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5月12日 青春のリスタート

 そんなこんなで、翌日のお昼休みに、私たちは再び生徒会室に集まっていた。

 今日はアヤセをアウトして、代わりに宍戸さんがイン。

 放課の方が時間にゆとりがあるけれど、穂波ちゃんの部活が忙しいので、ランチ会を開こうということになったわけだ。


「穂波ちゃんも、宍戸さんも、お昼は購買なんだね」


 机の上に並ぶ三人分の総菜パンだけを見れば、なんだかパン祭りでも開催しているようにも見える。

 けど残念ながら、今日はそういうのほほんとした会ではないのが口惜しい。


 宍戸さんは、サンドイッチの包みを開きながら答えた。


「通学中に痛んでしまったら悪いからって……お弁当はひかえてるんです」

「通学時間長いもんね」


 二時間近く外を出歩くとなれば、確かにそういう心配はありそう。

 特にこれからの時期は、学校の近くに住んでいるからといって安心はできない。


「そして穂波ちゃんは、相変わらず多いね」

「相変わらずとか言われると、流石に恥ずかしいです」


 穂波ちゃんは、懐に抱え込むように自分のパンの山をかき集めた。

 なんだか独り占めしてるみたいで、逆に食いしん坊に見えるのは、黙っておいてあげよう。


「先輩もいつも購買なんですか?」

「ウチは母親の気分次第かな。姉の在学中はたまに作ってくれたけど、最近はさらに減ってごくまれくらいになったよ」


 ふたり分ならまだしも、ひとり分だけ作るというのはなかなかに面倒なことだと思う。

 それと別に朝食の準備もあるわけだし。

 私としても購買の総菜パンは好きなので問題はない。

 今日もサバサンドは美味しかった。


「お姉さん……いらっしゃるんですね?」


 そう言えば、宍戸さんは知らなかったっけ。

 世代は入れ違いだし、遠方から来ているなら、姉の悪行も知らぬ存ぜぬといったところだろう。

 良くも悪くもこの学校にいるぶんには珍しい反応だったので、思わず笑みがこぼれる。

 これがきっと解放感ってやつ。


「去年までここの生徒だったヤツがね。宍戸さんは、兄弟は?」

「ひとりっ子です。私もお兄ちゃんかお姉ちゃんがいたらなってよく思うので……ちょっと羨ましいです」

「羨ましいことなんてないよ。基本的には目の上のたんこぶだから」

「そういうものですか?」


 特に同性なら、きっとそう。

 ウチも姉じゃなくて兄だったら少しは違った感情を抱いたんだろうか。

 試しに、今のアイツそのまんまで男になった姿をイメージしてみたけど、キモさ倍増で余計に駄目だった。

 頭を振って、嫌なイメージを振り払う。


 そんな事より、今はもっと大事な話がある。

 私は、湯呑のお茶に口をつけて、口の中の青臭い油を洗い流した。

 お茶は今日も穂波ちゃんが淹れてくれたものだ。


「それで、今日来てもらったのは宍戸さんに話があったからなんだけど」


 そう切り出すと、宍戸さんは怯えたような顔で私を見た。

 そんな顔されちゃうとちょっと話しづらいんだけど。

 私は一旦視線を外して、穂波ちゃんを見た。

 さっぱりした仏頂面を眺めていたら妙に心が落ち着いた。


「あの……もしかして、須和先輩のことですか?」


 目を話している間に、宍戸さんも落ち着いたのか、自分からそんなことを口にする。

 流石に察しはつくだろうな。

 私は勿体ぶらずに頷く。


「昨日も彼女と話したんだけど、とりあえず宍戸さんの気持ちは分かってくれたみたい」


 すると宍戸さんも、ほっとした様子で胸をなでおろしていた。

 安心したのも束の間で申し訳ないけど、本題はその先だ。


「ただ、ごめん。彼女、諦めたわけではないみたい。夏までは待てるって言ってたから、すぐ何かアクションかけてくることはないと思うけど……」

「そ、そう……ですか」


 宍戸さんは、やっぱり困惑した様子だった。

 そこは仕方がない。

 だけどまずは伝えることを伝えよう。

 橋渡しになってしまった私の役目は、それぞれが考えていることを過不足なく届けることだ。


「中学のころに宍戸さんの演奏を聞いて、震えたって。それから、いつか一緒に演奏できたらって思ってたって。彼女の言葉をそのまま伝えるなら、同じ高校に通ってるのは運命だっても言ってた」

「震えた……運命……」


 仰々しい言葉に、宍戸さんはいくらか面食らった様子で繰り返す。

 ううん……やっぱり須和さんが言うのと、私が言うのとでは重みが違いすぎる。

 逆に安っぽく聞こえたのなら、それは私の責任だ。


「歌尾さんは、もう音楽はやらないの?」


 穂波ちゃんの問いに、宍戸さんはどこか煮え切らない様子で俯く。


「ごめんね。どう伝えたらいいもんかなと思って、私から穂波ちゃんに相談したんだ」


 私はそう言葉を添えた。


「大丈夫です。穂波さんならわたし、相談したいと思ってたので……」


 彼女は穂波ちゃんのことを見る。

 それから互いの意思を確かめるように、頷き合った。


「その……音楽は、好きです。でも学校で、部活でやるつもりはなくって……」

「楽器、やめちゃったの?」

「ううん……演奏もまだ好き、だと思う」

「だと思う、っていうのは?」

「しばらく演奏してないから……」


 自分のことのはずなのに、どことなく曖昧な答えだった。

 穂波ちゃんも、納得できたようなできないような、微妙な沈黙で次の言葉を探していた。

 話を引き継ぐように、私は口を挟む。


「そもそもなこと聞いても良い?」

「えっと……はい?」

「宍戸さんって、どうしてウチを受験したの?」


 長い長い通学時間を受け入れてまで、この学校を選んだ理由。

 例えば穂波ちゃんのように、入りたい部活があるとか、そういうことなら分かるけれど、宍戸さんからはそういうのを感じない。

 生徒会のことも、受験の日のトラブルがきっかけであって、そもそも願書を出した理由にはならない。


「両親も……初めは反対でした。でも通いで、女子校で、進学校ならって……無理を言って遠方の高校を受験させてもらったんです」

「なんでそこまでして?」

「誰も……私を知らないところに行きたかったから」


 そう語った彼女の言葉に、私は初めて、むき出しの感情を感じたような気がした。

 そして中学三年の時に、自分が全く同じことを思い、進路に悩んだことを思い出す。


 誰も私を狩谷明の妹だと知らない場所に行きたい――だけど結局、自分の学力と、目指す大学の進路の問題で、通える範囲ではこの学校を選ぶ以外に選択肢はなかった。

 不躾な話をすれば、高校のランクを落とせば選択肢はいくらでもあった。

 だけどそれこそ、姉の威光に負けたような気がしたから、私は選択できなかった。


 彼女はそれを成し遂げた。

 彼女にとってこの学校こそが適した場所であったことは、羨ましい限りだけれど……だとしたら私は、彼女を守りこそすれ、覚悟をないがしろにすることはできない。


「そう決めたのなら、周りの意見なんて聞かなくていいと思う」

「え……?」

「きっと宍戸さんは、その決断をするのにすごく悩んで、勇気を出したんでしょ。だったら、誰に何を言われたって、胸を張ってたらいいよ。この学校で再スタートしようとしたんだよね?」

「そう……です。わたし、再スタートしたい。そう思ってここに来たんです」


 宍戸さんは、言葉に力を込めて頷く。

 それを遮るように、穂波ちゃんの手がテーブルの上を舞った。


「まってください。それでも私、歌尾さんにはもう一度だけ、須和先輩と話してみて欲しいんです」

「穂波さん……?」

「たった一度の演奏で、歌尾さんは須和先輩に見つけて貰った。そのたった一度のため……っていうのはおかしいかもしれないけど、それまでの努力とか、頑張りとか、そういうのを認めてくれるひとがいるって、えっと……幸せなことだと思うから」


 言葉を選ぶように、たどたどしく、穂波ちゃんは語った。

 ストレートな物言いが多い彼女にしては、どこかふわふわとした言葉。

 それでも宍戸さんに、彼女の気持ちは伝わったようだった。


「わかった……わたし、もう一度だけ須和先輩と話してみる」

「歌尾さん」

「それで私……ちゃんとお断りしようと思う」


 それは、穂波ちゃんにとっては望んだ答えではなかったかもしれない。

 でも確かな意志を感じて、私も、彼女も、それ以上口を挟むようなことはしなかった。

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