのりと生暖かった。
「はい、カーット! おっけーですよー!」
琴平さんが片手でOKサインを作り、撮影の終了を告げる。
同時にスタッフ全員から、大きな、それは大きなため息がこぼれた。
「正直どうなることかと思いましたけど、自殺オチですか……まあ、収まるところに収まったんじゃないですか?」
心炉が、及第点ですねとでも言わんばかりの感想を口にする。
「もう、ああなっちゃったらあれしかないよね。それとも、ドラえもんの着ぐるみ着てあの扉から出てくる?」
「それはちょっと……」
引きつった笑みを浮かべて、彼女は後ずさった。
ほぼ同時に、琴平さんがパチパチと手を鳴らして注目を集める。
「ありがとうございました。今日の撮影は終了です。後は二学期が始まってから、ほんのちょっとだけ不足分の撮影を行えばクランクアップです。みなさん最後までどうぞよろしく」
彼女がぺこりとお辞儀をすると、誰からともなく拍手が起こった。
どうなるか心配だった映画撮影だけど、とりあえず終わりが見えたのが何よりだ。
あとはどう編集されるのかだけど、そこは琴平さんの腕を信じて任せよう。
私のやるべきことは、最後の撮影に向けてベースを仕上げることだから。