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5月20日 忘れかけた約束

 体育館の一角に、色とりどりの部活のユニフォームが並ぶ。

 オリエンテーションの時とは違う、溌剌とした負けん気に満ちた空気に、室温が多少上がっているようにも感じられた。


 午後の授業の時間に差し代わって行われた高校総体の壮行式は、特に大きなトラブルもなく終了した。

 ユニフォーム姿の生徒はみんな、大会に出る各部のレギュラーメンバーたちで、選び抜かれた精鋭だ。

 選ばれなかった者たちや、そもそも関係ない文化部の面々は、いつもの制服のまま暖かい拍手で彼女たちを送り出すことになる。


 私は結局、今年も送り出す側の列に並んでいた。

 高校最後の大会とはいえ、幽霊部員なのだから当然の結果だ。

 いつだか一度だけ穂波ちゃんに誘われたっきり。

 それ以来彼女からも部活に誘われはしなかったし、顧問も、同じ三年の部員たちも、入学以来ずっと顔を出していない部員に「最後だから」という理由でわざわざ声をかけることはしない。

 私もそれで気が楽だった。


 式が終わって生徒たちは流れ解散となる。

 この後はホームルームもなく、そのまま部活なりなんなり放課後の活動へと雪崩れ込む。

 今日は生徒会もないし、図書館で勉強でもしていこうか。

 そんな事を考えながら人の流れに乗って廊下を歩いていると、青と黄色のひらひらが視界を遮った。


「やっほー。なんか浮かない顔してるね?」


 ユリだった。

 青と黄色のひらひらは、機能性とかわいさを兼ね備えたチア部のユニフォームだ。

 定期戦のときはダウンして見逃してしまったので、ちょっとしたラッキーパンチだった。


「あんた、部活じゃないの?」

「そーだけど、ちょうど見かけたから」


 そう言って彼女は、歩きながら右に左にとくるくるまわる。


「なんか、ポンポンないと落ち着かないなあ」

「そういうもん?」

「もはや身体の一部だからねっ。あたしのポンポンテクは一流だよー」


 ポンポンテクってなんだ。

 まともに考えても仕方ないのは分かっていても、彼女の謎ワードは一度真面目に考えてしまう。

 私なりに、彼女を理解しようとしているのかもしれない。

 というか、たぶんそう。

 考えたくらいで理解できるならいいのだけれど。


「あっ、そう言えばさ、星も出るんだって? 夏場所!」

「アヤセに聞いたの?」


 ユリが頷く。

 まあ、他に情報源はないだろうけど。


「出るって言っても、賑やかしだけど。本命はもうひとりの方」

「星のクラス、誰いたっけ?」

「レスリング部の部長」

「おー、横綱級だねえ。でもウチも負けてないよ」

「誰がいるの?」

「柔道部部長」

「なるほど」


 そっちもそっちで横綱級か。

 優勝争いの顔ぶれがおぼろげに見えてきた。


「そう言っておいて、ユリも冬大会は勝ち越しでしょ。十分に得点圏じゃん」

「ふふふ、抜かりはないよ。毎日スクワットで足腰を鍛えてるからね」

「クラスマッチにどれだけ本気なの」

「だって楽しんだもん勝ちじゃん! むしろ星は、本気を出さないつもりですかな?」

「出せるだけの実力がないよヒゲじい」


 私はユリと違って普段から鍛えてるわけでもなければ、そもそもそこまでのモチベーションもない。

 他に優勝候補もいるわけだし、クラスメイトからも期待はされてない。

 さほど頑張る理由がない。

 当日はそれなりに場の空気を楽しんで、それで終わり。

 レクリエーションイベントなんだし、それで充分だって。


 だけど、目の前の彼女は、それを許してくれなかった。


「むう、そういうこと言うならあたし、伝家の宝刀抜いちゃうよ」

「伝家の宝刀?」


 ユリにどんな必殺技があるっていうんだ。

 まったく心当たりがなくって、素で首をかしげる。

 彼女は、人差し指を私の鼻先につきつけた。


「体力テスト勝負の勝者権限をもって、イヌドウ・ユウリが命じる。クラスマッチに全力で参加せよ!」

「あっ……ああー」


 合点がいった。

 いってしまった。


 そういえば、そんなんあったな。

 体力テストの合計点で勝ったほうが、なんでもひとつ命令できるとかいうやつ。

 ユリがなかなか権利を行使しないものだから、そのまま忘れてくれたらな……なんて思っていたら、私のほうが忘れていた。


「ここでそれ使うの?」

「ほんとは別のことに使おうと思ってたけど、そんな弱腰発言聞かされたら黙ってられないよね」

「黙ってくれてていいんだけど」


 むしろ、もともとどんなお願いをされようとしていたのか、そっちのほうが気になってしまうじゃないか。


「てか、全力でって……条件がめちゃくちゃ曖昧なんだけど」

「たしカニ……ちょきちょき、どうしようか」


 ユリはピースサインをちょきちょきさせながら唸った。

 それ、流行ってんのかな。

 かわいいな。


「じゃあ、めざせ夏場所勝ち越しってことで」

「ちょっと、それ、難易度跳ね上がってない?」

「えー、勝ち越しだよ? 半分よりちょっと勝てばいいんだよ?」

「それが難しいって言ってんの」

「じゃあ頑張って練習しよう! ね!」


 ユリは私の両肩をがっちりつかんで、さわやかな笑顔を浮かべた。

 私もひきつった笑いで返す。


「ユリが手伝ってくれるならいいけど」

「えー、それはだめだよお! クラスが違えば敵同士、今度こそトモなんだからさ! あっ、このトモってのは――」

「強敵と書いてトモと呼ぶ――でしょ。わかったよ、やるから、全力で」


 それで納得してくれたのか、ユリは満足げに頷いて離れた。


「よー、盛り上がってきたあ。あたしもスクワット頑張んないと」

「あんまり頑張りすぎないで欲しいんだけど」


 勝ち越しを目指すそのブロックにはユリもいるんだから、必要以上に強くなってもらっちゃ困る。

 それ以上に、全力で勝ち越しってどうしたらいいんだろうか。

 そもそも相撲なんて小学校の相撲大会以来なんだけど。


 とりあえず……ほんとの大相撲の動画でも見てみようか。

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