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5月24日 青春のうずき

「おいーっす」


 生徒会室の扉が開いて、アヤセが中に入ってくる。

 私は真っ先に、彼女が抱えている大きな用紙の方に目がいった。


「何それ」

「何ってそりゃ、これよ」


 彼女は、丸めていた用紙を長テーブルの上に広げて見せた。

 真っ先に目に飛び込んでくる「大相撲夏場所」の文字。今回の番付だった。


 堂々とした楷書で、何人もの名前が記されている。

 まだ全員分は終わっていないようで、下半分ほどは白紙のままだった。


「余裕ができたから今日中に終わらせてやろうと思って」

「それはご苦労さま」

「星はなにやってたんだ? 今日は集まりなかったろ」

「テスト勉強。来月になったらすぐ中間があるし。模試もあるし」

「うへえ、ヤなこと思い出させんなよなあ」


 アヤセは顔をしかめながら、携えてきた書道セットを広げ始める。

 独特の墨の香りが、ツンと鼻先をかすめた。


「ここで書くの?」

「今日中に終わらせるって言ったじゃんかよ」

「いや……書道室で書けば?」

「部員の邪魔したら悪いかと思ってさ」

「私の邪魔は気にしないのね」

「だって勉強してるだけじゃん?」


 だってもくそもないんだけど。

 私は席から立ちあがって、それまで閉め切っていた窓を半分くらい開けた。

 初夏の心地よい風がほほを撫でて、そのまま部屋の中に吹き込んでいく。


「どこで書いてもいいけどさ、汚さないでよ」

「アイコピー」


 アヤセはひとしきり準備を終えると、いつもの作業用デニムエプロンを身にまとった。


「星ってさ、最近いつも生徒会室いるよな」


 さらさらと筆を動かしつつ、アヤセがそんなことをいう。


「間違えたらどうすんの。集中しなさいよ」

「これくらい朝飯前だって……あっ」


 いった傍から彼女はなにやら不穏な声を上げた。

 私もどきりとして、恐る恐る彼女を見つめる。


「なになに……」

「いや、名前書く順番間違えたーと思って。でも、ここは別に誰から書いてもいいとこだからいいや」

「問題ないなら変な声出さないでよ」


 心臓に悪いじゃないか。

 私は軽く深呼吸をしてから、取り落としたシャーペンを持ち直した。


「でさ、いつも生徒会室いるじゃんかよ」

「その話まだ続けるの?」


 またミスっても私は知らん顔してやるけど。

 その意思を示すように、私は勉強に意識を戻す。


「大した理由じゃないよ。しいて言えば、入学式の約束を果たせるように?」

「ああ、あの『いつでも来てください』ってやつ」

「実際、それで来たしね」


 たったふたりだけだけど、紛れもない成果と言っていいはずだ。


「それに、最近は誰かしらいつも顔を出すから……鍵、私が持ってるし」

「いうて今日は誰も来てないみたいだけど」

「アヤセが来たじゃないの」

「なるほど?」


 他の面々は、宍戸さんも含めてみんな部活だ。

 料理愛好会は、今日はターメイヤとかいうのを作るらしい。

 なんでも部長を中心にエジプト料理ブームが起こっているという話だけど……ターメリックの親戚か何かだろうか。


「アヤセだって、なんでわざわざ生徒会室まできたの」

「私も作業できるなら別にどこでもよかったけどさ。来ればお前がいるような気がして?」


 そう言って、彼女はいたずらな笑顔をを浮かべたので、私はあきれ顔で返してあげた。


「ずいぶん精度の高い妖怪レーダーだこと」

「このまま学校の七不思議でも探索するか?」

「そんなのあるの? 私、聞いたことないんだけど」

「七不思議は聞いたことないけど、怖ーい話ならいくつかあるみたいよ」

「いやいやいや、やめてよ」


 これから先、文化祭準備も始まって遅くまで作業することも増えるだろうに。

 知りたくない。

 知る必要もない。

 ほんとやめてください。


「そ、そんなに睨むなよ……」


 アヤセが怯えていたので、私は自分の手で顔の表情筋をぐりぐりとほぐすように捏ねた。

 そんなに怖かったかな。それくらい本気ではいたけれど。


 ひとしきりほぐれた気がしたので、にっこりと笑顔を浮かべてアヤセのことを見る。


「これでどう?」

「おう……それはそれで、なんか怖いな。てかキモいな」

「キモ……」


 笑顔を見せて、キモいって言われたのは初めてだ……どんな顔だったのか自分でも気になるけど、これ以上ショックを受けたくなかったので鏡を見るのはやめておいた。

 すっと、頬から力を抜く。


「そう落ち込むなって。余計なことしないでもかわいいんだからさ」

「アホなこと言ってる暇あったら、番付に集中したら」

「あと口も開かなきゃ完璧だな」

「ただのお人形じゃん」


 顔だけが好きだってんなら、それはそれで潔いけど。

 そこまで極端な性癖のやつは、流石に私の周りでは見たことがない。

 世界のどっかにはいるんだろうけど。


 すると、アヤセがくつくつと、こらえたように笑っていた。


「それは何の笑い?」


 内容によっては、ダッシュして飛び込み前転からの勢いでぶん殴ってやるけど。


「いや、最近少し楽しそうだなと思って」

「何が?」

「お前が」

「はあ?」


 言葉の意味が分からずに、私はただ眉をひそめて聞き返す。

 するとアヤセは、「気にするな」とでも言いたげに、ひらひらと手を振った。


「いいのいいの。その調子で頑張って、生徒会長殿」

「ちょっと……それ、なんかもやもやするんだけど」

「それはきっと青春のうずきってやつだな」


 うっさい、黙っとけ。

 楽しいか楽しくないかで言われたら、それは比較的楽しい気はするけど。

 でも、面倒か面倒じゃないかで考えたら、面倒なことばっかりだ。

 漫画やドラマの青春が輝いて見えるのは、その先に必ず、成功が待っているからだ。


 文句のひとつでも返してやろうと口を開きかけたところで、ドアがノックされた。

 それからこちらの返事を待つことなく、控えめにドアが開く。

 その隙間から、宍戸さんが顔を覗かせた。


「あ……やっぱり、いらしたんですね」

「あれ、どうしたの。今日は部活じゃなかったっけ」

「はい、その、それで……」


 彼女は恐る恐る中に入ってきながら、後手に持っていた銀紙の包みを差し出した。


「ターメイヤ、余ったのでよかったら……」


 おお……例の、何かも知らなかったターメイヤ。

 まさかこの目で拝めるとは。


「ありがとう。わざわざ届けに来てくれたんだ」

「味見は済ませてるので……ちゃんとおいしくできたはずです。あの、わたし、片付けがあるのでこれで」


 宍戸さんは、あつあつの包みだけを置いてそそくさと帰っていってしまった。


「後輩の心はちゃんと掴んだみたいじゃん」


 いつからか、アヤセがニマニマと笑っていた。

 私はそれを鼻で笑って、宍戸さんに貰った包みを開いた。

 ターメイヤと呼ばれたその食べんのは、見た目だけなら香ばしく揚がったコロッケにそっくりだった。


「いじめっ子には分けてやんないけど」

「いやあ、それは星様、ご無体な」

「分けてあげるメリット何かある?」

「いまなら番付を幕内に昇格!」


 それは交渉材料になってるんだろうか。

 とはいえ本気で独り占めする気はなかったので、それで許してあげることにした。

 分けて食べたターメイヤは、味だけならカレーコロッケのそれに似ていて、だけど豆らしき甘味を感じる不思議な味わいだった。

 エジプト人、割とグルメだな。

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