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5月29日 あの日の横顔

 高校一年の夏は、私にとってはひたすらの虚無の時間だった。

 部活にもまともに参加していない私にとっては、はじめての、なんにもない一ヶ月弱の休み。

 一年の時には、クラス単位での学園祭の出し物もそこまで力を入れるものは準備されなかったし、ただ家にいて課題をこなすばかり。

 この時期ではまだ受験勉強と呼べるほどのことはできないので、単純で単調な一学期の復習を繰り返しているだけの毎日だった。


 そのころはすでにアヤセにも、ユリにも出会っていて、学校もまあそんなに悪くないかなと思い始めていたところだ。

 夏休みなんて早く終わってしまえばいいのに。

 そう思えるのは、きっと幸せなこと。


 そんな辛く苦しい夏休みを終えて、二学期が始まって、初めての学園祭も終わったころ。

 祭りの余韻もようやく一掃されて、校舎が日常を取り戻しはじめる中で、私はユリに呼び出された。


 それまでは偶然ばったり出会った時を除いて、たいていは私とユリとアヤセとセットで行動することが多かった。

 だから、個人的な呼び出し――というのはすごく珍しいことで、期待と不安にどぎまぎしてしまうのも仕方のないことだった。


「どうしたの、こんなとこに呼び出して」


 そんなありきたりな言葉が出てしまうくらいには、当時の私も緊張していたのだと思う。

 当時はまだ生徒会に入ってなかった私たちにとって、何か話をすると言えば放課後の学食前が定番のスポットだった。

 自販機があるし、放課後になればとっくに営業も終わっているので人通りも少ない。

 ダラダラ時間をつぶすにはうってつけの場所だ。


 机や椅子はないので、適当な段差に並んで座る。

 ユリは私の質問に何も答えず、ちびちびとコーンポタージュ缶を口に運んでいた。

 何が飛び出してくるのかわかったものではないので、私もうかつに言葉を出せずに、しんとした空間が広がる。

 気まずい、という気持ちはない。

 一緒にいられるのなら、静寂だって思い出に変わる。


 だけど、あの暴走機関車みたいな彼女がこれだけ静かだなんて、流石の私も少しだけ違和感は覚えていた。

 当時なんて出会ってまだ三ヶ月そこらのことだし、賑やかで忙しない姿しか目にしたことがないくらいだ。

 あまりじろじろと様子をうかがうのもどうかと思って、盗み見るように様子をうかがう。

 すると、彼女は別に静かにしていたわけではなく、何かを言うか言うまいか、もごもごと唇をうねらせていた。


「あのね……」


 ようやく、そう口を開いたのは、買った缶コーヒーひとつをすっかり飲み切ったころ。

 もう一本買ってこようかと思っていた矢先のことだった。


「私ね、好きなひとができた……かも」


 待ち続けたその言葉は、私にとっては一生聞きたくはなかった言葉。

 できればそのまま飲み込んで、いつもの笑顔でバイバイしたかった。

 でも、聞いてしまったものをなかったことにはできないもので、私はどうにか平静を保つことだけに力を注いでいた。


「学園祭でいい男でも見つけた?」


 とりあえず、そんなありきたりな言葉で返してみる。

 するとユリは首を横に振る。


「ウチの学校……」

「……それって女ってこと?」


 ユリは頷いて、それから私の目をじっと見た。

 瞳は、怯えたように揺れていた。

 その怯えの理由を私は理解している。

 だから、湧きあがってきた自分の想いを言葉にする前に、無理矢理にでも笑顔を浮かべる。


「うん、それで」


 大丈夫、安心して。

 私の欲しい言葉をそのまま彼女に伝えるつもりで。

 ユリはほっと息をついて、つられたように笑ってくれた。


「よかったあ……変に思われないかなって、すっごく心配だったの」

「思わないよ。誰かを好きになるって、どうしようもなくって、理性じゃ止められないことだと思うから」

「そう! そうだよね! うん!」


 首を千切れんばかりに振る彼女に、私は笑顔を浮かべたまま、どくどくと心臓が高鳴るのを感じる。

 みぞおちの辺りを、体の内側から殴られているような。

 後悔でも悔しさでもない、この気持ちに名前を付けるなら――なんて、そこまで冷静にしていられるほど、私はできた人間じゃない。


「誰――とは言わないけど先輩? 同級生?」


 聞かなきゃいいのに減らず口は止まらない。

 今にして思えば、それもひとつのかっこつけだ。

 平静を保ってられる自分。

 そんなに頑張って気取ったって、別に伝わりっこないのに。


「先輩! あのね、学校の帰りに自転車のカギをなくして困ってたらね、たまたま通りがかって、一緒に探してくれて、それでも見つからなかったから一緒に自転車屋さんまで持って行ってくれてね」


 ユリは嬉しそうに「好きかもしれない人」のことを語ってくれる。

 私はそれを右から左に聞き流して、うわの空で頷く。

 自分で振った話でも、一ミリだって聞きたくはない。

 ただ、話を先に進めて、終わらせるための、無感情の相槌だった。


 とうとうとエピソードを語り終えたユリは、コンポタの中身を一気にあおって、もう一度だけ不安そうな声をあげた。


「実際、そういう好きなのか、自分でもよくわかんないんだ……だから、どうしたらいいのかなって」


 どうしたらいいのかなんて、私のほうが知りたいよ。

 一学期の間、ずっと考えててる。

 考えてるけど、自分で自分に答えをだすことはできない。

 なのに、こうして他人のことになると、なんでかするすると「正論」が頭に浮かんでは消える。


「告白、するの?」


 それこそ自分自身に投げかけるべき言葉なのに、自分の心臓に刃を突き付ける勇気は、私にはない。


「えー、恥ずかしいよお」

「でも、そうやって考えてみたら、本当に好きなのかどうかもわかるんじゃないの」


 私の言葉に心なんてこもってない。

 口から出まかせの適当なアドバイス。

 それをユリは大真面目に受け取って、最初そうしたように、もにょもにょと唇をうねらせた。


「うん……そうかも。でも、もうちょっと考えてみる」


 わからないと彼女は言った。

 でも、頬を染める彼女の横顔は、どうしようもなく恋する乙女だった。


「もしもダメだったら、その時は慰めてあげるよ」


 友達だから。

 それだけははっきりと、自分自身に言い聞かせた言葉だった。


 ベッドで天井を見上げながら、つい昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 天野さんのせいで感傷的になったわけではなく、これまでずっと後悔し続けていること。

 あんなアドバイスをしなければ、この話はそこで終わっていたことなのかもしれない。

 だとしたら、今私が親友として彼女の傍にいることは、あの日の自分の言葉の尻ぬぐいなのかもしれない。


 いつか見てしまったメッセージのことだって――行動を起こさない私に、とやかく言う権利なんてない。

 今の関係で満足することを選んだのは、私自身なのだから。

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