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5月22日 秘伝のエビカレー

 リビングでぼんやりとテレビを眺めていると、画面の中から歓声があがった。

 スマホでなんとなく相撲のことを調べていたら、今日が夏場所の千秋楽だというので、なんともなしに眺めていたところだった。


 実況のひとが決り手を開設してくれている中で、勝った力士は賞金の束を受け取る。

 そんな一連の取り組みの流れをかれこれ一時間くらい眺めていたけど、思いのほか相撲というやつはいろんな技術があるようだ。

 基本的には、相手を転ばせるか、土俵の外に出したら勝ち。

 それくらいは幼稚園児だって知っている。

 ただしそのための技にはいろいろあって、特に投げに関してはTVを聞いてるだけじゃ覚えられないくらいの種類がある。


 さすがにクラスマッチのためにひとつひとつ習得しようなんて気はないけど、単純な力勝負だと思ってた私は少しだけ考えを改めた。

 そりゃ何百年という歴史があるわけだし、奥は深いのかもしれない。

 でもほかの生徒たちだって私と同じくらいの認識だろうし……結局、本物の相撲を見てみることは、そこまで役には立たなかった。

 今さら筋トレをはじめたところで意味はないし、準備できることはそんなにないような気がする。

 むしろそれで、どうやって勝ち越しを狙うべきか。

 しかも同じリーグには、アヤセの職権乱用でユリがいるんだ。


「星ちゃん、ちょっと……あれ、星ちゃん相撲なんて興味あったっけ?」


 リビングに降りてきた母親が、開口一番そんなことを口にした。


「今日だけファンになってみようかなって思って」

「なあにそれ。それよりもお使い頼んでいい?」


 お使いって、小学生じゃないんだから。

 それに今テレビ見てるって――それは別に、そろそろ飽きてきたからいいんだけどさ。


「とけるチーズと牛乳買ってきてくれる?」

「それくらい自分で行ってきたら」

「夜は星ちゃんの好きなポテトグラタンにするから」

「お金ちょうだい」


 私は、次の取り組みが始まったばかりの相撲中継を消して、身支度を整えた。

 おいしいご飯のためだったら、いくらでも手のひらを返そう。

 チーズとホワイトソースが私を待っている。


 チーズと牛乳くらいならコンビニで済ましてもよかったけれど、散歩をしたい気分だったので少し距離のあるスーパーへ向かうことにした。

 あと牛乳は、特定のパッケージのを好んで飲んでる。

 ウチの母親はそのへん無頓着なので、その日のお値打ち価格のやつを買ってくるけど、たまに妙に水っぽい牛乳にあたったときは最悪だ。

 そういう時はカフェオレにして何とか消費するけど……そういえばインスタントコーヒーもなくなりかけてたっけ。ついでに買っていこう。


 そうやって頭ので買い物リストを更新していると、スーパーの入り口で思いがけない相手に出会った。


「あれ、星じゃん」


 まだ空っぽらしい買い物袋を片手に、ラフなジャージ姿でたたずむユリだった。


「珍しいね。おつかい?」

「なんでわかんの?」

「おばさんとはたまに会うから」


 その情報は初耳だった。

 ウチの母親からそんな話一度も聞いたことない。

 あれ、あるか。

 いや、やっぱりない。

 ユリの情報だったら、聞いて忘れてるってことはないはずだ。


 入口で立ち話もなんなので、とりあえず中に入って、商品を吟味しながら


「そういうユリは買い出し?」

「そっ。夏まで学校が忙しいから、ご飯はまとめて買って作っておかないと」

「相変わらずの家事スキルの高いこと。ちなみに今週は何にするの?」

「カレー!」

「もしかして例の?」


 私の言葉に、ユリは得意げに頷く。

 犬童家秘伝のエビカレーは、私も前にご相伴に預かったことがある。

 焼いた海老の殻を出汁に使うというそのカレーは、店で出せるレベルの逸品だった。

 肉よりは魚介派の私にとっても嬉しい。


「そろそろ、大鍋で作り置きも難しい季節になるからねー。夏前の食べ納めだよ」


 そう言って彼女は、鮮魚コーナーで大量の殻付きエビをカゴに放り込んだ。


「星の家は、今日はなに?」

「ポテトグラタン」

「いいなあ、あたしも食べたい」

「じゃあ、食べてけば?」

「えー、いいの?」


 私の誘いに、ユリはぱっと笑顔を浮かべるけれど、すぐに遠慮したような表情に変わる。


「でも、遠慮しとくね。帰ってカレー作りたいし」

「そっか。じゃあ、また今度」


 そこまでが、いつものやりとり。

 私がユリの家で食事をごちそうになることはたまにあるけれど、私の家で彼女にごちそうすることはめったにない。

 家に帰ってご飯を作る。

 それが彼女の、家での役割だった。


 ユリの家が父子家庭なのは、彼女とそれなりの付き合いがある人間なら誰でも知っている。

 お母さんは、彼女が小さいころに病気で亡くなってしまったらしい。

 彼女自身もそれを特に隠しているわけじゃないし、何かの言い訳に使うこともしない。

 ユリにとっての日常がそこにあって、それは私の日常と少しだけ違う。


 一年のころに一度だけ、そんな無理する必要ないんじゃないのって聞いたことがある。

 でもユリが「無理してないし、楽しくてやってる」というので、私としてもそれっきりにしている。

 それは彼女のやせ我慢でもなんでもない、本心からの言葉だというのも理解しているから。


「あ、むしろ星がウチに食べ来る? 例のエビカレーだよ」

「残念だけどやめとく」


 私はチーズの袋をカゴに放りながら答えた。


「えー、おいしいのに」

「おいしいのは知ってるけど、今日だけはない」


 ユリのエビカレーがめちゃくちゃおいしいのは知ってるけど、それでも首を縦に触れないときはある。

 今日だけは友情よりもカレーよりも、ポテトグラタンを取るんだから。

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