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5月15日 その少女の、そして私の――

 体調不良が翌日に続くことはなく、無事に今日という日を迎えられた。

 やや曇りがちだけど、雨もあがって青空と晴れ間がのぞく。

 そんな中で顔を突き合わせる私たち四人のテーブルには、湯気を立てる湯呑がそれぞれ並んでいた。


「おー、ほんとに鎌倉ちゃんだ! 受験、受かって良かったね!」


 机に乗り出す勢いで、ユリが向かいに座る宍戸さんの手を取る。

 そのままぶんぶん上下に振るのにあわせて、宍戸さんは目を白黒させて、あたふたと口を開いたり閉じたりする。

 なんかそういう、子供向けのおもちゃみたいだ。


「あ、ありがとうございます……ほんとうに、先輩たちのおかげでわたし、無事に入学できました。でも、鎌倉ちゃんって……?」

「ああ……それ、受験番号が一一八五イイハコだったから、勝手にそう呼んでたの。ごめんね。そのころまだ宍戸さんの名前知らなかったし」


 説明を添えてあげると、宍戸さんは「ああ……」と納得した様子で頷いてくれた。

 私も一回、ついそう呼んじゃったことがあったっけ。

 大人になっても語り草にしそうなほど、忘れない番号だなと思う。


「それで、そっちが穂波ちゃん? よろしくね!」


 ユリは続いて、宍戸さんの隣に座る穂波ちゃんの手を取って、同じようにぶんぶんと振る。

 宍戸さんと違って無表情で振られる彼女の姿も、それはそれで可動域のある日本人形か何かに見える。


「八つの乙女に稲穂の穂、海の波で八乙女穂波です。よろしくお願いします」


 やっぱり、それ言うんだ。

 でもなんだか、ないともう締まらないような気さえする。

 それに効果はてきめんで、私はすっかり、彼女の名前をソラで漢字で書ける。


「そして私が生徒会書記のアヤセです。よろしく」


 甘くて香ばしい小豆の匂いを纏って、頭上からアヤセの声がふってきた。

 初夏らしい若草色の着物に前掛けをした彼女は、漆塗りのお盆を手にニコニコと営業スマイルを浮かべる。


 一年生ふたりはぽかんとした顔でそれを見上げて、辺りの空気が一瞬静まり返った。


「アヤセ先輩、何してるんですか?」

「ここ、私の実家」


 穂波ちゃんの問いに、アヤセは営業スマイルのまま答える。

 私もお茶をすすりながら、後輩ちゃんたちに目を向けた。


「言ってなかったっけ。アヤセの家、和菓子屋やってるって」

「初耳です」

「わ、わたしもです……」


 そんな後輩ちゃんたちの反応を見て、アヤセがふくれっ面で私の方を振り返った。


「お前なー、ウチに来るなら来るって先に言えよなー」

「言っても言わなくても、特にサービス変わんないでしょ」

「わかんないだろー。まあ今日はないけど」


 彼女は、これまた漆のお皿に乗った和菓子をテーブルに並べて、最後に私の前にお汁粉の入ったお椀を置いた。


「それじゃあ、私は仕事に戻るから。ごゆっくり~」


 そう言い残して、アヤセは店の奥に帰って行った。

 穂波ちゃんは、まだ狐につままれたみたいに目をぱちくりさせていた。


「アヤセ先輩、お綺麗でしたね」

「本人は飽き飽きしてるみたいだけどね」


 小さい頃から手伝いで着せられていて、和服はもう飽き飽きという話を、私はこれまで何度も聞かされている。

 その反動みたいに、フェミニン系やガーリー系のファッションが好きなことも。


「星、それ好きだねー」


 横から覗き込んだユリが、立ち上る湯気の匂いを嗅ぎながら口にする。


「餡子食べてるって感じがするから」


 私は、あつあつのお汁粉をスプーンの上で冷ましてから口に運ぶ。

 甘さと一緒に鼻に抜ける香ばしさ。和三盆の甘さとは別の、豆そのものの素朴な甘さ。

 うん、やっぱり餡子を食べるならここだな。アヤセ、私と出会ってくれてありがとう。

 これだけのために、割と本気でそう思う。


「それ、私も分かります」


 穂波ちゃんが、はちきれんばかりにぶんぶんと首を縦に振った。


「穂波ちゃんも餡子好きなの?」

「温泉饅頭とか大好きです。今日はおすすめのクリーム大福にしちゃいましたけど、次は私もお汁粉にします」

「それがいいよ。ここのお汁粉美味しいから」

「うーん、でもあたしはクリーム大福かなあ。ごろっと季節の果物が詰まってるのがいいよね」

「わ、わたしも、フルーツ好きです……フルーツサンドとか、よく食べます」

「えー、いいなあ! どこのが美味しいの?」

「あっ、えっと……お母さんが作ってくれるのが」


 宍戸さんは頬を染めながら、だんだん消え入りそうな声で答えた。

 家でフルーツサンド……なるほど、ウチならまずあり得ないな。


「えー、いいなあ。ウチでも今度作ってみようかな?」

「ユリ先輩、料理とか……するんですか?」

「ウチではあたしが料理当番だよ。和洋中なんでもござれ! 鉄人と呼ぶがよいぞ?」

「すごいです……! わたし、料理愛好会に入ってるので……その、レシピとか教えてもらいたい、です」

「いいよいいよ。あたしの秘伝を教えてしんぜよう」


 ユリが得意げに腕組みをして、鼻を鳴らした。

 人見知りな宍戸さんのことだからどうなるかと思ったけど、思ったより早く打ち解けられたみたいだ。

 というよりなんだか彼女、いつもより前のめりだね?


「歌尾さん、元気になってよかったです」


 穂波ちゃんは我が子の成長でも見守るみたいな優しい目で、のほほんと語る。

 料理談義が白熱する隣で、こっちはお婆ちゃんの井戸端会議みたいな空気だった。


「穂波ちゃんは、学校楽しめてる?」

「はい?」

「入学してからずっと、誰かの事ばっか考えてるなと思って」

「そう、見えますか?」


 別に、説教しようってんじゃない。

 私だって口うるさい先輩にはなりたくないし……ただ穂波ちゃんには、宍戸さんと別の意味で自分に似たところを感じているのが、ちょっと気になっている。

 これは文字通りの私の老婆心。


「私も、星先輩に助けて貰うことになりますかね?」


 穂波ちゃんがが、ちょっぴり困ったように笑う。


「そいれは犯行予告的な?」

「どちらかというと果たし状ですかね」

「それは勝ち目がない気がするけど」


 そうして、どちらからともなく笑いあった。

 なんだろこれ、ちょっと楽しい。

 後輩って良いなって初めて思えた瞬間だ。


「果たし状ってなに? 一騎打ち?」


 小耳に挟んだらしいユリが、間に割って入ってくる。


「一騎打ちって何さ」

「果たし状って言ったら一騎打ちでしょ? ねえ?」

「まあ、そうかもしれませんね」


 話を振られた穂波ちゃんは、困惑気味に頷く。


「あんまり真面目に取り合わない方がいいよ」

「えー、それどういう意味さ?」

「何考えてるか分かんないってこと」


 若干毒っぽくなってしまって、私は取り繕うようにお茶に手をつけた。

 不満そうに頬を膨らませるユリの傍らで、後輩ちゃんたちは控えめに笑ってくれた。

 まだ、大丈夫。

 今日はどうにか、いい先輩で終わらせたいんだ。


「あの……わたし、本当に先輩たちに感謝してます」


 宍戸さんが改めて口にする。

 話題を変えてくれたみたいで、今の私にはすごくありがたい。


「おふたりが居なかったら、わたしはここに居なかったと思うし……入試の時にユリ先輩に話を聞いてもらって、入学したあとは星先輩によくしてもらって……わたし、本当に、ここにきて良かったです」

「……それなら良かった」


 改めて言われるとこそばゆいけど、彼女の口からそれが聞けたことが、何よりもうれしかった。

 ユリなんてちょっと涙ぐんでるし。

 ほんの数十分の関係のくせに、感受性が高すぎだ。

 だからこそ、こんなわけわかんない片思いもしてるんだろうけど。


 そこまで言って、宍戸さんはもじもじと、テーブルの上に視線を落とした。

 穂波ちゃんが後押しするみたいに、その手を握る。

 宍戸さんは一度彼女のことを見てから、頷いて、もう片方の手でブラウスの胸元を握りしめた。

 その時の空気の変化を感じ取ったのは、その場では私だけだったと思う。

 宍戸さんと私は、底にあるものが似ているから。

 穂波ちゃん以上に、もっとはっきりめっきりと。

 ただ、態度への出し方が違うだけ。


「わたし、星先輩のことも……ユリ先輩のことも、大好きです」


 彼女の口が語る「好き」の重さを知っている。

 そうして今、目の前の彼女の好きは、私たちに向けられていた。

 私への好きは、それは嬉しい。


 だけど私と同じものを抱える人間の、ユリに対する好きは――

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